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花神様



「はなかみさま」
「はなかみさまだ」

 ざわりと周りの大人たちの空気が揺れ、畑仕事に精を出していた者達も手を止める。
「はなかみさま」
「花神様」
 大人たちに混じって、彼らが目線を向けている方向を見れば、豪奢な輿がゆっくりと運ばれていく所だった。

 ――シャン……シャン……

 涼やかな音を立てているのは、輿についている鈴だ。
 輿の上に座っている花神様は面を付け、さらにその上から薄絹を被っている。
 春と常しえの栄の象徴である花神様が舞う様に手を伸ばすと、何も無い筈の白い手の平から色とりどりの花びらが風に舞った。

「花神さま」
「花神様、我等にも恵みを」
 花神様が通った道には実りがある。花神様が撒く花には福がある。
 何人もの人達が我先にと花弁に手を伸ばした。

 まだ大人よりも小さい俺は埋もれそうになりながら花神様を見つめた。
 ふいに、花神様の面がこちらを向く。
 花神様は何も言っていないのに、輿も独りでに止まった。

 ――シャン

 鈴が一つなった後、シンと静まる。
 何事かと周りも動きを止めた時、白く長い花神様の指が面に伸ばされ、縁に指を掛けた。
 瞬間、ぶわりと強い風が吹き、皆がそれに目を瞑っているその時、俺は確かに見た。

 花神様の面が花神様自身の指によってずらされ、明らかにされた貌を。

 額に紅で四片の花が描かれている花神様は、息が止まる程美しかった。
 すっと通った淡い紅の瞳が笑みの形に細められ、艶やかな唇が弧を描く。

「――」

 そっと吐息混じりに囁かれた言葉は、確かに俺の耳へと届けられた。
 思わず目を見開くと、それに花神様はくすりと小さく笑いを零して面を再びつけてしまった。
 そして白い手が伸ばされて、俺の手の平の中に小さな花を一つ落とした。
 何事もなかったかの様に鈴の音を鳴らして遠くなっていく輿を、俺は夢見心地の中、ぼうぜんと見送った。
 何度も何度も、花神様が俺に囁いた言葉を頭の中で繰り返しながら。

『――おいで。』




 幾重も垂れた薄衣の向こう。そこに鎮座する影を見て、全身が震えた。
 来いという誘いに抗いきれず、花に魅かれる蝶のように、ふらふらと花神様の元へと赴いていた。
 渡された小さな花を持っているだけで、何故だか誰にも止められることはなく、御殿の奥にたどり着くのに、そう時間は掛からなかった。
 耳が痛い沈黙を、衣擦れの音が破る。

『――おいで』

 あの誘われた時と同じ声音が薄衣の方から響き、よろめきながら垂れ布の中に入った。
 柔らかく薄いそれを何枚も何枚も掻き分けた、一番奥に。その人はいた。
 長い射干玉の髪。目尻に朱を刷いた切れ長の瞳は笑みに細められ、中性的な面立ちはやはり息が止まる程美しかった。
 くすり、と小さく笑う花神様の前で、微動だにせず立ち尽くす。それに再び花神様は笑い、艶やかな唇を開いた。
「おいで、嬰児みどりご……。お前、おれに触りたいのであろう?」
 高くもなく、低くもなく、耳に心地よい声で問われる。いや、問いではなかった。胸の奥を見透かすように薄紅の瞳を細め、うっそりと花神様は笑う。嗤う。
 その言葉に誘われて、震えながら腕を伸ばす――が、爪の間に畑の土が詰まった、薄汚い自分の手が目に入って、ハッと我に返る。
 慌ててひっこめようとしたのを、ふふ、という花神様の笑い声が遮った。
い。宜い。赦そう」
 伸ばした手の平に頬を擦りつけられ、その滑らかさに驚く。
 うっとりと目を細めた花神様に、震えながら口を開いた。
「――どうして」
 震える声で、そう問う。
 どうして俺を。どうして、俺だけを。
何故どうしてって、お前――」
 薄紅の瞳が、全て知っているぞと笑う。その色にただ、呑みこまれた。




 褥の上で、精に塗れ、快楽の余韻に身体を浸しながら、眦から涙が零れた。
 混乱を極める中、思ったのは、犯された、だった。
 強請ったのは自分だ。手練手管に焦らしに焦らされ、最後は泣いて抱いてくれと縋った。孔を自ら広げ、教えられた卑猥な言葉で男根を強請った。与えられた快楽に歓喜の艶声を上げ、嬉々として腰を振りたくっていたのは自分だ。種を胎に注がれるのを望んだのは、自分だ。自分であって、自分ではなかった。
 男としてだけではなく、人としての矜持を端から砕かれたと感じた。ゆっくりと、静かに。だから、悔しさ故に涙が止まらなかった。
「好かったであろう?嬰児」
 傍らでくつろぎながら笑みを含んだ声で囁かれ、それに弾かれるように身体を起こすと、怒りを込めて花神と名乗る男を睨み付け、散らされた衣服を掻き集めるとその場から駆けて逃げ出した。




 尻から種を伝わせながら駆けていったのをそのままに、花神は先ほどの狂宴を思い出しながら、うっそりと笑った。
 あれは善い。
 恋人にするように犯し、持つ矜持は全て砕いてやった。きっと今頃、怒りに心を焼かれていることだろう。
 呼び鈴を鳴らし、来た従者に先ほどの者を国から追放するように命じる。

 初めて目にした時、あれは酷く目についた。
 讃え、敬い、幸を請う淡い視線の中で、あれは誰よりも強く私を欲していた。最早飢えに等しい強さで。それは殺意にも似た鋭さを持っていた。
 どうやらあの嬰児自身は気づいていなかったようだが、これでその欲を己が物とするだろう。

「早くおいで」
 歌うようにそう口にし、花神は静かに笑った。
 何年でも待とう。長い時など、何の問題もない。だから早く大きくなって、再びこの腕の中に戻って来るがいい。
 そしてその時は、その怒りの炎で全てを焼き祓え。
「――もう、おれは厭いた」

 だから早く、愛しい嬰児。
 その苛烈さでこの身を焼いてくれ。



 

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