「ゴルジュ、ゴルジュ。ねぇ、元気になったら旅行に行こう。
大きな街なんかじゃなくて、のどかな田舎とか行ってみよう…?
気に入ったらそこで暮らそうか。一緒に…ね、一緒に暮らそう。
あんな使い勝手の悪い大きな屋敷なんかじゃなくて、小さな家を建てよう。
キッチンは広い方が良いよね。料理頑張ってみようかな。
地下のワイン倉庫も広くしとこう。お風呂も広くして…後は寝室とリビングだけで良い。
二人一緒に座るソファーと、ベッドを買おう。
毎晩僕の為に歌って、そして一緒に寝ようよ…。
だからね、目を覚まして…一人で旅行なんてつまらないよ。
お願い、目を開けて。僕を見て。君に伝えてない事がいっぱいあるんだよ…」
頭を膝に乗せて髪を何度も撫でた。
撫でる度に心が軋み、崩れていく。
このままでは自分は狂ってしまうだろう。
ぜんまい仕掛けの絡繰りの様に繰り返し繰り返し、永遠に彼の髪を撫で続け、そしてぜんまいが切れるまでここから動かない。
そうぼんやりと思った自分の手の中にある白い顔の中の瞼がひくひくと動き、薄ら目を開いた。
「…!!」
息が止まる。
彼の名前を叫んで、こちらの世界に繋ぎとめようとしたいのに、喉が潰れたように声が出ない。
凍った様に動きを止めた僕を、瞳孔の動きで彼が認識したのが分かった。
「………」
「ゴル、ジュ…」
「―――っ!!」
ようやく出た彼の名前に、ゴルジュが体を強張らせる。
急速に意識が覚醒したのか、目が見開かれて唇が戦慄く。
「…い、ヴワール、さん…っ?!」
掠れて酷い声に。でも彼に名前を呼ばれて涙が溢れる。
「な、んで…」
「良かった…っ良かった、もう、もう起きてくれないかって…っ!!!」
「あ、っち行って、くださ、い…っ!!!!」
「………え?」
唐突の拒絶の言葉に心臓が止まるかと思った。
ゴルジュがもがこうとするが、少し体が痙攣するように動いただけで腕の中から出る事は無い。
「やだ…っやだ、俺、から離れ、て…っ」
「な、何言ってるの?ねぇ、ねぇ、急にどうしちゃったの?僕、ゴルジュのお陰で助かったんだよ?」
「おれがいたら、不幸に、してしまう…から…っ」
がくがくと震える体が祭壇の方に向く。
まるでそれはその向こうにあるステンドグラスに描かれた神が彼を連れて行こうとしているように思えて、慌てて自分の胸に強く掻き抱いた。
「…っ!渡さない…っ絶対に渡すもんか…!」
「や…」
思い切りステンドグラスを睨み付ける。
誰であっても自分から彼を奪い取る事は許さない。たとえそれが神であっても。
「ゴルジュもゴルジュだよ。何言ってるのさ、僕は君がいない方が不幸になるっていうのに…っ!」
「で、も…俺、迷惑…」
「僕が好きでやってるんだから放っておいてよ!」
八つ当たりのように怒鳴ると、彼を押さえつけている胸から嗚咽が聞こえてきた。
「僕は君に色々な事を伝えてないんだよ。
君がいた嬉びも、君を傷つけた悲びも、君を失う怖さも、ありがとうも、ごめんねも、」
そして―――
一番伝えたい言葉を口にしようとした途端、何かを察したのか彼が今出せる渾身の力でもがく。
「だ、だめ…で、す…っ」
「僕は…」
「俺なんか、に言ったら、か、神様が怒る…っ」
足をばたつかせながらそういう彼の言葉に本気で腹が立って、祭壇の上に置いてあった手の平サイズの香炉を引っ掴んで振りかぶる。
「な、何を。………っ!?」
僕はそれを輝くステンドグラスに向かって投げつけた。
ゴルジュが腕の中で息を呑んだのが分かった。
ステンドグラス自体も古くなっていたのか、当たった所から大きな澄んだ音を立てて砕けていく。
柔和な笑顔に罅が入り、崩れた。
「君を不幸にさせる神様なんかいらない。僕は信じない」
彼の震える体をただ抱きしめる。
僕が信じるのはこの腕の中にある温もりだけ。
「……愛してるよ…他の誰よりも」
ようやく伝えたかった言葉を伝える事が出来て、安堵の溜息を吐く。
そして足を引きずりながら、まだ時折ガラスが割れる音を響かせる教会を彼の嗚咽を纏って出た。
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