「…うん。どこにも行かないよ、ゴルジュを置いて行くわけないじゃない」


ふるふると首を横に振って、それを否定する。
ジュエさんはそのつもりは無くても、夢の様に事故というのは唐突に起こる物で。
それを考えるだけで胸を掻き毟りたくなる程の恐怖が襲った。


「夢、の中で…」

「うん」

「ジュエさんが、死んじゃう夢を…見たんです」

「…うん」

「俺、は、あのサーカスに戻って、ジュエさんから貰った名前も、奪われて、檻の中で…また客席を見上げて」

「…うん」

「ジュエさんが、死んじゃったなんて信じられなくて、名前を呼んだら、返事をしてくれる様な気がして…」

「うん」

「でも、何度呼んでも、返事は返って来なくて…っ」

「ごめんね…」


ごめん、と夢の中で返事をしなかった事を謝るかのようにジュエさんは繰り返す。


「大丈夫だよ、僕が死んでもゴルジュがあのサーカスに戻る事は絶対に無いから。ちゃんとした弁護士に遺言書を遺しておくよ。
…そうだ、アレーク先生にも連絡が行くようにしておけば、きっとゴルジュを快く迎えて――」

「そんなの嫌だ!」


滅多に上げない大声を上げると、ジュエさんは驚いた顔をして瞬きをした。


「置いていかないって、一人にしないって…言ったじゃないですか…っ」

「うん、だから…」

「世界からジュエさんがいなくなったら、そんなの一人なのと変わらない!」

「!」


青い眼が見開かれ、小さく息を呑んだ。


「ジュエさんのいなくなった世界なんて、そんな世界はいりません…」


だから、


「どこにも置いて逝かないでください…っ一緒に、連れて行って…っ」


死ぬならば、俺も一緒に。
貴方のいない世界なんて、生きていても無駄だから。

そう口にした瞬間、思い切り痛いくらいに抱きしめられた。
ぎゅうっというよりも、ぎりぎりと表現した方が良いんじゃないかと思うくらいに。
掠れた声で耳元で囁かれる。


「良いの…?連れていっちゃうよ、本当に…」

「…はいっ」


そろそろと長い指が首を撫でる。
それはまるで太い血管を探している様でもあり、どうやって締めようかと考えている様でもあった。
どちらでも良い。首を掻っ切られても、絞め殺されても、ジュエさんに殺されるのならば幸せだ。


「……ありがとう」


ジュエさんが口にしたその小さなお礼は、一体何に対する物なのか。
分からなかったけれど、ジュエさんが喜んでくれているという事だけは分かった。


「…よぼよぼのお爺さんになるまで一緒にいて、老衰で死ぬ時は一緒のベッドで死のう」

「はい」

「病気で死ぬ事になったら、その前に一緒に毒を飲んで死のう」

「はい」

「もしも僕が事故にあって先に死んじゃったら…待ってて」


真っ直ぐにこちらを見て、真剣そのものの顔で。


「すぐに迎えに行く。幽霊になってでも君を殺しに行くから、待ってて」

「…出来、ますか?」

「出来るよ」


出来るに決まってるじゃないと当然の顔でジュエさんは言った。


「幽霊になって首を締めに行くよ。僕に君が触れないなら呪い殺してあげる。
…絶対に、置いて行かない。一人にしない」


約束ね、と本当に綺麗な笑顔を見せる彼につられて微笑んで頷く。
ちゅ、と軽い音を立てて瞼に唇を落とすと暫く何か考える素振りをし、次は小さな苦笑を浮かべてジュエさんは後ろを向いた。


「本当はねー、記念日か何かに渡そうと思ってたんだけど…。今の方が良い機会だし、ね」


サイドテーブルの小さい飾りの様な引き出しの中から、何かを取り出して手の平に乗せる。
影になって見えないそれがぼんやりとした明かりに照らされた。


「箱?」

「んー…。ああそっか、ゴルジュは箱だけじゃ何かあんまり想像つかないかな」


笑みを浮かべながら呟くと、小さい、でも高級感の漂う黒い箱をパカリとジュエさんが開く。
中に入っていたのは――銀色の指輪。それも2つ。


「こ、れ…」

「僕とゴルジュの。…勿論、結婚指輪ね」


ふふっと嬉しそうに笑って、一回り大きい方の指輪を彼は自分の左の薬指に嵌めた。
そしてもう片方を、箱の中に入っていた銀の細いチェーンに通して、俺の、首に。


「…色々考えたんだ。指輪じゃない方が良いかな、とか。
ゴルジュにあげるんだったら、それこそ首とか足に嵌める枷みたいなのでも良いんじゃないかって思ったんだけど…お揃いの物が欲しかったし、誰かに見せびらかしたかったから」


僕には、一生を共にする相手がいますと。
それにはやはり左の薬指に嵌める指輪が一番だと思って、とはにかみながらジュエさんは笑った。

余りの嬉しさに言葉が出ない。
引っ込んでいた涙がじわりとまた膜を張る感覚がして、小さく鼻を鳴らした。
そっと頬を包まれて、優しい、でも真剣な眼差しでジュエさんが口を開く。
紡がれた言葉は、とても静かな響きを纏っていた。


「――『私はあなたの夫となる為にあなたに自分を捧げます。
そして私は今後、あなたが病める時も、健やかな時も、貧しい時も、豊かな時も、喜びにあっても、悲しみにあっても、命のある限りあなたを愛し、この誓いの言葉を守ってあなたと共にあることを約束します。』――…ううん、命終わっても、共に」


涙というのは一生の内、どれだけ流せばいいんだろう。
ジュエさんと出会ってからというもの俺は泣いてばかりで、今も後から後から涙が溢れて前が見えない。
ああ、泣きすぎて干乾びてしまいそうだ。


「お、れも…っ俺、約束…っします…っ」

「…じゃあ誓いのキスを」


悪戯げに微笑んだ後、そっと目を閉じて差し出された唇に泣きながら唇を重ねる。
しょっぱい涙の味がとてもとても切ないくらい甘くて、幸せの味ってこんななのだろうと思った。



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