オーナーがいつも座るソファーに今日は違う人が座っている。
その人は驚くほど綺麗な顔をしていた。

何時ぞやオーナーの自慢で見せられた黄金で出来たネックレスと同じ金の色の髪に、その真ん中にはまっていた宝石と同じ碧の目。
どこかで見た事があるような…ああ、そうだ。孤児院にあったステンドグラスの天使。それにそっくりだ。
綺麗につり上がった目も、開けば神の賛美が飛びだしそうな形の良い唇も、全部。

男は俺を見ると立ち上がる。


「ああ、そうそうキミだよ。キミ」


男は質の良いコートを揺らめかせ、ステッキを突きながら1歩1歩近づく。
品物を見定める様に目が上から下へと這わされる。

その眼差しに今まで以上に自分が貧相で醜く思えた。
肋(あばら)が浮きかけた胸、殴られて所々青くなった胴体と足、おぞましい瞳、異形の証、意図的に奪われた両腕。
人には無い物が有り、人には有るべき物が無い身体。
どれもがこの綺麗な容姿の人の前に立つには相応しく無くて、俺はどうにかして異形の証の一つを隠せないかと微かに身じろぎして顔を俯かせると、彼が持っていたステッキで顎を上げさせられた。
碧い目とかち合う。


「セガゼルさん。商談成立ですね」


男は胸元から何か細いメモ帳みたいなものを取り出し、すらすらと何かを書き込むとオーナーに渡した。
オーナーはそれを見るなり、吐息の様な悲鳴を上げてへなへなとその場に座り込む。
強欲なオーナーが悲鳴を上げるなんて大丈夫かと心配になる俺の肩を男ががしりと掴んだ。


「…な、なに?」

「何?じゃないよ。君はもう僕が買ったんだから」

「…は?」


俺は目を見開いて驚いた。
さっきの大金を叩いて彼は俺を買ったと言ったのか?
な、なんて勿体ない買い物なんだ…。
しかし商品である俺の口からもっと安くしろだなんて言える訳がない。

男は飼育員から鍵を受け取り、俺の首についている金属製の重々しい枷を外した。
オロオロとしながらも、男の手を振り払う事も出来ずにとりあえずついてゆく。


「持ち物とかあるの、キミ」

「あ、その、ローブが」

「ああ、それなら僕が用意してあるから。ボロいのなんか捨てちゃいな」


男の口調がオーナーと話している時よりもずっと砕けている事に気付いた。
ろくな飯を食べてないためにやせ細った肩をがっしり掴まれていてみすぼらしさが際立つ。

せめて手を離して欲しい。
掴まれている鎖骨のすぐ横に葉巻を押し付けられた醜い火傷の痕があるから。
俺に触っているだけでその綺麗な手を汚しているみたいだから。


「キミ、名前は?」

「え、えーっと【ガーゴイル】でs「違う」


きっぱりと否定されて俺は一体ではなんと答えれば良いのか分からずに情けない表情を男に向けた。


「それはバケモノとして扱われていたキミの呼び名でしょ。そうじゃなくて人間としてのキミの本当の名前」


『人間としてのキミ』

その言葉にうろたえる。

お、れは、俺は…人間でいいのだろうか。

見た目が人と違うのは俺が一番知っている。
だって目の前のこの人の背中には黒い羽根の翼なんてない。
牡羊のような巻き角もないし、白目だってきちんとある。
それはオーナーにだって当て嵌まるし、夜毎見に来るあの客達にも当て嵌まる。

似ているようで全く違う…それでも…。


「ご、…ゴルジュ」


それでも俺は人間でありたかった。
だから捨てきれずにいた名前。
捨ててしまえば楽になると分かっていながら、ずっと握りしめていた人間の心。


「ゴルジュね」


俺の人としての名前を呼んで一つ頷いて見せた男の様子に、握りしめて皺くちゃになった心の皺を伸ばされていく気がした。





上半身裸の俺は手触りの良いゆったりとしたローブを着せられ、高そうな馬車の扉が目の前で開く。
それも余りお目にかかれない4頭立てだ。
その馬車の中の綺麗さに俺は怖気づいて、入らないように脚を踏ん張った。


「――どうしたの」

「お、俺がこんな綺麗なものに乗ったら、よ、汚してしまう…」

「…良いよ。別に」


男は俺を引き摺りあげて、馬車に乗せた。
男が良いといっているのに買われた俺が抵抗する理由は無い。
言われるまま座ると最初は居心地悪くもぞもぞとしていたが、いつしか凄い速さで走る馬車の景色に目を奪われていた。


「馬車は初めて?」

「う、ううん。サーカスの移動は幌馬車だったから…でも、こういう形でこんなに早く走る馬車は…初めて、だ…じゃなくて、初めて、『です』」

「そう…」


男の返事にふと視線を戻す。


「え、と…」


この人の名前を俺は知らない。
あ、オーナーが『イヴワールさん』と呼んでいたっけ。
だけど商品としての俺が『イヴワールさん』と呼んで良いのか分からない。
オーナーの様に『ご主人様』、もしくは『旦那様』と呼べばいいのだろうか。


「だ、『旦那さ…」

「ジュエ=イヴワール」


蒼の目を冴え冴えと光らせて男は名乗った。


「僕の名前」

「あ…はい。イ、ヴワール…さん…」


そう呼ぶと男の…イヴワールさんの眉がピクリと動く。
ああ、何か気に障る事をしてしまったのだろうか。
そう思うと悲しくなり、ついさっきまで興味を引いて止まなかった外の風景も急に色褪せて見えて、俺は自分の膝を見つめた。



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