Short Short | ナノ


999本の薔薇と、1個の蕾


 犬に吼えられれば、うろたえる。
 毎朝同じ場所で小指をぶつけては、悶絶している。
 CMで泣く。
 訪問販売を押し帰す事が出来ず、長々と話を聞いてしまう。

 俺の恋人は、そんなどうしようもないヘタレだ。
 だから、連日続いた残業と追い打ちの様なお酒の接待でへろへろになって戻って来た俺を何故かはしゃぎながら出迎え、そして俺の疲れ切った顔を見て「しまった」とばかりに顔を強張らせたコイツに今更思う事など何も、無い。
「お、お帰りシュウちゃん」
「……ただいま」
「え、えっと……そうだ、お風呂準備出来てるよ!入っておいでよ!」
 取り繕ったように笑って見せた恋人が気に障る。それは疲れているせいなのかどうなのかは分からないが、目を眇めた。
「なんか隠してる?」
「な、にもないけど……?」
 年上のくせしてポーカーフェイスも出来ずに、おろおろと目が泳いでいる。
 ますます怪しい、と思っていると鼻先を美味しそうな匂いが擽った。多分いつもの様に晩飯を作ってくれていたのだろうが……。
 この恋人は俺が晩御飯はいらないと言っても、必ず二人分飯を作って待っている。
 もしかしたらお腹を空かせて帰ってくるかもしれないと思うと、作ってしまうのだと、笑いながらラップを掛けて冷蔵庫にしまう姿を何度見たことだろう。
「また飯作ったの?もしかしてまだ食ってない?」
「あ、いや……」
「じゃあ一緒に食べる?俺腹一杯だけど、一緒のテーブルにいるわ」
「いっ、いいよいいよ、シュウちゃん疲れてるでしょ?お風呂入っておいでよ」
 おかしい。このやり取りはいつもやっている事だ。
 俺の帰りを飯を食べずに待っている恋人、それを確認して食べなくても食事に付き合う俺。
 大抵「一緒に食べようか」というと嬉しそうな顔をするくせに、今日は本当に遠慮をしている。
「……何隠してんだよ」
「だ、だから何も……」
「あーもうはいはい、良いよ自分で確認すっから」
「あ、ダメ!」
 何故か後ろ手に隠すようにしていたリビングへの扉を無理矢理開け――……そうして俺は目を見開いた。

「……何、コレ」
 リビングルームがピンクを基調とした色になっている。
 いや、違う。
 ピンク色の薔薇で飾られ、埋め尽くされているのだ。
 ゆっくりと振り返ると、大きな手で恋人は顔を覆っていた。
「ご……ごめ……」
「コレ……どうしたの」
「……きょ、今日、三周年記念だったから……と、思って……。疲れてるのに、ごめん……」
 シュウちゃんがお風呂入ってる間に、片付けるつもりで……と本当に申し訳なさそうに口籠った恋人に、俺はなんて声を掛けたら良いんだろう。
 この溢れる気持ちをどうやって?
「なん、で、ピンクの薔薇?」
「あ、えっと……花言葉が『感謝』らしくて……」
 俺、シュウちゃんに毎日感謝しっぱなしで……と顔を恋人は顔を赤らめた。
「な、何本あるの、これ」
「……999本」
「きゅっ、999!?」
「な……」
「え?」
「『何度生まれ変わっても、貴方を愛します』……って、意味があるんだって」
 そう言った後、おずおずとだけれど顔を上げた彼の目は微かに潤んでこそあれど、真っ直ぐに俺を射抜く。
「そ、それ本数の意味……?」
「う、うん……」
 二人とも首まで真っ赤に染めながら、俯いた。

「ご、ごめん。俺、シュウちゃんが最近疲れてるの分かってたのに、浮かれちゃって」
「ば……ばか、謝る事じゃねぇよ……。俺こそ、記念日……忘れてて」
 本当になんて詫びたら良いのだろう。
 沈黙が二人の間に流れたが、ふとそれをあいつが切った。
「これ……受け取って、もらえる?」
 そっと差し出されたのは、次は赤い色の薔薇の蕾が一つ添えられたビロードの、小箱。
 震える手を伸ばして受け取り、開けるとそこには銀色の指輪がペアで入っていた。
 もう耐えきれない涙をぼろぼろと零しながら、震える声で聞いた。
「あ、赤い薔薇の蕾の、花言葉は?」
 温かい手が頬に伸びて涙を拭う。
 優しく抱き締められ、ぽそりと花言葉が耳に吹き込まれた。
 それはまさに彼そのものの様な言葉で。
 けれど、そう言って貰えるのがとてもありがたくて、嬉しくて、幸せで。

「……受け取ってくれて、ありがとう」
「こっちこそありがとうだ、俺にも尽くさせろ大好きだバカ!!!」



(赤い薔薇の蕾の花言葉は、『あなたに、尽くします』)

 

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