ほのぼの甘/キス
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「……あ」
「うん?」
千佳が開いていた問題集から顔を上げ、今思いついた、というような声を出す。
ちなみに今は千佳の家で絶賛勉強会中だ。基樹は剣道部関係の活動があるらしく、今日は二人っきり。
それにしても良かった良かった。とうとう文法問題が解ける様になったか。確かにまあ、ウ音便とか意味わかんないもんね、あれ。
でも丁寧語、尊敬語まで出てきて最後のが出てこないのはどうなんだ。『謙譲語』だよ千佳ちゃん。ついでに漢字で書けるようになろうね。センターは記号だけどさ。
だけど千佳の口から出てきたのは、文法の答えなどでは無かった。
「そうだ、キスをしよう」
「……はい?」
「千佳、ちーかーちゃん。布団なんかに包まっても綺麗に染まった髪は見えてるぞー。おっとその包まり方まるで桜餅だ!やだもう千佳ちゃんかっわいー。……ほらほら、ぎゅーしてやるから出てこい」
宥め、煽て、ゆさゆさと布団を揺さぶる。
あの不思議発言はどうも思わず口にしてしまったようで、ぽつりと呟いた直後、千佳はみるみる内に真っ赤になって、奇声を上げながら自分の布団を被ってしまった。
「いや確かに『そうだ、京都行こう』みたいなフレーズだったけど、大丈夫。俺千佳ちゃんの不思議発言慣れてるし!」
「フォローになってないー……!」
びしっと布団に親指を突き立てると、布団が跳ねあがって半泣きの千佳が現れた。
そのままの勢いで抱きつかれる。
「うぉお!」
「……ぎゅーってシてくれるんでしょ」
拗ねたような声にそれに釣られたのかと苦笑して、腕を背中に回して力を込める。
柔らかい髪が頬に当たって気持ちいい。
「なぁに、千佳ちゃんキスがしたいの」
「だ、だって、オレ達付き合ってんのに、こう、恋人みたいな空気になんないじゃん!一緒に学校行って、昼飯一緒に食って、休み時間一緒に過ごして、一緒に帰って、時々たまにどっか寄り道して、んで勉強して!」
「……俺達案外一緒にいるよね」
今更だけれど大抵の時間を共に過ごしている事に気づいた。
休日もなんやかんやで一緒にいるし、もしかしたら離れている時間の方が短いんじゃないかとさえ思える。
「……う、だけど、俺が言いたいのはそうじゃなくて、甘い空気になりたいんだってばぁ……。本音言うとエッチしたいけど、初めてのリュウにいきなりスるのヤなんだもん……。大切にしたいし、嫌われたくないし……」
もじもじと照れながら喋る、目の前の可愛い生き物をどうにかしてくれ!
いや、可愛くても男なんだけどね!俺より遥かにモテて、おまけに背も高いけどね!
「お、おう……お気遣いどうもありがとう」
「だってリュウ、彼女経験無いし?キスも多分オレの調べではしたこと無いし?そんなリュウにさ、男のオレが突然キスしたらびっくり且つひいちゃうんじゃないかなぁとか、オレ多分キスしたら止まんなくて舌入れちゃったりするからそしたらリュウ死んじゃうでしょ?」
「ストーップ!!確かに俺経験無いけど、何なのその配慮!気ぃ使いすぎだよ!むしろバカにしてんのか、彼女いなかった歴イコール年齢の俺をバカにしてんのか!」
「そんなこと、ぶふっ、ないよー」
「バカにしてたぁああ!!」
呻く俺の首に千佳の腕が絡み付く。顔を上げれば、何だか色っぽい目つきで鼻と鼻が触れる近さから見ていた。
「……ね、シちゃだめ?」
何だか甘いミックスベリーの香りがしているのは、さっきガムを噛んでいたからなのか。
あれだろ、噛むとふにゃんふにゃんのやつだろ、美味しいよなアレ。
千佳ちゃんならこれが口臭ですって言っても通じそうだよね。
「……ちょっと、聞いてるぅ?」
「えっあっ?」
「うー……」
恨めしそうにこっちを見た後、千佳が拗ねたように顔を反らした。
「ち、千佳ごめん、ごめん。キスだっけ?キスだよな!良いぞ、シよう!」
「良いよ、もう……」
「いやいや、良くねぇだろ!」
布団を抱きながら膝を抱え込んだ千佳は、完全に拗ねてしまっている。
この状態になると、中々機嫌を直してくれない。
(……今回は俺が悪い、よな……)
色々千佳なりに考えて、男と付き合わせていると引け目もあってか我慢してくれていて……。
悶々と考えている千佳を想像したら、何だか愛おしい気持ちがどっと胸に溢れてきた。
その気持ちに突き動かされるまま、千佳に腕を伸ばす。
「なぁに……別に、んっ」
そして、頬を両手で挟むと唇を重ねた。
……うん、重ねただけね。だってこれ以上の仕方分かんないからね!
思い切りキスして歯がガツッて当たらなかっただけマシだと思って……!
今更ながらとんでもなく恥ずかしくなってきて、頬を挟んでいる手が小刻みに震えてくる。
恐る恐る唇を離すと、ぽかんと口と目を見開いている千佳と顔を合わせた。
「……あのな、別に男同士だからとか、そういうの……考えなくて良いから。
千佳と基樹の告白受け入れた時から覚悟は出来てるし……言っておくけど突っ込まれる覚悟ももう出来てんだからな。それにな、気付いてないかも知んないけど、俺案外好きなんだぞお前達のこと――ってうわぁあ!?」
言い終わらない内に近づいて来た千佳にベッドの上に押し倒され、ついでに眼鏡も奪われる。
眼鏡が無くても結構見えるので、取り上げられても余り支障は無いが……。
「ち、ち、ち、千佳ちゃん?」
俺に馬乗りになった千佳ちゃんに声が裏返った。
え、待って、千佳ちゃんはあれだよね、抱かれたい人だよね、今から俺掘られるんじゃないよね!覚悟は出来てるって言ったけど、ちょっと展開早くてついて行けないかな!
「……っああ、もう!何でそんなに恰好いいのさ!!」
「は?」
「やめてよ、オレもう、どんだけリュウに惚れれば良いのっ」
ほら、分かる!?と導かれた右手は千佳の左胸に持って行かれて。そこから伝わるバクバクという心臓の音は、まるで全力疾走した後のようで、手の平を通じて俺まで脈が速くなる。
「ちょ、バカ、離っ、移るだろうがっ」
「移るって何さ!むしろ移れ!オレだけこんなドキドキしなきゃいけないとか、おかしいし!!」
「うわぁああバカ野郎、抱きつくな!!」
「……ただいま」
ぼそっと耳に入った低い声に、思わずびしりと二人とも固まる。
ギシギシと軋む首でドアの方を向けば、そこには笑顔の基樹がいて。
あ、そういえば部活終わったら直接こっち来るって言ってたっけー……なんて思い出して、引き攣った笑みを浮かべた。
「あー、えっと……オカエリナサーイ」
「も、基樹、待ってね、ちょっと話を……」
「千佳」
「はいっ」
「ただいま」
「おおおかえりなさいませ」
「とりあえず……座ろうか」
俺の前に、正座で。と笑みを浮かべた基樹は、正直漏らしそうなほど怖かった。
「え、えっとさ。そろそろ基樹、許してやんね?」
話を聞く限り、千佳が俺を押し倒していた事に怒っている訳でもなく、自分がいない時にそういった事をした事に怒っているみたいだ。
ちなみに、なんかそういう事になる時は二人がいる時じゃないとダメ――みたいな約束をしていたみたいだ、二人で。なんだそりゃ。
「グスッ、そうじゃなくて、リュウの『初めて』の時は二人一緒にいるって約束したんだよ」
「へぇ……って、何で考えてること分かったし」
「口から駄々洩れだったぞ、隆二」
「あらやだ、恥ずかし」
おどけてみせると基樹の顔が少し緩んだ。
ああもう、コイツはホント真面目だからこうやって誰かが空気を変えないとずっと同じ空気になっちゃうもんな。まぁそれが基樹の性格だし、悪いとは別に思わないが。
「じゃあ隆二、キスしてくれ」
「へ?」
「そうしたら千佳を許すから」
それ俺関係無くね?と一瞬思ってしまったが、項垂れる千佳は可哀そうだし、何より基樹にも機嫌を直して欲しい。
「……ずるいだろ、千佳だけは……」
ぼそっと呟かれた一言は、あの基樹が言ったにしては随分可愛らしい内容で、思わず破顔しながら基樹に顔を近づけて唇を重ねた。
ふわっと触れるか触れないかの稚拙なキス。
「んっ!むぅ!?」
だったが、途端に後頭部に手を回され、顔を固定される。
びっくりして僅かに開いた隙間から、ぬるりとした物が入ってきて舌に絡んだ。――って、舌!?
それが歯列をなぞり、上顎を擽り、舌をつつく。
息が苦しくなって基樹の短い髪に指を絡めると、引っ張って抗議をした。
基樹の口が離れて、ぷはっと息を吐く。
「鼻で息をするんだ。俺の舌の動きを真似して……それと、髪は引っ張るな、痛い」
笑い混じりで囁かれ、もう一度唇が重ねられる。
教え込むようなゆっくりとした舌の動きを、おそるおそる真似して、ちょんっと基樹の舌に触れると、褒めるように舌が撫で返してくれた。
鼻で息をするのにはコツがいるが、慣れると、その……気持ち、良い。ような気がする。
基樹の舌を伝って流し込まれる唾液を、促されるまま喉を通し、腰が砕けそうな甘い空気にとろりと意識が蕩けそうになって……。
「ず、ずるいよぉお……!!」
べしゃりと千佳が背中に引っ付いて来て、口が離れた。
何だか涙混じりで鼻を啜っている。
「オレ、ただのキスだったのに!ディープしてもらってないのに!そんな見せつけるみたいにいっぱいシなくたって良いじゃんかぁ!」
「馬鹿、お仕置きだ」
「そりゃないよぉ!!」
俺を挟んで喧嘩をする二人に苦笑を零しながら、千佳の頭を撫でる。
そうすれば基樹も頭を摺り寄せてくるもんだから、苦笑を深めてもう片方の腕でその頭を抱えた。
「じゃあ隆二、千佳で今ならった事のおさらいな」
「はい?」
「基樹……!」
「次からは絶対俺もいる時にしろよ」
「うん!」
「ちょ、ちょっと、当事者抜きで話を進めるの止めてちょうだいな!?」
俺の言葉は二人に届くことなく、ほらほら早く!と長い睫を閉じて待っている千佳に笑い混じりの溜息を吐きながら唇を重ねた。
- 終 -