ミネが喜一と付き合うまでの話。
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だるい。面倒臭い。鬱陶しい。
高校に入学して早々、俺は既に飽きていた。
毎日毎日同じ事。
中学も高校も、周りにいる奴がちょっと変わっただけで中身はちっとも変わらない。
――ああ、つまらない。
勉強だって、要はどれだけ要領よくやるかの問題だ。
何処が大切で、何処が必要無いかを見極めて後は叩きこむ。それさえ掴んでしまったらただの作業へと変わる。
喧嘩もそうだ。
殴る、相手の位置を把握する、跳ぶ、蹴る、また殴る。
つまらない日々に溜息を吐いて、それから逃れる様に保健室へと向かった。
「ねぇキミ、何度目?」
「うっせぇな」
気だるげな表情で、名前を記入する用紙を差し出した保健室の先公に舌打ちを返す。
ここに来ると、コイツと多少なりとも口を聴かなければいけないハメになるが、その代りに柔らかい布団と枕がある。
他の所でサボっても良かったが、今日はちゃんとした所で寝たい気分だった。
コイツは鬱陶しいが、必要以上に絡んでくることも無いから、ベッドの誘惑と面倒臭さを天秤に掛けると、大抵ぎりぎりでベッドの誘惑が勝ってしまうのだ。
「三限まで寝る。起こすなよ」
色々と言いたいことを含んだような鬱陶しい視線を無視し、いつも使用する窓際のベッドに向かうと、白いカーテンで周りを遮断した。
『……ハナちゃん』
そっと囁くような声に、ふと目を覚ました。
心地良い浅い眠りから引き揚げられた不快感が胸の内に広がって、眉間に皺が寄る。
(――……っち、誰だよ。)
眠りを妨げた見知らぬ相手を小さく罵倒し、保健室独特の薄い布団を身体に巻き付けて寝返りをうつ。
『ああ……よく来たね。どうしたの』
『うん。……昨日、眠れなくて』
『……そっか。寝て行く?』
『ううん』
ぎしりと軋む音と錆びた金属音から、保健室を訪ねた人物が椅子に座ったのだと想定出来た。
『変な夢でも見た?』
(――……ただのゲームのしすぎだろ。この年の高校生の寝不足なんてよ。)
阿保らしいと小さく鼻を鳴らす。
それよりかさっさと帰ってくれ。寝れないだろうが。
『んー……違くて』
ふと、先公と話をしている相手の声が耳に心地よい事に気付いた。
のんびりと間延びした、でも不快で無い話し方。
『あのさ。寝る前に電気を消すでしょ?』
(――……まあ、そうだな。)
思わず心の中でその声に相槌を打つ。
『で、目を閉じると真っ暗じゃない……? ……でも、目を開けても真っ暗なんだよ』
……一体どんな奴がこんな話をこんな風に話しているのか気になって、ベッドの上で身を起こした。
ほんの少し開いているカーテンの隙間から見えるだろうかと身を乗り出したが、場所が悪くて鬱陶しいアイツしか見えない。
カタン、と音がして、喋っている奴が立ったのが分かった。
『オレ、目を閉じた暗闇と、電気を消した暗闇と、どっちが暗いのかわかんなくて……』
アイツの顔に手が伸ばされて、片手でその両目を覆った。
アイツはといえば、穏やかな表情でなされるがままにしている。
『いつの間にか、目を閉じているのか、開いているのか曖昧になって、さ』
目を覆うその手が酷く綺麗に見えたのと同時に、覆われているアイツがとても羨ましくなった。
『こうやって目を閉じても、瞼の裏を見ているだけなのかなぁ……って』
……そしたら、目はいつ休むんだろうかなんて思って、寝れなくなった。と言った後、するりと手が離れる。
『ハナちゃんは分かる?』
「さあ……俺にも分かんないな……」
慈しむ様な眼差しで、先公が手の引っ込んだ方を見つめた。
『そ、っかぁ……』
残念そうな。でもほっとしたような響きを纏って声が遠ざかる。
「もう良いの、喜一。寝なくても」
『……ん。この話、したかっただけだから』
こんなの、ハナちゃんくらいにしか話せない。と声が低く笑った。
それは自嘲を含んでいて。
まるで綺麗な輝きを放つ宝石が、自ら『自分はなんの価値も無いただの石だ』と言った様な、そんなわけのわからない寂しさを俺に感じさせた。
――そんな事は無い。お前は尊い。
そうやって自身の価値を伝えてやりたい衝動に駆られた。
「……寝れなかった日があったら、またおいで」
キイチと呼ばれた男が一体どんな奴か気になって、どうしても見たくてカーテンに手を掛けて思いきり開けた。
シャッ
小気味良い音を立てて開けた視界には、先公しかいなかった。
「あ、……い、ま、誰がいた?」
「……誰って、生徒だけど」
「名前を聞いてんだよ!」
怒鳴った俺に保険医の眉が寄る。明らかに煩いと言っているその表情に腹が立つ。
「名前って……確か君のクラスと一緒だよ。知りたいならすぐ分るでしょう」
「俺の……?」
そんな奴いただろうか……と頭を巡らす。あんな不思議な事言う奴……。
「というか、もう三限始まるから。三限までなんでしょ、早く行きなさい」
犬猫を追い出すかの様に手を振りながらそう言われて、とうとう俺は先公からあの声の主の事を聞き出せなかった。
三限が始まるギリギリにクラスに戻り、席に着く前にぐるっと辺りを見渡した。
教科書を用意する奴、机に突っ伏している奴、まだ談笑を続ける奴。殆ど、いや全員名前を知らない。
隣の席の奴は本田だったか?本川だったか?
この中から『キイチ』という男を見つけるには名簿が必要だろうと溜息を吐いた。
授業中ずっと『キイチ』の事を考えていた。
……不思議な考え方をする奴だった。
もっと話を聞きたい。俺の隣でそんな風に話して欲しい。
今まで感じた事の無い想いがぐるぐると胸の内を回って、教科書の内容も、先公が言ってる事も頭の中に入って来なかった。
入って来なかったのだが。
「――さわ。……ら沢。倉沢喜一!」
流れるように展開されていた授業が淀む。
でもそんな事よりも、呼ばれた名前に息が止まりそうになった。
『キイチ』
物凄い勢いで顔を後ろに向ける。後ろの席に座っていた男が驚いて目を見開いた。違うお前なんかじゃない。
走らせた目に入ったのは、一番窓際の席で照れた笑みを浮かべて立って教科書を開く、一人のクラスメイト。
「はい。……えーっと…」
「〜〜っ!七十八頁の二十一行目だ!」
「すみません……」
小さく謝罪を口にした彼を、食い入るように見つめる。教科書を持ち上げる指は白く、茶色の髪が窓から入って来た風に微かに揺れた。息を詰めてその次を待ちわびる。
「―――【しかし前にもいった通り、私はこの一言で、彼が折角積み上げた過去を蹴散らしたつもりではありません。かえってそれを今まで通り積み重ねて行かせようとしたのです。それが道に達しようが、天に届こうが、私は構いません】……」
静かに指示された箇所の音読を始めた『キイチ』の声に、安堵のため息を吐く。
――見つけた。
俺はその時、はっきりとそう思ったんだ。
それからという物、事あるごとに俺の目はキイチを追いかけた。
まだ一ヶ月しかたっていないというのに、クラスの中で『変人』という評価をされた彼。
理由は、何もない窓の外をずっと無言で眺めている。話しかけても返事が遅く、時々意味の分からない事を言うから。
『……ああ、あいつ?あいつは昔っからそうだったよ』
同じ中学の奴に聞いたら、鼻で笑いながらそう話した。
でも、俺はそこに何故か惹かれる。
休み時間、他の奴らが騒いでいたり、ジュースを飲んでいる間、キイチはじっと外を眺めている。
それは外に行きたい、他が煩い。という排他的な物では無く、もっと興味のある物が外にあるからという体だった。
そんなキイチを俺は見つめる。
ふとキイチが小さく目を見開き、その後小さく微笑む。その笑顔に一瞬釘付けになって、すぐにその目線を追って外を見る。でもその先には何もないように俺は思えた。
――あいつが何を見て、何を思って、何を感じているのが分からない。それが酷く悲しく、知りたいと渇望した。
この気持ちが恋だの何だのという想いなのだと分かっていながら、ただずっと見つめるだけだった。……だって俺は男で、あいつも男だから。
だから、見ているだけにしようとずっと思っていた。
「よぉ、悩める青少年。どーした」
部活が終わり、溜息をつきながら着替えていたら首に腕が絡みついて来た。その明るくも柔らかい声に更に溜息が出る。
この学校で数少ない一応尊敬できる人の一人だが、今はただ鬱陶しい。
喜一に一目惚れをしてからそろそろ一年……何故俺はこの人にその事をぽろっと言ってしまったのだろう。
「駄目だって、溜息ついちゃ。幸せ逃げるよー?はいはい吸って吸って」
その台詞と共にぱたぱたと目の前で扇がれるが、その手を片手で叩き落した。
「アンタの所為です」
「え!片思いって俺の事?ごめんなぁ、気付かなくって。そしてすまん。お前は確かに良いオトコだと思うけど先約がいるんだわ。これが」
「誰がアンタが好きだなんて言うか」
ぎりぎりと奥歯を噛む。
この学校では何か一つ部活に入らないといけないのだが、のらりくらりと勧誘の手を逃れて一年すごしていた俺をこの部活に引きずり込んだ張本人。
一ヶ月に一回でも良いから出てくれと言われて仕方無く出ている。
「まあ、俺の事は無きにしも非ず」
「絶対に無い」
「可愛くない奴め。……まあ、俺では無くても。恋の悩み故の溜め息なんだろ?」
にっこりと満面の笑みを向ける戸川先輩は気持ち悪い。
「……なんでそんなに嬉しそうなんスか」
「えっ?いやぁ何か初々しいなぁっと」
俺は何か初々しさすっ飛ばして熟年夫婦みたいな関係だったからさぁ。と言いながら先輩は腕まくりをした。
「さぁさ。言ってみ言ってみ。俺が相談に乗ってやるよ」
いつもはありがたいその思いやりも今は迷惑なだけだ。苛立たしげに前髪を掻きあげる。
「どうした?百戦錬磨とは言わないけど、ある意味俺は経験者」
「……だとしても、一年も話した事無い奴に片思いした事ありますか」
「片思いは知ってたけど、話してもないのに一年か!そりゃあ経験無いわ」
わお、と驚く先輩にさらに腹が立った。
(――自分は幸せですみたいな面しやがって……!)
苛立ちをぶつけるように俺は想いをぶちまけた。もうどうでも良い。男が好きだって知って、引けば良い。そして俺にもう構うな。
「おまけに相手は何考えてるのかわかんねぇし、むしろ俺の事知ってるかどうかも怪しいし、おまけに男……そんなの告ったって無理に……」
「ふぅん、そうなのか」
先輩が俺の話を聞きながら鞄から水筒を取り出して口につける。
「……は?」
(――え、全然ひいてねぇ。)
「あ、もしかして俺がびっくりしないからびっくりしてる?良いこと教えてやろうか。俺ね、恋人二人いんの」
「……は?」
「二人一緒に告白してきて、いっぺんに付き合えって言われた。因みに両方とも俺の親友」
「……はぁ」
「ついでに両方とも男ね」
「は!?」
「さっきから『は』しか言って無いよ、北見」
ごくごくと音を鳴らして先輩がスポーツドリンクを飲み下す。
聞いた話が信じられなくて、ポカンと口を開けた。
「だから北見が男好きでも俺は驚かないし、別に良いんでね?って思うよ。それが叶うかどうかは分からんけどね」
飲み干してしまったのか水筒を振る先輩。
「でもさ。俺達みたいな関係がなりたったんなら、相手が男だろうがなんでもいけそうな気がしない?」
ほら、お前の場合、一人だし。と笑い声を上げる先輩に毒気を抜かれた。が、ぴたりと笑いを止めてこちらを向いてきたので、思わず身構える。
「とにかく話してみないと伝わる事も伝わらんし、分かる事も分からんと俺は思うよ」
その言葉に胸を打たれたと思ったのも束の間。
「あー昼休みがばがば飲むんじゃなかった。無くなっちったなぁ……よし北見、俺と勝負だ」
先輩は本当に残念そうに水筒を覗き込む。
完全に今までの話と違う流れになって、開いた口が塞がらない。
……そうだった。この人はこんな風にコロコロ話題が変わる人だ。
そんな風に相手を自分の流れに巻きこんでいく。そうやって俺も入部させられたんだった。
「罰ゲームとして勝った方の言う事なんでも聞くんだぞ良いか?」
「……たかがジュース欲しさに、アンタは何で後輩にたかるんですか……。……まあ……良いですよ。良い話聞かせてもらったし。じゃあバスケで……」
「ばっかでね!何で勝敗が見えてる勝負しなきゃいけないの!ジャンケンだ、ジャーンーケーン!」
「……後輩に勝つ気がしないってのはどういうわけっスか……」
俺は溜息をついて「出っさなっきゃ負っけよー」と腕を振り上げる先輩に付き合って、腕を振り上げた。
「もしもーし、着替え終わるの遅くなぁい?」
ガラリと音を立てて入ってきた人を見て、俺は抗議の声を上げた。
「せ、先輩おかしくないっスか、この人のジャンケンの強さ!」
おかしい。おかしすぎる。『先に十回勝った方が勝ちねー』と言われて頷いたものの、ストレートに十回負けてしまった。
別にジュースをおごるのが嫌だとは思わないが、いくらなんでもそんなのはおかしいと思って再挑戦してもストレートに負け続ける。
あいこも二回として続かない。おかしいだろ。
「あー何、ジャンケンで挑んだのぉ?そりゃあダメっしょ」
からからと先輩の友人が声を立てて笑う。
戸川先輩の友人の花園先輩。
あともう一人……は知らないのだけれど、その合わせて三人は学内でも有名なほど仲が良い。後、先生達からは「馬鹿トリオ」と呼ばれているとか……。
「オレでも勝てないもんねぇ」
「あらぁ、迎えに来てくれたのハニー」
「そうよぉ、早く帰りましょーダディー」
仲よさげに二人は冗談を良い合う。
「じゃあ俺はマイスウィートラバーで」
「何クソ、じゃあオレはマイキャラメルパフェー」
「あっまぁ!甘いよ、口の中が甘い!」
「へへ、オレの勝ちー」
……見慣れて入るが、馬鹿だ。
「じゃあ千佳ちゃん、口の中甘くなった俺にお茶奢ってー」
「ん、いーよー」
ん?
「先輩、じゃあ負けた俺は何をすれば良いんですか」
「ん?ああ、じゃあ北見は告ってきて」
「……は?」
「その好きな子のとこ行って、告って、ベタボレにしてきて」
あんまりな罰ゲームの内容に頭がついて行かない。
「こうでもしないと、話したことも無い相手に一年も片思いしてる奴が告白なんて出来ないでしょー」
自信満々にそういう先輩が小憎たらしい。
ああその通りだ。その通りだけど、まだ心の準備と言う奴が…。
「期限は明後日ね」
「明後日!?」
「何だよ、男ならこうポーンと告って、チューでもぶちかまして来い!」
「な、な、何……」
「あ、何、北見君告白するの?わー頑張ってー。オレでも成就したから大丈夫だよー。ねー」
「だよなぁ」
顔を見合わせて笑い合う二人を見て、何か引っ掛か……あ……。
「も、もしかしてアンタら……」
わなわなと震える指で二人を指すと、戸川先輩は小さく笑った。
「さっさと行って来い」
……まあそんなこんなで、幸せな事に喜一と付き合えている。
あれから三年は受験で部活に来なくなり、戸川先輩とも話合う機会もぐっと減った。それでもあの時の礼と、報告はきちんとした。
『ほらな、お前イイオトコだから。大丈夫だったろ?』
笑顔でそう言った戸川先輩の後ろで、仁王の如く恐ろしさで俺を見下ろしていた名も知らない先輩の顔が暫く忘れられなかった。あれがもう一人の『恋人』とやらに違いない。
先輩も大変だな、と思い出し溜息を吐く。
それにしても先輩にはお世話になった。今度喜一も連れて挨拶をしに行こうと思う。
「喜一」
「うん?」
「何見てんだ?」
彼のおかげで、今、俺は喜一の側に居れるのだから。
「ん?ミネ。ミネを見てた――……」
- 終 -
2011.01.15