ある村に一人、男がいた。
男は無骨で無口だった。
櫛を入れた事の無いようなごわごわとした黒髪に、余り目つきの良くない面立ち。
大柄なために、傍に立たれると威圧感が途方も無い。
村の者達は皆こそこそと「変人」やら「大入道」などと陰口をたたいた。
そんな男の職は絵師で、そのみてくれと分厚く太い指で描いたとは思えないほど繊細で美しい絵を描きあげた。
町ではそこそこに名が売れていて、暮すのに困らない程度の仕事はあった。
時は、春。
ガラリと立てつけの悪い戸を軋ませながら男が部屋に入ると、そこには既に先客がいた。
乱雑に散らかったそこは男の部屋だが、男は先客がいる事に大して驚きもしなかった。
「
先客は男を見て、にこりと微笑んだ。
線の細い、だけれどもすっとしなやかな芯の通った青年。
その青年を見て、男はむすっとしたまま頷き、そして思い出したようにそっと懐から何かを取り出す。
紫紺の布で包まれた小さな包みを広い手の平の上でそっと開くと、そこには細やかな細工物がちんまりと佇んでいた。
「わぁあ……凄い綺麗な簪ですね……!」
途端に青年は目を輝かせてそれに見入る。
男はまたもや何も言わずに頷くと、青年にそっとそれを渡した。
「やる」
「えっ」
青年が驚いたように顔を上げ、そして男の顔と簪を何度も見た。
「これを、僕にですか」
「ああ」
「いっ頂けませんよ、だってこんな綺麗な……。御堂さんいつもこんな風に僕に色々くださるけれど、僕は――」
「飴だ」
「はい?」
言葉を遮られて青年はきょとんと男を見上げる。
「飴だ」
「飴って……」
どういう意味ですか?と小首を傾げる青年に、先ほど布に包んであったそれを指さす。
「えっ……この簪?」
頷くと、青年は更に目を輝かせた。「食べられるんですか!?」と驚きと喜びに満ちた表情で、簪の形をした飴を弄繰り回す。
その表情をじぃっと見つめていた男は、抑揚の無い低い声で喋った。
「被写体をしてもらっている礼だ」
だから黙って受け取れ、と言外に伝えると、高価な簪などでは無く飴細工だという事で遠慮も無くなったのか、青年は嬉しそうに頷くと目線を再び飴細工に戻してそっと指で撫でた。
その表情はさっきまでの輝かんばかりの笑顔ではなく、微笑であったが、じわりと喜びが滲み出る、どこか慈愛に満ちた表情だった。
男はその表情を食い入る様に見つめると、絵筆を取った。
あれは何時の日の事だったか。
『こらこら、苛めちゃだめだよ』
その声に振り向いた男は、その声の主に目を奪われた。
どこか苦笑を交えた慈愛に満ちた微笑。それは性別を感じさせない仏の様な、とても暖かく柔らかい表情だった。
そう、言ってしまえば一目惚れだった。
悪戯ばかりをする村の子供達を勇めながら微笑を浮かべていたその青年に、衝動的に絵の被写体になってくれと無口な己に拍車を掛け、どうにか頼み込んだ。
それは傍から見れば、図体のでかい男が無言で脅迫しているかの様にも見えたが。
それから毎日、青年は男の庵に通っている。
初めは、ガチガチに緊張している青年の緊張をほぐす為に、いつぞや手に入れた南蛮のビードロの玩具を見せたのが始まりだった。
目を輝かせて見つめた後、それをやると言うと青年は慌てたが、こちらの押しに負けてその玩具を膝の上に乗せた。
そしてあの慈愛にあふれた様な表情で微笑んだのだ。
それが切っ掛けで、男は青年のために毎回何かしらを用意している。
甘い菓子に、見た事の無い花。綺麗な細工物。
先ほどの菓子も、実は町の老舗から取り寄せた物だった。
青年はそれを受け取ると、いつも目を輝かせ、そして一段落すると膝にのせて微笑を浮かべながらそれを優しく指で撫でる。
それは菓子であってもそうだ。すぐに食べるのでは無くその造形を楽しみ、慈しむ様に暫く手の上に乗せているのだった。
男は毎日、青年に次は何を贈ろうかと固い頭を捻らせた。
毎日毎日、小さな、ささやかな贈り物を。
それは絵を描くためでは無く、ただただ彼を喜ばせたかったのだ。
長い期間を経て、漸く絵が完成するといった時、男は贈り物を用意出来なくなった。
金が無い訳では無い。もう、あらかた青年に贈ってしまったのだ。
隣町から、そのまた隣町からと取り寄せたり、人から買い譲ってもらったりと色々な物を青年に贈り、もう青年に贈って無い物が無いのだ。
余り大きな物や、高価な物は青年は受け取ろうとしない。
それどころか最近は受け取ってもらっても、余りあの笑顔を見れなくなってしまっている。
差し出しても、困った様な笑みを一つ浮かべるだけなのだ。
男は困った挙げ句、手ぶらなのは心許ないと道端に咲いていた白い花を一輪摘んだ。
いつもの様に、絵の具の買い足しから戻ると庵に青年がいた。
いつもの様に、いつもとは違う、ただの花を手渡す。
それをそっと無言で受けとった青年に、男は早くも後悔していた。
ごまかし程度の物ならば贈らない方が良いに決まっている。
緊張で無意識に握る手に力が入っていたのか、少し萎れた花は今までのどの贈り物よりみすぼらしく見えた。
「この花……」
青年の指が花弁を撫でる。
「もう、咲いたんですね」
春ですね、と微笑むそれは、あの美しい、男が好きな笑顔だった。
「……好きだ」
久しぶりに見たその笑顔に男がつられる様に呟くと、青年は目を一瞬見開き、頬を染めた。
初めてみる表情にますます男は魅入り、ふらふらと腕を伸ばすと、その身体を掻き抱いた。
言葉を突っかえ突っかえ紡いだ愛に見せた青年の笑みは、男が今まで見た中で一等美しい物だったという。
【追記】