もぐもぐと口を動かしているとはっとサランが声を上げた。
「そうだ!かか様、一緒にお風呂に入りませんか?」
「風呂?」
側にあった水を飲んだ後、疑問を口にする。
別室に置いてある風呂はそんなに大きく無い。せいぜい大人一人分だ。
サランくらいなら一緒に入れるかもしれないが、広々という感じではないだろう。
俺に宛がわれている部屋は正妃用の部屋なんかではなく、普通の客人用の部屋だ。
いや、正妃用の部屋に移される筈だったんだが、余りの広さと豪華さに立ちくらみを起こしたから周りを説き伏せてこの部屋にしてもらった。
…本当に凄かったんだよ。ベッドのデカさも、風呂のデカさも…。
「…ああ、そうか今夜はあれか」
食後のお茶をカップに注ぎながらふと思い出したようにアギアが言った。
「あれ?」
『あれ』って何だ?
意味が分っていない俺の手をサランがぎゅっと握った。
「温泉に一緒に入りましょう!」
「おお…すごいな…」
俺は目の前に広がる光景に感嘆の声を上げた。
黒い石を敷き詰めて出来た広い浴場に湯気が立ち込める。
湯気は勿論湯船を満たすお湯から立ち昇っている。
これはどこからどう見ても温泉だった。
「それにしても温泉があったなら使えば良かった…」
布を巻いた腰に手を置いてぼんやりと呟く。
この世界には水道設備は無いらしい。
だから捻ると水が出てくる蛇口やシャワーなんて無くて、水は全て井戸から汲み上げている。
なら風呂の湯はどうするのか?というと、浴槽に使用人さん達が沸かした湯を運んでくれるのだ。地道に。
…もう、心苦しいなんてもんじゃない。
使用人さん達は纏めて大きな湯船で入っているというから、じゃあ俺も一緒に…と言ったら全面に拒否された。
食い下がったら、半泣きでこれくらいはさせてくれと言われて折れた。
心苦しいから浴槽に溜めて入るのは3日に一度だ。
後は大きな桶に湯を入れてもらって、洗うだけにしている。
そっちの方がまだ湯の量が少なくて済むと思ったのだが、こんな温泉設備があるならばそんな負担さえなくなる。
「無理だ。これは月が満ちた日にしか湧かないからな」
そう言ったアギアの方に顔を向けて俺はちょっと傷ついた。
――ちっくしょー…良い身体してやがんな。
既に拝見してはいたが、こう近くで見てみるとやっぱり良い躯だと分かる。
何かのスポーツ選手の様に引き締まって筋肉の付いた腹や肩は男らしい。
いや、俺がなよいと言う訳ではない。決してない。
無駄な肉はついて無いと思うし、弛んでいる事も無いと思う。この年相応の男の肉付きのはずだ。
ただ隣のコイツがちょっとばかし逞しいだけだ。
…だから、明日から腹筋しようと決心したのは負けたと思ったからではない。
「月が満ちた時だけってどういうことだ?」
こっちに来てから何故か時折傷つけられる男の矜持とやらに目を背けて質問する。
「城の位置と近隣の山や水脈が関係しているらしいのだが、月が満ちるとこの場所に温泉が湧く。
城を建てた直ぐは何も無かったのだが、3代目辺りから湯が湧きはじめたそうだ。
それを利用してこのような設備を用意したのだと聞いた。だからここはこの日以外は見事に乾いているぞ」
「ふーん…」
それじゃあ毎日は使えねぇなぁ…と残念な思いを眼差しに込める。
「そんな事は湯に浸かってでも話せよう。早く身を清め、湯に入れ。風邪をひくぞ」
そんな俺を見て苦笑して肩を叩くアギアに返事をすると、サランが飛びついて来た。
…なんで、アギアと俺の間に無理矢理入ろうとするんだ。狭いだろうに。
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