▼ 葬送と追憶
※注意死ネタです。
作品のキャラクターがどのように死を迎えるのかという内容です。
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目の前に広がる広大な砂丘を、重い身体を引きずるようにして進む。
もう片耳は完全に聞こえない。顔の右側は焼け爛れ、右目は穿たれた。左腕はもがれ、右足に感覚はない。
それでも男は歩み続けた。焼けて短くなった髪が、熱風に煽られる。銅色だったそれは、半分が老人のように白くなってしまっている。
これが神に愛された結果だ。神を愛した人間の末路だ。
それでも男はなにひとつ後悔などしていなかった。
こうすることで、あの美しい戦神を救えるのなら、今まで歩んできた道は苦難でもなんでもなかったと嘘偽りない心で言えるだろう。
照りつける太陽に歩みは更に遅くなる。
鮮やかな橙の砂の先は見えず、遠くには陽炎がたつ。
その陽炎の中に、白い影を見た。
男は片方だけ残った眼を見開く。それは、見紛うことなく、男が全てを捧げた戦神の姿だった。
体にむち打ち、男はよろめく足で、神へと近づく。
雪のような白い髪を風に靡かせながら、人間離れした美貌をもつ、幼子の姿。
いや、記憶にあるそれよりも、少しだけ成長した姿のような気がする。
幼くも凛々しい面立ちを苛立たしそうに歪め、戦神はぼろぼろになり果てた姿に目を向ける。
「おれは、こんなことを望んではいなかった」
「――はい。
頷きながらも、男の声は喜びに震えていた。
どんな困難に立ち向かった時も、どんな傷を負った時も零れなかった涙が頬を伝う。
「おれの、愛しい
幼子の小さな手が、男の頬を拭う。
その手に頬を押し当てて、男は咽び泣いた。
「おまえのおかげで、おれは天の父の戒めより赦された。感謝する。――辛かっただろう」
男は泣きながら首を横に振る。
そんな男の頭を愛おしそうに撫でてやりながら、幼子は言葉を続けた。
「だが、おまえはおれとの誓いを破った。おれの物である身体に傷をつけ、おれの言葉に背き、なによりおれの傍から離れた。神への誓いを破った者には――罰を」
男は紫がかった深い紅の瞳を見開き――そして全て理解しているとばかりに微笑んだ。
幼子の姿の戦神は、最後にもう一度愛おしそうに男の頬を撫でた後、もう片方の腕を男の胸に
まるで柔い粘土で出来ているかのように、その腕はいとも簡単に男の背を貫通する。
朱に染まった腕は、確かに男の体内を通ったのだと理解するには十分だった。
「……さいごの、誓いはまもれて、よかった」
ごぼり、と粘つく血の塊を吐いた男は、微笑を浮かべ、それだけ吐息で紡ぐと、瞳から光を失った。
胸を貫かれ、抱きかかえられながら死んだ男の表情は酷く満ち足りていて。
幼子の姿の戦神はそれを見つめて、「ばかめ」と零した。
「満足そうな顔をしやがって」
『――死ぬ時は、貴方の傍で』
今際の際の言葉は、そのことを言っているのだ。
瞼を閉ざしてやりながら、再び「ばかめ」と零す。
「おれは、人間として生きているおまえを愛していたというのに」
そうして、幼い戦神は人間の躯を抱きしめ、生まれて初めて一粒涙を零した。
随分ながいこと、神は躯を抱きしめていたが、いつしか躯ごといなくなっていた。
ただ、神がいた場所には一本だけ樹が立っていた。
その樹は、男が昔いた森をどこか彷彿とさせた。
雨も降らない死の砂漠で、その樹は青々とした枝を広げ続けている。