童子の夜 | ナノ


Den lille havfrue.

近未来/捉え様によっては獣姦/流血表現若干有り/R18
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 ねぇ、そこの貴方。

 僕の声が聞こえますか?
 僕の伝えたい事がわかりますか?

 口を開けば水がなだれ込んで、声を発しようとしても泡が零れるだけだけど。

 そもそも僕に声があるのかわからないけれど。
 それでも僕と意思疎通は出来てますか?

 僕は貴方の事はわかるけれど……。

 僕の事、貴方はわかりますか?




 西暦3209年。

 人類は自然を汚濁しきった。
 海は淀み、土壌は汚染され、外に出れば灰混じりの汚濁した空気が日光を遮り、薄暗い表情で俺達を出迎える。
 現在、人類は地下に都市を作り、人口が減少しながらも生活していた。
 人口の減少と言うが、その問題と地表で生活が出来ないという点さえ除けば不自由な事は何も無い。
 人工太陽によって作られた食物は瑞々しく、衣食住に困る人間はいなかった。
 しかし人間は遠い過去の地表での生活を望み、未だに足掻き続けている。

 通常の木々は枯れ果て、食物は実を付ける前に腐っていく。そんな地表では奇形の生物達が生まれていた。
 爆発的な速度で成長する植物、四肢を持った魚、双頭の兎……。そういった生物を採集班が地下に持ち帰ってくる。
 俺はそれを調査する研究班に所属していた。


 ある日のこと、慌ただしく採集班が戻って来た。
 インスタントコーヒーを啜っていた俺はぎょっと目を見開く。
 通常、採集班は保存用パックを使って採集した生物を持って帰ってくるのだが、そのパックのサイズが尋常じゃ無くデカイ。
 普通大きくても腕で抱えるくらいなのだが、一つのパックを二人で抱えている。それが全部で五つ。
 なんだ?土を食う緑の牛でも捕まえたか?
 コーヒーを脇に置いて俺もそのパックに近づいた。
ティエン、どうした」
「ああ、龍一りゅういち。どうしたもこうしたも」
 天と呼ばれた自分と同じアジア系の顔をした友人は、焦った表情で振り向いた。
「人型の奇形だ」
「なにっ!?」
 俺は慌ててパックの一つに近寄ると、その滑らかな白い表面を手で撫でた。
 このパックは特異な素材で出来ており、中に入れたら取り出さない限り一切外と接触しない。なので外の状況のまま地下に持ち運びが可能で、水漏れ、空気漏れだってしない。おまけに刺激を与えるとそこだけ透けて取り出さずに中を観察出来るという優れモノだ。
 撫でた所だけすうっと透け、中の生物が見える。
「……これは」
 外の海の緑と紫の交じった不思議な色の水の中に、人が揺蕩いながら眠っていた。
 いや、人なのだろうか。
 女性と男性の区別が付かないが、胸や体格で判断すると“彼”は腰から下が青味を帯びた銀の鱗……魚だった。
 まるでお伽噺の人魚とそっくりだ。
 息を呑んで見つめていると、緑色の睫毛が震え、目が開かれて黒い瞳が俺を捉えた。
 意識がはっきりしないのかふらふらと視線が泳ぎ、漸く定まったと思ったらじいっとこちらを見つめた後、唐突に彼は微笑を浮かべた。
 無邪気なそれに再び息を呑んでいると、後ろからがやがやと声が聞こえる。
 彼から目を離し振り向くと、全面ガラス張りの特設研究室で研究班が他のパックを開封する所だった。
 特設研究室内は無菌で地表と同じ温度・湿度に保たれている。
『この生物は深海で捕まえたのか?』
『いえ、全て比較的浅瀬で……生物数、生態状況の確認は未だですが、センサー等を用いてもその場で確認出来たのは採集出来た彼らだけでした』
『そうか。ならば圧を変えずとも良いな』
 スピーカーによってガラスの外の俺にも中の会話が聞こえる。
『言葉の疎通も未だ確認出来ていません。しかし岩に上り、呼吸していたのを確認していますから、肺呼吸も可能かと』
『一度取り出して会話が可能か調べてみるか……。いや、不可能か。我らが地表に住んでいたのは500年近くも昔だ。言葉が通じる可能性は非常に少ない。しかし……試して、みるか』 
 研究班のリーダーの手がパックの開閉口にかかり、パックが開かれた。
 汚染された独特の色の水が溢れ出て、そこから緑の長髪を有した上半身が起き上る。たわわな胸が見え、女性なのかと推測する。
 彼女が口を開いたのがガラスのこちらにも見えた。一体どんな声なのか、どんな言葉を発するのかと見守る俺達に、彼女は開いたそこから

 大量の血を吐いた。

 ごぼり ごぼりと血を吐き出し、まさしくまな板の魚の如く跳ねた彼女はそのまま動かなくなった。
 想定外すぎる状況に呆然としていた俺とガラスの中の研究班員、採集班員達ははっと我に返ると出来うる限りの手を尽くしたが、彼女が再び息をする事は無かった。


 それから色々と調査をした結果、俺達が地表に長くいると体調に異変をきたすのとは比べ物にならないくらいに、彼らにとって俺達が生活しているこの生活環境が毒だということがわかった。
 地上と地下の状況差に、これほどまでの反応を示した生物は他には無い。
 確かに地上から持って来た生物は、地下では長持ちをしない事が多い。しかし上手く行けば子孫を残す事も可能であったし、むしろ長く生きる物も例がない訳ではなかった。
 彼らの反応は一息するだけで血を吐くだけでは無い。俺達にとって無害の空気に触れれば、触れたそこが赤くなる程だ。
 つまり、彼らは汚染された環境でないと生きていけ無いということ。
「それだけ長い時をかけて身体を変化させてきたってことか……」
 人類が地表に住めなくなったのは500年ほど前だが、汚染は1000年前には始まっていた。
 人間が地表でまだ生活出来ていた頃、危険汚染区域に真っ先に指定された海から生まれたのならば何ら不思議な事では無い。
 どれだけ自分達が世界を汚してしまったのかと言うことを、改めて突き付けられた気がする。

 彼らは見た目が物語の『人魚』に似ていることから『ハウフル』と名付けられた。
 現在、生き残っているハウフルは三人。
 環境の事を考慮し地上に研究所を急遽設置して、そこで研究を行っている。と言っても俺達が生活する為に空気浄化装置を設置したりと、室内でハウフルを水中から出したら死んでしまう状況を作り上げているが。
 横のデカイ空気浄化装置を見て溜息を吐く。でかいわ、エネルギーを消費するわで予算を沢山食う機械。
 改良が進められてはいるが、これが人間が地下に潜る結果になった理由の一端を担っていると言っても良いだろう。
 家庭に一台という訳に行かないこの装置の有効利用法は、なるべく大人数で纏まって使用すること。
 その為地下に大きな都市を10程作り、この装置を……もっと性能の良い物だが、使用している。
 おかげさまで国境と言う物は薄くなり、言語もかなりの数が減ったと聞く。
 まあ愚痴は取りあえず置いておいて、では何が地下の研究所と異なるのかと言うと……。
 おもむろに上を見上げれば、中央の天井が丸く刳り貫かれ、薄暗い日光が差している。もちろんガラス張りで室内と屋外と空気が行き来する事は無い。
 ちょっとした中庭のように見えるが、中央に設置された物体で中庭では無い事は一目瞭然だった。

 高さ五メートル近く。大人が五人程手をつないでようやく囲えるほどの円周を持った水槽が一つ。定期的に海からの水が送られている。
 その水槽の中に半人半魚のハウフルが容れられている。
 一人一つの研究室兼水槽が用意され、一人のハウフルに対して五、六人の研究班員が付いて調査中だ。
 死んでしまったハウフルの死体、最初の女性と思われる物と、輸送の最中のミスで亡くなった男性と思われるもの。
 それを解体し、調査して分かった事なのだが、彼らの肺は俺達の肺とは違い陸上も水中も呼吸が可能。
 それと髪に葉緑素が含まれており、光合成で生きていける仕組みになっているそうだ。
 しかし俺達が使っている人口太陽の光は強すぎて、少し当てただけで火傷の様に腫れてしまった。彼らにとってスモッグに遮られて滲んだ日光では無いといけない様だ。
 消化器官もあるから食べることも出来るのだろう。しかし何を食べているのかさっぱり分からず、今は光合成のみで済ませている。下手に俺達の食べ物を口にさせたら死んでしまう可能性は大だ。
 上半身については髪が緑である事や、器官が陸上でというよりは水中で暮らしていきやすい仕組みである事を除けば俺達となんら変わりないそうだ。
 骨が有り、肉が有り、赤い血が流れている。
 下半身の鱗に覆われたそれの解明はあまり進んでいない。何故か下肢だけ彼らが死ぬと同時に凄い速さで腐敗していくからだ。
 どうにか分かった事は鱗・薄いひれはあるが、構造的にはイルカに似ていると言う事だけ。
 今の所、彼ら以外のハウフルの確認はされていない。解体によって分かった性別の区別法では、残っているハウフルは一人が女性、二人が男性。
 俺の担当は最初のあの目のあった青年だ。本当だったら五人位でローテーションしながら面倒を見るのだが、彼は俺が主に接触をとっていた。
 俺が申し出たとかでは無い。何故か彼は俺で無いと反応を返してくれないので、必然的にそうなってしまっていた。

 壁のボタンを押すと、中庭……ではないが、水槽が置いてある外に出る為のドアが開く。汚染されているが、少し外に出るくらいなら人体に影響は無い。流石に2時間を越えると吐き気や眩暈がしてくるが。
 因みに五時間を越えると二、三日は身体の怠さが取れず、七時間を越えると身体に何等かの障害が残る可能性が高い。十二時間以上は生死に関わるここは確かに人の住める場所では無くなってしまった。
 おまけに今述べた内容は、空気のみに触れていた場合だ。
 他の汚染物質の存在する地表、土壌、そして一番汚染度の高い海に触れた場合はそれよりも早く身体に異変が起こるだろう。

 冷たい空気が鼻孔からなだれ込んできて、小さく溜息を吐いた。
 彼はこの研究所に入った時から俺に気付いていて、尾鰭を必要以上に動かして嬉しそうに俺を待っている。
 コンコンと水槽を叩くとにこにこ笑いながら近寄って来た。まるで餌付けされた金魚のようだ。
「マレ、元気か?」
 俺は彼に“マレ”と名付けた。失われた言語の一つで『海』という意味。
 彼は俺の言葉にコクコクと頷いた。
 最初はやはり言語が違う様で何を言っても困ったようにしていたが、喋りながら身振り素振りで伝えていたら彼は音で意味を覚えてしまった。
 いや、もしかしたら音では無く口の形で覚えたのかもしれない。
 どちらにせよおかげさまでちょっとした事なら口で指示が出来る。
「それ。また額と、胸、腹、背中に付けてくれないか」
 俺が指さしたそこには水中に漂うコード。体温・脈拍・脳波を調べるためだ。
 彼はすぐさまそれを言われた所に貼りつけて、出来たとばかりにこちらを向く。
 機器が示す値を見て手に持っていたボードに走り書き、目で見てとれるマレの様子も書き込む。
「ん、今日も異常なしだな」
 データを全て書き終わって背を向けようとすれば、マレが慌てて手の平でガラスをぺちぺちと叩いた。
「なんだよ……ったく」
 そう言いながらも笑みが零れる。
 マレが自分だけに懐いてくれているのは瞭然で、それに優越感を感じていないわけではない。
「どうした?」
 マレは俺が振り向いた事が嬉しい様で、ぺたぺたとガラスを撫でている。いや、ガラス越しの俺を撫でているのか。それに気付いて、水槽に近づくと凭れてやった。
「どーした?」
 そう訊いても何時もはにこにこしているだけなのだが、今日はそれだけではない。
 うっとりとガラスを撫で続けている。
(――そう言えばこんなに近くに来てやったのは始めてかもしれない。)
 マレの顔をまじまじと見つめた。
 緑の毛以外を除けば人間と同じ。いや、正しく言えばそこんじょの奴よりもずっと綺麗な顔立ちをしている。
 昔、海がまだ汚れていなかった頃、本当に綺麗な海の深い所は黒色に見えたのだと言う話を思い出す程、綺麗で澄んだ漆黒の瞳が俺を見つめた。
 ……この瞳に見つめられると俺は動けなくなる。
 この星を汚し尽くした俺達を責めるでもなく、捉えられた事の不安や怨みを訴える訳でも無く、ただ澄み切っている。

 マレの指が額、瞼、頬…と流れて行く。
 俺もそれにつられるようにマレの顔をなぞった。
 俺が同じ事をしたのに驚いたのか、目を大きくすると嬉しそうに水槽に頬を押し付ける。喉まで来るとマレは悲しそうに額をガラスに当てた。
(――俺に触れられないから?俺に触れてもらえないから?)
 そんな自惚れた考えが頭の中に閃く。
 マレはぼんやりと押し付けている俺の手を見ると、それにそっと自分の手を重ねて来た。分厚いガラス越しでは体温なんか伝わらない筈なのに、何故か温かく感じた。
「……じゃあ、行くな」
 その空気に耐えきれず、マレを振り返らずに俺は再度背を向けた。
 このまま此処にいたら、俺は……。

 マレが悲しそうに俺の背中を見つめていた事なんて気付きもせずに。


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