Novel | ナノ


▼ 1

 少し跳ねさせた黒茶色の髪に、茶色の硝子玉のような感情の読めない瞳。
 白い指で無表情にレジを叩く青年が、俺の想い人です――。




 初めて彼と出会ったのは、俺が薬を買いに行った時だ。
 前の日の夜に、友達とがばがば酒を呑んだ挙句、窓を開けっ放しにして体調を崩す、という二日酔いと風邪のダブルパンチで俺は死にかけていた。
 歩いて三分という近さにドラッグストアがあることを、神さまに初めて感謝しながら、ずるずると這うように薬局に向かう。体力はゼロに等しい。赤ゲージだ。警告音が俺の中で鳴り響いている。今なら赤子にも負ける。呼吸をするという生命を維持させる行為そのものが、体力を削り取っていっている気さえした。

(――もう俺ここで行き倒れるいやいや頑張れ俺。でかいガタイの男が風邪と二日酔いで行き倒れるなんてみっともないぞというか人サマの邪魔になる。でもマジ行き倒れるってか行き倒れたい。)
 そんな風に何度も自分の中で「行き倒れるか否か」の問答を繰り返しながら、ようやく薬局についたが、目の前が滲んで自分で薬を選ぶ気力も無く、俺は店の人に聞くことにした。
「すみませーん……風邪薬、ください……」
 口から飛び出たのは、老婆も真っ青な掠れた嗄れ声。それが鼻詰まりと、マスクのせいで、くぐもっているから尚更耳障りで仕方がない。
「あ、はい。ちょっと待ってて下さい。店長に聞きますから」
 抑揚のない声で店員が対応して店長さんとやらが来た。
 何処が痛いのか、いつからかという質問に、どうにかぼそぼそと答えると、店長さんはさっきの店員君に、一言二言伝えてまた奥に行ってしまった。
 ばたばたという音から、もしかしたら忙しいのかもしれないと見当をつけ、申し訳ないなぁ……とマスクの下で呟いた。薬を進めるのは、資格の無いアルバイトでは出来ないとか聞いたことがある。忙しい時に来てしまったのだろうか。いや、客なのだからいつ来てもいいだろうけど、やっぱりなんとなく申し訳なくなる。

 店員君が薬をとりに行っている間、俺はカウンターに設置してある椅子に座った。だらりと手が力なく垂れる。返事は無い。ただの屍のようだ……なーんちゃって。
 ……俺、家に無事に帰れるかな、とぼんやりと考えていると、パタパタと近づいてくる音が耳に入った。
「こちらの薬でいいですか?」
「あ、じゃーそれで……」
 正直なんでも良い。今、胃薬を進められていても、多分俺は気付けないと思う。
「はい。あの、大丈夫ですか」
 大丈夫じゃないっス……と思いながら店員に視点を合わせて、ちょっとびっくりした。なんだこの人、凄い美人だ……。いや美人と言っても、男なのだが。
 そんな美人の、どことなく眠そうな目が無表情にこっちを眺めている。……君、大丈夫って聞きながら、全然心配そうな顔してないよ?
「あ、お代……?」
「1,179円になります」
「あ、はーい……」
 しかし、店員が美人だろうと、不愛想だろうと、今の俺にはそれにリアクションを返す元気もない。代金をもごもごと訊き、鈍い動作でポケットから財布を取り出す。細かいのを探す元気もなくて、千円札を二枚抜きだし、店員さんに渡した。
 それを「2,000円お預かりします」と言って受け取った彼の手に、目が釘付けになった。朦朧としていた意識が、物凄い勢いでクリアになる。

 ――え、何、あの理想美な手!!
 色といい、指の長さといい、手の筋肉のつきかたとか、皮の張り具合とか!!
 爪の形も、手の平と指の比率も、俺の好みのどストライクだよ!!!

 何を隠そう、俺は重度の手フェチなのだ。女性でも、男性でも、子供からお年寄りまで。手が綺麗であれば、まじまじと見つめてしまう。そして機会があれば、触らせて欲しいと心底思っている。
 撮り溜めしておいたロードショーの合間のCMで、ちらっと映った芸能人の手に釘付けになり、ロードショーそっちのけで何度も巻き戻してCMだけを見続ける、なんてことも珍しくない。
 そんな俺の理想を固めて作ったような手。意識がはっきりしない方が、おかしいだろう。
「821円のお釣りになります」
 だから、そう言ってレシートと一緒に差し出された小銭を、俺は彼の手もろとも、まとめて握った。
 そしてその場で崩れ落ちた。
 この感触を一生忘れないぞ、と心に刻みつけながら。




 ぺちぺちと頬を叩かれる感覚に、うっすら意識が浮上して来る。

「あの、大丈夫ですか」
 大丈夫じゃないです。

「えっと……。俺そろそろレジに戻らないと」
 うん?戻ればいいじゃない。

「加賀見君?まだそのお客さん起きない?」
「あ、店長。……まだみたいです」
「困ったねぇ……まあ仕方ないし君は気にしないで、そこにいていいからね」
「はい……すみません」
「いいの、いいの。加賀見君が謝る必要はないよ」
 かがみ……?誰?……というか。

「……ここどこ……?」
「あ、起きましたか」
 目を薄ら開けた先に居たのは、記憶に新しいあの美形の彼。しかもドアップ。
「うお!?」
 思わず、思いっ切り後ずさる。
「君誰?ここどこ?あ、もしかして俺、やっぱり途中で行き倒れた?」
 きょろきょろと周囲を見回しながら色々と口走る。寝ていた、というか、気絶していたからか少し体調が楽になっている。
「疑問が口からだだ漏れですよ。少し落ち着いて、考えを纏めてから話してみてください。ちなみに此処はドラッグストアです」
 無表情でそう話す青年の手を、何故か俺はがっしりと握っていた。その手を見て、さっきの出来事がフラッシュバックする。
「貴方が手を離してくれないから俺、仕事に戻れなく」
「ああ!!そうだった、俺の理想美!!」
 その感触を確かめるように、再度ぎゅむぎゅむと握る。
「やば!この指の長さといい、形といい、白さといい、爪の形も肌の滑らかさも弾力も全部どストライク……っ。俺の黄金比の具現化!国宝級!!……はっ!」
 べらべらと語ってから、我に返る。こんな見目麗しく無いデカイだけの男が、自分の手を握って鼻息荒く語っているのだ。ひかないでくれ、という方が難しいだろう。
 恐る恐る青年を窺うと、予想とは違い、全く表情を動かさずに俺を見ていた。
 う……っ全力でひいてる顔をされるのも嫌だが、こんな表情も嫌だ。どうにかして言い訳をしなければ……っ。

「え、えーっと……お手入れはシテマスカ?」
 ちがぁああう!!
 断じてそんなことを訊きたかった訳じゃない!!言い訳をしようと口を開いたら、手フェチとしての疑問が飛び出て来てしまった……っ。
 これじゃあ変態であることを後押ししただけになってしまう……!違うんだよ!変態じゃなくて、ただの手フェチなんだ!!
「手入れ、ですか?これといってしてませんけど……」
「え!?駄目だよ、こんなに綺麗なんだから!これから乾燥してくるし、ハンドクリームくらいは塗って!絶対!!まじで!!出来ることなら化粧水使ってから塗って!風呂上がりに塗って!!どっちかというと乳液だと尚良し!んで、爪は爪切りで切ると、爪にストレスがかかるから、短くする時はなるべくこまめに爪やすりで――……ハッ!」
 はい、アウトぉおお!!
 何手入れの仕方まで語ってんの俺!変態決定!!違うんだ!!まず落ち着いて話をしよう!話せば分かる!警察はちょっと待って!!俺は綺麗な手が好きなだけで、決して変態では――……!!

「ストーカーですか?」
「違う!!変態認定も嫌だけど、それはもっと嫌だ!!」
「……じゃあ洗濯物の下着を盗んだのも、執拗なラブレターとメールを送ってくるのも、鞄に盗聴器忍ばせたのも貴方じゃないですか?」
「違うよ!?今の会話の中でそんな位置づけになるほど俺変態な事言った!?いや言ったかも知んないけど断じて違うよ!?俺初めて合ったし!てかどんだけ凄い目に会ってんの君!?」
 淡々とした口調で、かなりディープなストーカー被害を聞いてしまった。
 ……でもまあそんな被害にあうのも分かる、というと語弊がありそうだけど、それくらいの美形だ。女性が危ない方向に走るまで熱を上げるのも、少し分かる気がする……されている本人はとんでもないだろうけど。
 ふと握ってる手から、細かい震えが伝わって来ていることに気づく。
 ――……そうだろうなぁ。男だって、こんなストーカー行為をされたら怖いだろう。
「……あの、初めて会ってあんなこと口走った後で、信用出来ないかもしんないけどさ。俺で良かったら力になるよ……?」
 無表情の下で怖い思いに耐えているのかもしれない、と思うと居ても立ってもいられなくて、思わずそう言ってしまった。相変わらずの無表情だけれど、そこに“驚き”という感情が見えた気がする。
「え……」
「あ!嫌だったら全然!俺、取り得っていってもデカイだけなんだけどさ、相談とか、何かあった時の盾くらいにはなるかなーと……」
 言いながら声が尻すぼみになっていった。
 ああ、なんだか自分で言ってて不審な匂いがぷんぷんする。絶対引かれた、これ。なんで上手く言えないかなー……と若干自己嫌悪に陥っていたら、ぐっと手を握られた。
 顔を上げると、見事なまでに無表情な彼が俺の手を握り返していた。
「お願いしてもいいですか?」
「へ?」
 え、この流れで君俺のこと信じちゃうの?それだとある意味心配なんだけど……。
「あ、すみません。ご迷惑ですよね」
 目を伏せて手を離そうとした彼の手を、慌てて引き止める。
「いやいやいや俺から言ったし全然迷惑じゃないんだけど、今の流れで良く俺を信じれたなーと」
「……俺、貴方は悪い人じゃないって思うんで」
 そう言って、初めて零した小さな笑みに、思わず赤面した。
 うっわ。何そのすっごい可愛い笑顔!思わずときめいた……ってまてまてまて。相手は男だからね。おかしいよどうした俺。
 熱で脳味噌がいかれたかと頭を振る俺を、覗きこむ時には既に彼は無表情に戻っていた。
 ……なんか勿体無いなぁ。
「えっと……それじゃ、俺の携帯番号とメアド教えておいて……。うーん、このバイト終わるのは何時?」
「二十時です」
「……なんだったら家まで送って行こうか?」
「いいんですか?」
「うん、俺は構わないけど」
「じゃあお願いします。あ、でも今日は一人で帰ります。貴方はゆっくり風邪を治してください」
 青年は俺に頭を下げた。

「……あ、今更だけど君の名前しらないや。俺は辻 啓太つじ けいた
「俺は加賀見 冬野かがみ とうやです」
 び、美系は名前も華やかなのか……。
「それじゃ辻さん」
「はい」
「風邪と二日酔いなら、まず消化の良い物食べて寝てから薬を飲んだ方が良いと思います」
「え?あ!俺、酒臭い!?」
「はい、少し」
 顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。口を掌で覆うと。小さく笑い声が聞こえた。
 でも顔を上げるとやっぱり無表情。……それはちょっと怖いぞ、加賀見君。
「これ、温めるだけですからどうぞ」
 ビニールの袋の中には俺が買った薬と、温めるだけのインスタント紅鮭粥が入っていた。
「あ、ありがとう」
「お見舞いですからお代はいりません。家に帰ってゆっくりしてください。それよりちゃんと帰れますか?」
「だ、大丈夫です」
「そうですか、それじゃお大事に……」
「どうも……」
 無表情に淡々と言われると、非常に対応に困る。笑えば可愛いのになぁ……。
 もう話は終わったとばかりに背を向けて、この場を立ち去ろうとする加賀見君を呼びとめる。
「なんですか?」
 振り返っても無表情で、もうなんだか泣きそうだ。人間って感情が顔から読めないと、こうも不安になるものなんだと改めて知らされた。
「え、えぇっと、風邪が治ったら、バイト終わる頃に迎えに来きます」
「……はい、よろしくお願いします」

 こうして俺は加賀見君をストーカーから守ることになった。



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