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白妙の人


 ひょろりと縦ばかりに伸びてしまった背を窮屈そうに折り曲げて、彼は白い木片に指を乗せ、音を奏でる。病弱にすら見える青白い横顔は鼻が高く頬骨が出ていて、まるで干したイワシの様だと初めて見た時は思った。
 デザインは多少異なれど、毎日身に着けるのは上下ともぴたりとした黒い服で、それは彼の不健康な青白さと細さを強調していた。
 歳をとっていると言われても違和感があり、若者だと言われても違和感のある面立ちは、自分の世界を奏でることに陶酔している訳でも無く、また、音楽に真摯に向き合っているようでも無く、まるで一瞬でも指を止めたら殺される、といわんばかりに鬼気迫った表情で一心不乱に指を動かしていた。
 鍵盤を押すにはそれなりの力がいるからか、唯一彼の指だけが節のある男らしさを醸し出している。……といっても、それもまたひょろ長い所為か、遠目から見ると軟弱に見えてしまうのだけれど。

「……○○」
 そっと口にした彼の名は、ガンガンと五月蠅いまでに鳴らしているピアノの音に負けて呑まれる。が、鋭い彼の耳に届くには十分だ。
 ビク、と彼の肩が震え、音が一瞬だけ縺れる。
「○○」
 次はもう少し声音を大きくすれば、彼は水黽の様なひょろ長い腕を震わせ、あんなに必死になって奏でていた音を止めた。
「○○」
 音の無くなった部屋に、そっと名前を乗せる。
 すると彼は腕の震えを身体に伝え、小刻みに震えながらこちらに顔を向けた。
 色々な国の血が混じっている彼。日本の、アジア系の血が一体どれくらい入っているのか正確に分からない雑種犬の様な彼は、真っ黒な瞳を潤ませてこちらを見ていた。
 いや、本当は彼の瞳はよくよく見ればこげ茶であるのだ。
 それが黒く見えるのは――興奮して、瞳孔が開いているから。
「○○」
 催促するように再度名前を呼べば、彼はガタン、と音を立てて椅子から立ち上がった。
 が、足は震えるだけで前に進もうとはせず、こちらを凝視するだけで震える唇は言葉を紡がなかった。
「……おはよう?」
 白いシーツに包まって横になったまま、にこっと笑みを浮かべてそう言ってやると彼の青白い頬に赤味がさした。
「こっち来て」
 そう言われるのを待っていたかのように、長い脚が震えながらも前に踏み出される。
 柔らかいベッドの縁に立って、どうすればいいのかと窺うようにこちらを見つめる彼に、微笑みながら「服、脱いで」と告げた。

 震える指でゆっくりと脱がされた彼自身の衣服。
 言われるまでも無く下着まで脱いだのは期待からか、それとも羞恥が無いからか。
 黒い衣服の下から出てきたのはやはり青白い肌で。なのに陰毛は髪と同じ黒色だから猶更白さが際立ってしまう。
 それにしても何度も目にしてはいるが、性器までこうも白いと、本当に生きているのか疑ってしまう。いや勿論、真っ白という訳ではなく、他の肌の部分に比べればずっと赤味を帯びているのだが、それでも性器にしてみれば白い。
「……ほら、寒いからおいでよ」
 シーツを捲り上げて隣に誘えば、彼は目を輝かせてもそもそとシーツに潜り込んでくる。
 ひょろ長い手足を折り曲げ、裸の胸板にすり寄ってくる彼は今から行われるであろう行為に期待に身体を震わせ、しっとりと発汗し、そして瞳を潤ませ、全身を使ってこちらの様子を窺っていた。

 世界的に有名なピアニストの彼にこんな淫靡な事を教えたのは自分だ。
 人の体温の心地よさを。人を抱く悦楽を。
 音楽しか知らない、頑固で変人で周囲に人を寄せ付けない孤独で――音楽以外はまるで無知で純粋な彼に。
 この僕が教え込んだ。
 まるで知恵の実を食べることを唆した蛇の様に。
 初めて口にした実の味に彼は夢中になった。夢中になって、三度目からは自分から求めるようになった。
 もうとっくに大人であるのに、心は未だ未熟な少年の様な彼がひどく可愛くて。
 愛される事に慣れていなくて、初めて味わう愛に戸惑いながらも喜び、もっともっとと窺いながらもせがむ姿が愛おしくて。
 今もまた、おずおずとキスをしてくる彼に笑みがこぼれる。
「んー……ふふ、挿れたい?」
 彼は言葉ではほとんど語らない。
 けれど、その瞳が、その態度が、何よりも雄弁に語るのだ。
 長い睫毛が震え、鼻先から零れる息は切なげで、何度も上下する喉仏。
 良い子、と艶が無い癖に柔らかい髪を撫でて、額にキスを落とした。

 こんなことで彼の才能は腐らない。彼は才能そのものだから。
 例え万が一腐ったとしても構わない。
 僕は才能そのものである彼を愛してはいても、彼の才能を愛している訳では無いから。
 彼は才能を失ったとしても、失った事でたとえ狂ったとしても、今と同じようにずっと白いままでいるのだろう。
 汚しても汚しても汚れず、彼の肌と同じように病的に白いまま。僕を抱き続けるのだろう。

 僕はそれを何よりも幸せだと思う。









追記


 

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