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坊ちゃん

 私がお仕えしていたお屋敷は、由緒在るお屋敷でしてね。奥様も旦那様もお優しく、品の良い方でございました。
 勿論、そのお二人の間にお生まれになった坊ちゃんも品が良くいらっしゃって、儚げな奥様と、凛としながら優しげな旦那様に良く似て、それはそれは男で在りながら美しい方でございました。
 由緒が在り、それでいながらそれを鼻に掛けない、貧相な生まれの私の目から見ても本当に品の良い方々。その方々にお仕え出来たというのは私の誇りでもございます。

 お優しい方、お美しい家庭でございました。
 ただ――……一風変わった方々でもあったのです。

 そのお屋敷には大きな門がございまして、年季が入った割にシンと涼やかな空気がいつも漂っているお屋敷と比べ、その門だけは着々と年を重ね、風に曝され、雨に打たれ、塗られた玄の色も剥げ。掛けてある標札だけが新しいという、お屋敷に似つかわない物でありました。
 屋敷を訪ねる方、業者、私からも何度か建て替えましょうという意見が出たのですが、奥様も旦那様もうんとは言わず、「それで良いのだ」としか申しませんでした。
 それどころか、「門についてはあれで良い、むしろあれで無ければいけない。私たちの為にもあれをどうにかするつもりは今後一切無い」とお優しい旦那様にしてみれば珍しくピシャリとお言いになったので、それ以降、私は口にする事はありませんでした。

 考えてみれば、不思議な門だったのです。
 見た目はボロボロでございましたが、外が重々しく、そしてどこか陰気な匂いを漂わせておりましても、そこを潜れば凛とした空気が迎えるのですから。
 坊ちゃんが生まれてからは尚更、その不思議な感じをまざまざと感じる事になりました。

 私の仕事はお屋敷のお掃除や、御膳の支度、そしてお忙しい奥様と旦那様がいない間の坊ちゃんの面倒をみる事でございました。
面倒と言っても、坊ちゃんは赤子の時から整った顔立ちをしておりまして、大層大人しい子でしたから、背中におぶっているだけですやすやと寝息を立てておりました。
 ただその坊ちゃんが火がついたように泣き喚く事がしばしばありました。
 それも毎回、御膳の材料を買いに出てたり、お散歩をしたりとお屋敷の外に出ている時でした。
 最初はでんでん太鼓を持たせたり、飴を持たせたりと機嫌を窺い、笑わそうと努力をしていたのですが、全く泣き止む事がありませんでした。しかし、門を潜り、お屋敷の中に入るとぴたりと本当に不思議なくらいぴたりと泣き止んだのです。
 坊ちゃんがお泣きになった時は、玩具も甘味もいらないのです。
 ただ、門を潜れば良いのでした。

 大きくなると、坊ちゃんが時折何かに追われる様にお屋敷の門を潜るのを目にする事が度々ありました。
 お優しい坊ちゃんは私の手伝いをしようとお使いに出かけたり、ちょっと付近まで遊びに出かけたりする事があったのですが、帰りに顔を強張らせながら早足で、時には掛け足で門をお潜りになり、そして暫くの間じぃっと門を青ざめた顔で凝視しているのです。
 しかし私には一体何をご覧になっているのかちっとも分かりませんでした。
 何せそこには何も無く、そしてその後何かが追って来たことも無く。きっとここらの悪戯大将が追いかけて来るのに怯えているのだとそう思っておりました。
 
 しかしそれは間違いだったのでございます。

 ある日の深夜の事でございました。
 お忙しい両親に代わって面倒を見させて頂いている私は、坊ちゃんに大層懐かれておりました。そんな私に坊ちゃんは泣きながらこう打ち明けたのです。

 ――自分は昔から不思議な物が見えていた。幼い頃からそれは自分の遊び友達で、いつも傍にいた。屋敷の外にも中にもいたが、中に居る物の方が大人しく、そして無口であった。しかし自分は外にいる物達の方が明るく騒がしく好きだった。
 ところが歳を重ねるにつれ、その外にいる不思議な物達の様子がじわりじわりと変わって来た。
 自分をねっとりと見つめる事もあれば、意味の分からない事を早口に言ってきたり、時には恐ろしい表情で追いかけて来る事もあった。しかし、そんな時はいつも門を潜れば中には入って来る事は無かった。
 ある日、散歩をしながら歌っていると、不思議な物の一人が近づいて来てこう言った。
『生きてる者の歌は何とも美しいが、お前のは更に輪を掛けて耳に心地良いな』と。
 嬉しくなった自分は、ならばもっと歌ってやろうかと言えば、それは嬉しそうに頷いた。
 その日は夕暮れまで歌い続け、喉も乾いたのでそろそろ帰ろうと思うと告げると、それは『明日も明後日も、これからずっと俺に歌を歌ってくれるか』と聞いてきた。
 それくらいならばお安い御用と頷いた途端、それは恐ろしい表情になり、自分に襲いかかって来た。
 ぶわりと生温かい風に包まれ、恐ろしくなった自分は慌てて屋敷に掛け込み、門を潜ったのだが、あの日から屋敷の中の涼やかな空気が分からない、いつも生温かい風に包まれている様で、悪い夢ばかりを見る――と。

 寝間着の浴衣の袖を、べそべそと涙で濡らしながら坊ちゃんが言った告白に、私は茫然といたしました。
 震える唇で口を開こうとした瞬間、闇の中で泣く坊ちゃんの後ろがゆらりと揺らめき、なにかがぼんやりと浮かび上がりました。
 いえ、『なにか』では無く、あれは人ならざる恐ろしいモノでございました。
 髪は乱れ、目は爛々と光り、人の形をしながら人では無いおぞましく醜い怨霊。その姿は正に悪鬼としか言いようがございませんでした。
 その事にあっと声を上げようとした途端、喉をぐぅっと見えない大きな物で締め付けられました。感覚からは手の様でございましたが、人の手の大きさでは有り得ない程大きく、火傷をしそうな程冷たく、爪が刃の様に尖っておりました。

 そして耳元で、なんとも恐ろしく身の毛もよだつ声で

『余計な事を言うな爺。縊るぞ』

 と囁かれたのです。


 

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