Short Short | ナノ


秋の扇


 金でからだを買はれてゐても
 心一つはぬしのもの。




 スッ、と音も無く開かれた襖の向こうは、金と緋色の世界だった。
 緋色の布団を照らす橙の灯。淫靡な匂いのする部屋の中、窓辺に腰掛けた人物がゆったりとこちらを振り向いた。
 艶やかな朱塗りの女物の着物を着こなしたその男が、柔らかくうねる黒髪の向こうで双眸を細めるのが分かる。
 長い指で咥えていた煙管を離し、紫煙を吐くとニィとその紅を塗った様な唇が弧を描く。それは男が元から持っている精悍さを際立たせる凄味のある表情だった。
 呑まれる程の“雄”の色気を放ち、その陰間は腰の砕ける様な声で一言言い放った。
「さっさとケツ出しな。金を出してまでこの俺に――掘られてぇんだろ?」

 ひっきりなしに喘ぎ声や厭らしい水音、襖越しに聴こえる会話が治まったかと思うと、初めと同じように滑る様に襖が開いた。
 のそりと出て来たのは髪と着物を乱れさせ、情事の色を濃く残した男だった。
 上背のある男の後ろで小さく痙攣しながら褥の上に転がっているのはこの陰間茶屋に来た客だ。本来ならばとった客を見送りもせず、陰間が先に出て来るなど言語道断だ。しかし男にそれが許されているのは、男が『抱く側』の陰間だからという訳では無く、この陰間茶屋だけでなく遊郭の中でも屈指の売れっ子だからだ。
 それこそ男と一晩を共にするのには莫大な金が必要で、彼は陰間ながら影では太夫と呼ばれる程だった。
 事後だからという理由だけでは無い気だるそうな表情で、乱れた着物の胸元に手を無造作に突っ込むとバリバリと掻く。ただそれだけだというのに、男のそれは様になっていた。
 くぁ、と一つ欠伸をした男がふと目線を落とし、開けた襖の横に控えていた人物を目に入れた瞬間、パァッと音がする様に表情が変わり、満面の笑みを浮かべた。
でん!」


「典、典、俺ァ疲れた」
 先ほどの様子とはガラッと変わった男が、甘えた空気を出して両腕で抱き締めている物に頬を摺り寄せる。
「お疲れ様です、羊明ようめいさん」
 その腕の中にいる物が、澄んだ優しい声を出した。
 上背のある男――羊明が抱き締めていると、半ば埋もれてしまうそれはまだ声変わりをしていない様な少年だった。
 典、と呼ばれている少年は羊明の身の回りの世話をする禿かむろだ。
 そして羊明は、唯一傍に置く事を許したこの少年を溺愛していたのだった。

 自室に戻ってからすぐさま浴びた湯のせいで、しっとりと濡れている羊明の髪を典の指が優しく梳く。
 その指の感覚に羊明はとろりと顔を緩ませる。その表情はどんな客がどれだけ大金を積もうとも、お目に掛かる事は出来ない代物だ。
「典、髪を結ってくれ」
「え、でももう今日はお客様は……」
「来ねぇ。けど俺ァお前に髪を弄られンのが好きなんだ」
 だから、な?と、小首を傾げるのは、この遊郭一二を争う陰間だ。その頼みを断れる訳が無い。典は小さく笑うと、じゃあ軽く結いますねと黒髪に手を伸ばした。
 禿として傍にいる者は、大抵歳が満ちれば遊女や陰間として見世に並ぶ。が、典はとうに十分な歳になっているのに見世に並んだ事は無い。
 それは単に羊明が許さない、というだけでは無く、典が売られた子では無く赤子の時にこの茶屋に捨てられていた子である事、そして――。
「出来ましたよ、羊明さん」
 典はそっと羊明に姿見を見る様に促す。
 肩につくかつかないかの癖のある黒髪は軽く結わえ、簪で止められていた。簪の紅が羊明の頭の両脇にある角に映え、似合っている。
 そう、羊明は――羊明だけでなく、この遊郭にいる者の殆どが、獣の性を持っていた。
 人間が獣の性を持った彼らを差別した結果、そういった者達が色町に辿りつくのは自然な事であった。それだけでなく、獣の性を持った彼らは人間と違う部位を持ってはいるものの、見た目は人間とほぼ同じで、それどころか人間よりも美しい容姿を持った者が多いというのも理由の一つではあったが。
 しかし典は獣の性を持っていない――人間なのだ。一人だけ人間を見世に並べる事も出来ないため、典は売られる事も無く過ごす事が出来ていた。

 羊明はそれを秘かに喜んでいた。
 たしかに一人だけ人間というのは多少なりとも肩身は狭いかもしれないが、この店の者達は人間というだけで典を虐げるような者ではないし、むしろ典は可愛がられているくらいだ。
 赤子の時から可愛がっていた典が、誰かに汚される事など考えたくは無い。
 ずっとこのままで、ずっと手元に置いて愛でていたいと羊明は思っていた。




 ――ある日の出来事。

「あ、でぇん」
兎月うづき姐さん。何ですか?」
「髪が崩れちまったんだよぉ。アタイの禿、今お使いに出しちまってるしさぁ。典、お前髪結い得意だろう?アタイの髪結っておくれよう」
 目元に紅を入れた兎月は、そう言って妖艶にほほ笑んだ。華奢で白い指が、外れたべっ甲の簪をくるくると回している。
 乱れた髪はまるで“仕事”の後の様で、典は微かに頬を赤くした。
「は、はい。簡単にで良かったら!」
 そう応え、おいでおいでと手を振る兎月に近づいた瞬間、思い切り抱き締められた。
「ね、姐さん!?」
「典は可愛いねぇ。後でとっときのお菓子あげるからさぁ、アタイの部屋に遊びにおいで」
「えっ、う、嬉しいけど姐さん、は、離して……!」
「どうしてだい?」
「ど、どうしてって……」
 衣を着崩す遊女に思い切り抱きしめられれば、その胸元に顔をうずめる形になる。
 兎月の柔らかな胸に顔を挟まれ、典は慌てた。押しのけようと腕を突っ張ろうとすれば、まろい肌に指が埋まりさらに慌てる。
「うふふふ、おぼこい反応だねぇ。どうだい、アタイが典の筆下ろしさせたげようか?典ならたっくさん可愛がってあげるよう?」
「ふふふでおろしとかそんな!」

「うーづーきぃいい!!!」
 とうとう典の慌てが最高潮に達したその瞬間、ドタバタと廊下を走る荒い足音が聴こえて来た。
「おンやぁ、みつかっちまったねぇ」
「兎月!典に手ぇ出すなっつっただろう!典は俺ンのだ!」
 がしりと典の襟首を掴むと、駆け寄って来た大男は典を抱きあげた。
「いいじゃないか。典はこぉんな可愛いんだ。少しくらい分けておくれよう。それに抱く専のアンタじゃあ、典の筆下ろしはさせてやれないだろう?なら……」
「ダメだって言ってンだろうが!もう典に近づくンじゃねぇ!」
 パニックやら恥ずかしいやらで目を回してしまった典を担いで、来た時同様足音荒く帰る大男を、兎月はにやにやとした笑みを浮かべながら見送る。
「あーあ、ベタ惚れだぁ。今晩典はお仕置きされちまうかもしれないねぇ」
 こっそりあの男の部屋の前にいれば、喘がされる典の声が聴けるかもしれないと、またひそかにこの茶屋二番目売れっ子の遊女は笑みを口に浮かべた。

 

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