意識が浮上して、目を微かに開く。
――僕、死んじゃったのかな。
ゴルジュが背を向けて走って行ったのを見て、その背に追い縋ろうとしたけれど、片手が持ち上がっただけだった。
伝えたい言葉を伝える事が出来なかったと、後悔が胸の内に広がる。
どれだけ救われたか、どれだけ大切に思っていたか。
――どれだけ、君を…。
「イヴワール…さん…?」
一番求めていた声が傍でして、目だけ動かす。
「イヴワールさん…!」
――これは、夢?
死後の世界というのはなるほど、こんな風に願望が影響するのかと思っていると、何度も何度も切羽詰ったように名前を呼ばれる。
答えようと声を出そうとしたけれど、唇が渇いていて熱っぽい。
肺の奥がじんじんと熱を持っているような感覚に、これはもしかして現実なのではないかと疑ってしまう。
手を伸ばそうとしたけれど、腕が鉛の様に重くて指が僅かに動いただけだった。
「待っててください、今先生を呼んできますから…っ」
立ち上がって背を向けるゴルジュを呼びとめようとしたけれど、呻き声ひとつ上げられない。
けれどゴルジュはこちらを振り返り、柔らかい微笑を微かに浮かべた。
再び遠くなっていく意識の中、
――さようなら。――
と声を聞いた気がした。
「…目、覚めてたと思ったんですけど…」
「いや、覚めたんだろうよ。でもまた寝ちまった」
彼に言われてジュエを見に行って、しかし静かに寝ていたので戻ってきたと言うと、彼は小さく笑みを浮かべた。
「それにしても…本当にこんな奇跡みたいな効果があるなんてな…」
ビンの中に少しだけ入っている粉末を揺らして感嘆の溜息を吐く。
これは彼の角から取れた物で、これを書物に書いてある通りに調合した物をジュエに飲ませた。
そこからの回復の速さは舌を巻く勢いで、なるほどこれで彼らは滅びるまで狩られたのかと思ってしまうほどだった。
「もうここまで来たら大丈夫だ…っつっても、大分寝たきりで養生が必要だけどな」
「残ったのはどうぞ他の必要な方に使ってください…」
右の角が欠け、頭に包帯を巻いた彼はそういってまた微笑む。
本当は彼は両方とも使ってくれと言ったのだが、危険性を考えてそれはしなかった。
角が無ければ生きていけないような体の構造である可能性だって無いわけではないだろう。
「…幼い頃にいた孤児院に、天使のステンドグラスがあったんです…」
唐突に彼は話し始めた。
「教会では無かったので、神様はいなかったけど……。
孤児院の人が、この天使は神様の傍に使える偉い存在なんだよ、って、他の子に言っているのを聞いて、誰もいない夜、泣きながらそのステンドグラスに向けて訴えた事があるんです」
『何で、僕をこんな姿にしたんですか…っ』
「何でこんな、人に嫌われる醜い姿に。
あなたに何かしましたか、何もして無いじゃないですか。
罪を犯したわけでもないのにこの罰は酷いじゃないですかって…。
愛されないなら心なんかない本当の化け物にしてくれれば良かったのに。
愛して欲しいのに、それは決して報われない。なら元から愛を感じる心なんて、いらなかった…」
とつとつと喋っているが、その時の幼い彼はその言葉を絶叫したのだろう。
翼と体を震わせ、泣いている彼が容易に想像がつく。
「でも…」
彼は顔を綻ばせた。
「俺がこんな姿になった理由が、ようやく分かった」
イヴワールさんのために、イヴワールさんの命を救う素材として俺はこの世に生まれたんです。
と、本当に嬉しそうに彼は笑った。
「こんな嬉しい事はありません…」
そう呟く彼に、それは違う。君は素材なんかじゃなくて、ジュエは君の事が―――…と言おうとした瞬間、上の階からドサリと音がして慌てて立ち上がる。
もしかしなくてもこれはジュエがベッドから落ちたに違いないと思ってドアに手を掛けた俺を彼が引きとめた。
「…イヴワールさんは、もう大丈夫なんですよね…?」
「ああ、勿論だ。ここまで来たんだ。俺が死なせやしない」
そう言って振り返って何か違和感を感じた。
そんな俺に彼は微笑みを一つ浮かべて返す。
「……すぐに戻る。そうしたら君の翼の具合を見よう。
角だって応急処置で、君も安静にしてないといけないんだから、あまりうろうろするんじゃないぞ…?」
彼が頷いたのを見届けて、俺はドアを後ろ手に閉めた。
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