童子の夜 | ナノ


鶴の恩返し

強面攻め/敬語受け/R18
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 ドンドン ドンドン

 誰かの訪問を告げる音に草鞋にするための藁を叩いていた手を止め、立ち上がる。
 年の終わりも間近。米やら何やら、必要な物をきちんと揃えた年越しをするために寝る間を惜しんで働いているが、収入は雀の涙。
 最近の大幅な出費も重なり、米を用意するのもやっとかもしれない。
 訪問を告げた戸に手を掛けながら後ろを振り返り、まだ沢山ある藁の山を見て溜息が出た。
「はい……何方どなたでしょうか?」
 がらりと戸を開けると
「恩返しを、しに来た」
 目つきの悪い、背の高い男がのっそりとそこに立っていた。




 先日、町へ向かう道中、雪の中で猟師の罠に掛った鶴を見つけた。

「これは」
 鶴の細い足にがっちりと罠が食いこんで血が滴っている。
 暴れ疲れたのか鶴はぐったりと身体を横たえていた。薄い黄色の目が恨みがましげにこちらを睨み、威嚇をするように身動ぎをしているが弱々しい。
「可哀そうに……」
 しかし猟師もこうしないと食っていけないのだ。可哀そうという安易な気持ちで獲物を逃してしまったら、猟師の食いぶちが無くなってしまう。
 でもやはり可哀そうなものは可哀そうだ。
 しばらく逡巡した後、懐から金を取り出し、手ぬぐいに包んで罠の側に置いた。
 鶴一匹に対してこれが妥当な値段。
 年越しの為の資金だったが、まあ命を助けたと思えば悪い気はしない。そうして罠に手を掛け、外すと常備している軟膏で鶴の足の手当てをする。
 鶴は手当てをされていると分かっているのか、静かに抵抗をせずにじっとしていた。
「良い子だね、もう罠にかかるんじゃないよ」
 最後にそっと白い翼を撫でて、鶴が飛び立つのを見届けるとその場を後にした。


「で、貴方は私が助けたその鶴だと仰るのですか…?」
 突拍子も無い話に胡乱な目付きで男を見てしまう。
 年越しには金が足りなくて泥棒が増えると聞く。この男も一風変わった手口を使う、そういう類の者ではないかと疑っても致し方無いだろう。
「そうなんだからそれ以外言いようが無い」
 出した茶をずずっと啜って男は目を伏せた。
「……あの金、年越し資金だったんだろう?」
「ええ、まあ……」
「すまなかった。俺達にだって、人間にとって年越しという物が大切な事だってことぐらい分かっている」
 横に広がる藁の山にちらりと視線を向けた後、申し訳なさそうに男は私を見た。
 薄い黄色の瞳は確かにあの助けた鶴と同じ色だった。
「だからどうだろうか。アンタが俺に出してくれた金の分、俺に返させてもらえないか」
 どうやら悪い人……まあ鶴なのだが。ではなさそうだ。
 例え盗人だとしても、うちには盗むものなど何も無いから関係無いといえば無い。
 返してもらえるというのなら、言葉に甘えさせて貰おう。生憎、それを断れるほど裕福ではないのだ。
「では、お願いします……」
「そうか、じゃあ」
 男はぐるりと視線を巡らせた。
「機織り機はないか?」
「機織り、ですか。母が使っていたものはありますが、糸はありませんよ?」
「ああ、それさえあればいい。あ、絶対中は見るなよ」
 機織り機が置いてある納戸を教えると男はそこに入り、戸を締め切ってしまった。暫くしてパタンパタンと織る音が聞こえて来る。
 手ぶらの様に見えたがもしかして糸を持参してきたのだろうか。
 そんな疑問を抱きながらも、そのまま草鞋を再び作り始めた。
 
 夜中もずっと機を織る音は響いた。
 煩くは思わない。むしろ懐かしいくらいだ。亡き母も夜中遅くまで機を織っていた。
 その音は私にとっては何にも勝る子守唄で、その日は深く眠れた。


 目を覚ましても機の音は続いていた。
 もしかして寝ていないのだろうか。
 不安に思い納戸の戸に手を掛けたが、男に言われた言葉を思い出して止め、戸の向こうに声を掛けるだけにした。
「おはようございます。寝てないのですか?」
「……いや、少し寝た」
「そう、なら良いのですが。朝餉、一緒に食べましょう」
「ああ」
 返事の後、部屋から男が出て、組み上げたばかりの井戸水で顔を洗っている間に朝餉の支度をする。
 貧しいので、本当に空腹を紛らわすような物しか出来ない。
 ごった煮のようなものを囲炉裏に掛けながら少し恥ずかしくなった。
「すみません。こんな物しか用意出来ないんです。あの草鞋が売れればもう少しましなモノが食べれるとは思いますが……」
「良い。俺らにしてみればご馳走だ」
 その言葉にそうか鶴だったな、と思い出した。
「鶴……」
 はっとする。
「貴方、私が助けた鶴だと言いましたよね?」
「ああ」
「足、直ぐに足を見せなさい」
 強く迫れば男は気圧されるように仰け反ると、紺の着流しの下から脚を見せた。
「そちらではなく、逆の足です」
 無言で嫌がる男を睨めば、渋々といった態でもう片方の脚を。罠に噛まれていた方の足を見せた。
「……っ」
 男の脹脛には目も当てられない程の怪我が広がっていた。
 鶴の時にあれほどならば、人間の姿になった時にはどれだけの傷かと思ったらこんなにも酷いとは。
「これは軟膏ではどうにもなりません……少し待ってください。獲り溜めた薬草がある」
「いや別に」
 男の声も無視して、棚から薬草を取り出してすり潰す。
「ああ、塗る前に洗った方が良いですね」
「え、や……」
 囲炉裏に水を掛けぬるま湯にし、桶に移すと男の足を洗った。傷口に触れると小さく動いたが、声は上げない。表情を窺うと眉根を寄せて堪えていた。
 その眼差しがあの鶴と重なり、今更ながら本当にあの時の鶴なんだなと思った。
「良い子ですね」
 あの時と同じ言葉を選んで掛けると、それに気付いたのか男が赤面する。
 それが面白くて思わず喉の奥で笑ってしまった。

 すり潰した薬を患部に塗り、包帯で綺麗に巻く。
「痛くなったら言ってくださいね」
 その言葉に男は無言で頷くとまたあの部屋に籠った。




 もう何日経っただろうか。

 男と貧しい飯を啜り、機織りの音が馴染みの物になるくらいには一緒にいた。
 そんなある日の朝。

「……出来た」
 私の前に男が美しい反物を広げた。本当に目の前のこの目つきの悪い男が織ったのだろうかと疑う程に美しい代物だ。
 男は少しばかりやつれた様に見えた。それもそうだろう。不眠不休の勢いでこれを織り上げたのだ。
「これを、貴方が……?」
「ああ、直ぐに売って来い」
 男に急かされるまま、その反物を町に売りに行く。
 町に続く道を歩きながら、これで彼は帰ってしまうのかと思うと寂しい気がした。


 反物は思った以上の金額で売れた。それは私が彼を救う為に払った三倍以上も高く。
 懐は暖かくなったが、心は寒く、私はとぼとぼと家に帰った。

「お帰り」
 彼が私を迎える。
「高値で買っていただけました」
「そうか、良かった」
「……あの」
「なんだ」
「これだけあれば十分に年越しが出来ます。……二人でも、十分。その、良かったら一緒に年を越しませんか……?」
「それは出来ない」
 どうしても傍に人がいる温もりが手放し難くて言ってみたのだが、あまりにばっさりと断られて一瞬反応が出来なかった。
「あ……あ、そう、ですね。……すみませんでした」
 そう言って下手な笑いを浮かべ、俯く。
 何を言っているんだ私は。
 彼は私が払ったお金を返しに来ただけなんだ。それ以上を返してもらってしまった今、彼が此処に留まる理由は無い。

 ぽつりと掌に涙が落ちた。

 悲しかった。
 どこかで、彼なら頷いてくれるのではないかという甘えるような気持ちがあった。
 無口でぶっきら棒だけれど、一緒に囲炉裏を囲むと心が満たされた。
 例えそれが粗末な食事でも楽しかった。
 彼が時たま見せる柔らかい笑みが好きだった。
「……泣いているのか?」
「いえ」
「泣いている」
 顎を掴まれて目を合わされる。
 彼の黄色い瞳を見たら涙が溢れてしまった。これが私を映す事はもう無いのだろう。
「何故泣く?もう俺の飯の用意をしなくても良い、夜中に機の音が響いて眠りを妨げることも無い、無骨な男があんたの側にいなくて良いんだぞ?」
「わ、私はっ、貴方と囲炉裏を囲んで楽しかったですし、機の音は心地良かった……っ。貴方を無骨だとは思った事は一度もありませんでした……」
 その言葉を聞いて男が驚いた顔をした。
 暫く口籠った後、目を逸らす。
「……だが、俺はやっぱりあんたの傍にはこれ以上居られない」
「何故ですか?恩を返したからですか?」
 もう駄目だ、涙と共に我が儘が溢れ出てきてしまった。
「では、では!私は恩を返してもらっていません!貴方は私にまだ恩を返しきって無い!
 だからまだ……ここに……っ」
 いてくださいと男の胸の合わせを握りしめて駄々を捏ねる子供の様に泣き喚く。
 ああ、みっとも無い。
 自己嫌悪に駆られる私の手を、そっと男の手が包んだ。


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