この身捧げても | ナノ


北極星

甘々
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 目を閉じる。
 視覚からの情報を遮断する。
 そこは真っ暗だ。

 だから耐えきれずにオレは目を開けてしまう。




「喜一の絵は綺麗だよな」
「そう……?」
「ああ」
 ミネが美術室の窓際の低いロッカーに腰掛けて、紙パックのジュースを啜る。
 放課後の夕日が、ミネの背後の窓から橙の光を投げ込んできてきた。
 この学校は生徒は全員なんらかの部活に所属しなきゃけないから、オレは美術部に入っている。幽霊部員に等しいのだけれど、気が向いたらこうやってちまちまと絵を描いていた。
「これとか特に」
 ミネが指さすのは油絵具で描いた灰色で暗い絵。
「何を描いてるか俺にはわかんねぇけどさ。ただ、綺麗だっては思う」
「……そっか」
 ミネのこういう感想がとても心地良い。自分の見解を押し付けず、ただあるがままを受け入れてくれる。
 的を外れた見解はオレは酷く虚しくなってしまうから。
 ――ああ、この人には伝えきれなかった……と。
 ミネは自分の感想で言ってくれる。
 これは綺麗だ。こう感じた。こう思った。
 それは個人の受け取り方で、オレが口出せる物じゃない。
 もちろん見解だってそうだ。
 伝えきれなかったのは自分の力不足であって、相手を責めることなんて出来ないし、するつもりもない。
 見解と、感想。
 同じだと思う。いや、同じなんだろう。でも紙一重で何か違う気がする。
 ただ、とにかくオレにとってミネの言葉はとても嬉しい物なんだ。
 それはミネだからというわけではないと胸を張って言えない。色眼鏡を通しているだけかもしれない。オレに他人の酷評を受け入れるだけの強さが無いだけかもしれない。
 色々考えて、でも答えが出なくて、分からなくなって。オレはミネにふらふらと近寄るとぼすりと胸の中に倒れ込んだ。
 それをしっかりと受け止めてくれるミネの腕の中で、すり……とシャツに鼻を擦りつける。
 ジュースは飲み終わったのか、ぐしゃりという音と腕が勢い良く動かされる感覚で、紙パックがゴミ箱に投げ捨てられたのだと察した。
 両手が開いたミネが、優しく髪を梳いてくれる。
「喜一は何で絵、描くんだ?」
「……うーん……」
 胸一杯にミネの香りを吸いこみながら言葉を選ぶ。
 オレの言葉をずっと待ってくれているその沈黙が凄く心地良くて安心する。
「……ミネに……見せたいと思った……うん。そう。見せたいと思ったんだ」
「……俺に?」
「そう」
 目を閉じて笑みを浮かべた。
 ミネに言われて嬉しかった言葉の一つを口にする。忘れられない、嬉しい言葉。
「『お前はどんな風に世界が見えているんだろう。どんな風に感じているんだろう。俺にそれが見れたら良いのにな。多分、それはきっと俺が今みている世界よりずっと綺麗なんだと思うんだ』って――」
 そうミネがオレに言ってくれたから。
「オレが考えている事に興味を持って、それに耳を傾けて、受け止めて……。『綺麗』だなんて言ってくれた人はミネが初めてだったんだ……」
 凄く嬉しかった。オレの価値を認めてくれたようで。
「だから、絵にしようって……上手く表現出来ないけど、オレなりに……ミネに……伝えたいから。……ごめん。まだ上手くオレには伝えられない……」
 けど、オレ、頑張るよ、と言った瞬間に思いきり強く抱きしめられた。
「むぐっ」
「あー……っ何ソレ。すっげぇ嬉しい……」
 ぐっぐっと何回も腕を絞められて、何度も鼻がミネの胸に押しつぶされる。
「やっべ、やっべ……っ今までで二番目くらいに嬉しい」
「ぶは、……一番は?」
「喜一が告白したのをOKしてくれた時」
 当たり前の様に言ってくれるミネがとても愛おしかった。
 無言で抱きしめ合うこの時間が大好きだ。服越しに伝わる熱と確かな身体の感触が、言葉以上に語ってくれる気がして。
 それを体中で実感しながら、ふと以前からずっと言いたかった事を口にした。
「ミネ、あのさ……オレ……」
「うん?」
「ミネ、を描きたいんだけど――……」
「俺を?」
 顔を上げると、灰色がかった瞳が驚いた様に開かれていた。
「……うん」
「それはモデルをしろって事か?」
「う、うん……でも、その、普通にじゃなくて……その……」
 本当にこんな事言っても良いのか分からない。
 いや、何度もしている事なんだけど、やっぱり違う様な気もする。
 黙り込んだが、ミネに促されておずおずと口を開いた。
「……ミネ、の……裸を触らせて下さい」
 口にした途端、なんだか凄く変な事を言ってしまったような気がして赤面してしまう。
 いや、そういう意味じゃないんだけど、ただ純粋に触らせて……っていうか。何言ってんだろう、オレ。と顔を覆う。
「分かった」
「え?」
 顔を上げると真面目な顔をしてミネが上着を脱ぎ始めていた。
「え?え、いいの?ていうか、ここで?」
「良いも何も何回も晒してんだから良いじゃねぇか。それに絵、描くんだろ?」
「う、うん。でも見ながら描く訳じゃないから、ここじゃ無くても……」
「そうなのか?」
 既に上を全て脱ぎ終わってベルトのバックルに手を掛けていたミネが首を傾げた。
 その引き締まった綺麗な上半身にいつもの情事を思い出してしまって、小さく身体の奥に熱が灯る。
「……う、ん……でも、そこまで脱いじゃったし……ミネが良いなら……」
「わかった。この時間帯なら人も少ねぇし、良いんじゃね?」
 そう言って、ミネは下着ごとズボンを抜き去って全裸になった。その潔さに少し感服する。
「どうする?どういう風にしたら良い?」
「え、っと、じゃあ……さっき座ってたとこ、座って」
「ん」
 ここは四階だし、外から見えるという可能性も少ないと思う。
 それに普通の位置より高い所に座ってくれた方が、オレもやりやすい。
 全裸で静かに座っているミネの傍に近づくと、目を閉じて手を伸ばした。
「あれ?見ねぇの?」
「あ、うん……」
 手を伸ばしたのはミネの腹部。さっき服を通して感じていたミネの身体の感触を、指先から直接感じる。
「ミネの肖像画を描きたいんじゃなくって、ミネをモチーフっていうの?にして、描きたいから……」
 そのままゆっくりと手を上に滑らす。
 引き締まった筋肉、張りの良い肌、暖かい体温、それを手の平いっぱいに感じた。
「ホムンクルス、って知ってる……?」
「……知らねぇ」
「難しいことはオレにはわかんないんだけどさ。人間の、感覚の鋭い所は大きく……鈍い所は小さく、表した区分表?みたいなのらしくって……その絵、見た事があるんだ。人間ってね、凄い手の感覚が鋭いんだって……」
ここは胸の辺りだろうか。ゆっくりと脈打つそれを筋肉を隔てて感じる。
「目、ってさ……騙されやすいから」
 見えない物が見える。
 長い物が短く見える。
 真っ直ぐな物が歪んで見える。
 色だって定かではない。
 得ている色というのはその物体が反射している色だとかなんだとかいう話だ。
 その理屈は分からないけど、ならばもし白色の物体が赤色を反射していたらそれは赤色に見えてしまうと言う事なのだろうか。
 何が本当かわからないけど、この感触さえもしかしたら違うのかもしれないけれど。
 ただ、目から得た情報よりもこっちの方が信じれるのは確かだと思った。

 ミネも喋らない。オレも喋らない。
 沈黙の中、ミネの存在を確かめるようになぞっていくのはまるで何かの儀式みたいに思えた。

 肩の広さを手を滑らせて、喉に手が掛る。
 硬いような、でも押し潰せてしまいそうなその物体を優しく撫でると、顔に移った。
 指先で唇を少し押し、頬を両手で包む。
 閉じられた瞼を指でなぞり、鼻の輪郭を辿る。
 耳の位置を確かめ、指触りの良い髪に指を潜らせた。
「……何、泣いてんだよ」
 沈黙をミネが破った。
「……ふ……っ」
 閉じたままの瞼の下から熱い物が滲み出て頬を伝う。
「き、きれいだなぁ……って……っ」
 なんて綺麗なんだろう。どうして綺麗なんだろう。
 確固としてそこにあって、誰よりも光り輝いて、オレを導いて。
「あり、がとう……っ」
 ありがとう。オレを導いてくれて。
 ありがとう。オレの傍にいてくれて。
 ありがとう。ありがとう。大好きです。

「う、ふ……っうう……っ」
「馬鹿、そんな事で泣くなよ」
 すこし掠れた笑い声と共に上から何かが滴ってきた。
 それは俺の涙と混ざり合って頬を伝う。
「だい、すき……っ」
「……ばぁか。俺もだ」

 だから目を開けない。もう目を開けない。
 ここに光はあったんだ。




 それから間もない内に、美術室に一つ絵が飾られた。
 それは一面の藍鉄色の中にポツリと輝く一つの点。それだけ。

 ただそれだけだったけれど、とても満ち足りた絵だった。




- 終 - 
2011.01.31


 

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