物語の結末 | ナノ


▼ Ideal situation
 ――彼等が迎える結末。

 ぱちりと目を開くと、身を起こし、伸び上がる。
 ベッドから降り、いつものように椅子にかけていた服に着替える。
 部屋から出ようとしたところで足を引っかけ、よろめくが、転ぶほどではなかった。

 そのまま階段を降り、厨房に入るとポットをコンロに掛ける。
 湯が沸けば茶葉を入れ、茶色い液体をマグカップに注いだ。
 温かいマグカップを両手で持ち、部屋に戻る。
 そして、入り口付近にしゃがみ込むと、ゆっくりと小首を傾げた。

 これは一体なんだろう。
 何度目かわからない問いを胸の内で繰り返す。
 数日前からあるのだけれど、よくわからないのだ。
「マスター」
 呼んでみるが、返事はない。
「マスター」
 静かな動作でマグを床に置く。
「マスター」
 虚ろに開かれた瞳は、何も映さない。
「ラーシュ?」
 手を伸ばして揺さぶった身体は、ぴくりとも動かなかった。

 これはなんだろう。
 動かない体。
 それはただの肉の塊と同じだ。
 マスターの体の形をしているだけの、肉の塊。
 ああ、さっきから変な音がする。ポットを火に掛けたままだっただろうか。

 これはなんだろう。
 これが置いてあったのは、三日前からだ。
 それからマスターがいなくなった。
 呼んでも返事をしなくなった。
 一人で起きて、一人で食事をして、一人で寝ている。
 ああ、変な音が煩い。

 これはなんだろう。
 マスターはどこに行ったのだろう。
 これは、ああ、この音は、耳が割れそうなこの音は、一体――。
 漸く僕は、それが自身の喉から発せられている音だと理解した。

「ああああああああああっ!!」
 これはなに。
 この空虚さはなに。この喪失感はなに。
 この感情は一体なに。
 これが死だというのだろうか。こんなあっけなく、こんな簡単に、失うものが。奪われるのが。
「ますたー、ますたー、ますたー、ますたー!!」
 こんな感情など知らない。
 こんな、抱くだけで粉々に砕けてしまいそうな感情など知らない。知らない。知りたくなかった!!
「どうして、マスター、どう、どうし、ラーシュ、なんで、なんで!! これは、なに、これ、なんですか、マスター、マスター!!」
 喉が、限界を超える音を発する。
 びしり、と体に罅が走るのがわかった。
 音で体が壊れていく。
 いやだ。いやだ。どうして、僕を独りにしたんですか。どうして、なんで。こんなの、いやだ。

「僕もつれてってぇっ!!!!」

 そう絶叫すると同時に、バツン、と砕かれるように僕の意識が消えた。




「うへぇ……気味が悪ぃ……」
 顔を顰め、男が手に持った明かりで辺りを照らす。
「おい、足元に気を付けろ」
「わかってるよ。……それにしても取り壊しの前の確認って必要かね……面倒だろ、そのまま壊しちまえば良いのにさぁ……」
「こういう場所に無断で住んでる人間もいるからな。そういうのがいたまま取り壊しでもしてみろ。そっちの方が面倒だぞ」
 窘められた男は更に顔を顰め、「もう既に壊れているようなもんじゃないか」と呟きながら天井を見上げた。
 至る箇所に穴が開き、水漏れや黴で腐食が激しい。このまま放っておいても、いつかこの屋敷は崩れるに違いない。
「……ダメだな、この部屋だけ開かない」
 ドアノブを捻っていた同僚は、眉間に皺を寄せ、首を横に振った。
「どれ、かしてみろよ」
 乗り気ではなかったとはいえ、仕事であることには変わりない。男は同僚が何度も捻っていたドアノブを握り、体ごとぶつかってみた。
 バキリ、と音が鳴り、扉が開く。
 どうだ、とばかりに後ろを振り返れば、呆れた顔の同僚がこちらを見ていた。
「こういうところでしか役に立たないからな、お前は」
「礼ぐらい言えってんだ」
 むくれた男が部屋の中を明かりで照らし――そして腐臭に気付くと同時に、絶叫した。
「うぎゃあああっ!!」
「どうした!?」
 ガタン、と激しく明かりを取り落とし、同僚の問いに男は震える指で部屋を指した。
「ゆ、ゆ、幽霊……!!」
「幽霊だ?」
 男の怯えようにも構わず、同僚は部屋の中を覗き込み、そして、ああ、と一つ唸った。
「――死体だな」
 随分前に死んだのだろう。腐臭すら残り香になり、白骨化してもう原型を留めていない。
「ちげぇよ! そ、その奥!」
「うん?」
 男に言われるがまま奥を照らし――一瞬息を呑んだものの、同僚は、なんだ、と呆れた声を出した。
「ただの人形じゃないか」
「に、人形……?」
 恐る恐る男は同僚の後ろから顔を出し、部屋の中を覗く。
 白骨化した死体の横に、目を見開き転がっているのは、確かにただの人形だった。
 緻密な造りをしているが、人間と見間違えるほどではない。なにより、劣化の所為かはわからないが、縦横無尽に罅が入っていた。
「な、なんだよ、脅かしやがって……」
 怯えてしまったことへの恥ずかしさが一周回って苛立ちになり、男は乱暴は手つきで放り投げた明かりを拾った。
「この部屋で最後だったろ! もう帰ろうぜ!!」
 苛立たしげに男は同僚を振り返るが、同僚はじっと死体と人形を見つめている。 
「なんだよ」
「……いや」
 男の問いに、同僚は静かに何でもない、と返す。

「ただなんとなくさ。この人独り身で、人形を傍に置いていたんだろうか、って思うと――寂しいな、って思ってさ」



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