17 

館の外に飛び出す。
誰か。お願い、誰か。
だけどこの付近にある家なんて知らないし、イヴワールさんは無いと言っていた。


「馬車…っ!」


でも馬車も無い。
イヴワールさんが雇っている人がいないと馬車で町にも行けない。
馬車で30分もしないといけない町に、走って一体どれだけかかるのだろう。
八方塞りの感覚に膝が震え、全身から汗が噴き出す。
強い風に汗が冷えたせいだけではなくガクガクと体が震えた。

――もういっそ、イヴワールさんが望んでいるように傍にいてあげた方が…。

諦めが一瞬よぎるが、絶対に俺はそれを認めたくない。

どうしよう。どうしよう。どうしよう…!!!

ぶわりと涙が溢れてきた。
あの人がいなくなってしまう。死んでしまう。

どうしよう…!!!!!!

その時、ふと思いついてふらりと立ち上がる。


「…天辺…」


俺は後ろの館を振り返ると、中に戻った。
全速力で一番上の部屋のバルコニーを目指す。

埃の積もったその部屋のドアを体当たりせんばかりに開け、バルコニーに立った。

この高さなら…。
この風の強さなら…。

夕闇の中、遠くに光る町の灯を見つめた。
前に屈み、翼を広げる。

――俺の中にある滅びた種族の血。翼がもげたって良い。お願いだから、あの町まで俺を…。

俺は体の中に流れている古い滅びた一族の血に話しかけると、背中に力を込め、力いっぱい床を蹴った。




痛い。
全身が針で刺されているように痛い。
翼は真っ赤に焼けた鉄を掛けられているように痛い。
薄い空気に肺が死ぬほど痛い。

痛くない所なんてどこにもなかった。

でもただひたすら真っ直ぐ灯を目指す。
この痛みを抱えることであの人が助かるならば、身が千々に裂ける痛みを抱いても良かった。



この時ゴルジュが飛べていたのは、その夜吹き荒れていた強い風が上昇気流を作り上げていた事。
それと皮肉にも、両腕が無くなった事で風の抵抗が少なく、また、翼のサイズに対して重さが軽くなっていた事が決め手となっていた。

しかしあと少しで町という所で風がだんだん弱まり、運の良い事に地面に叩きつけられる事は無かったが、それ以上飛んでいられる事は出来なくなってしまった。



ボロボロになった体を引きずりながら走る。
しかしはたから見れば歩いているようなスピードしか出なかった。

いつの間にか、俺は走っている間、泣きながらあの時の教会で見た神様に胸の内で語りかけていた。


――ああ、神様。何故ですか。
貴方は人間を愛してくれているんでしょう?
じゃあ何であの人を苦しめるんですか。

化け物の俺は愛さなくても良い。良いから。

あの人を愛して下さい。助けて下さい。
あの人は貴方の愛する人間なんだから。

…俺なんかがあの人を愛したからですか。
貴方の傍にいる天使みたいに綺麗で、優しいあの人に俺が邪な思いを抱いたからですか。

ごめんなさい。ごめんなさい。

許して下さい。もう二度と、あの人に恋慕の情なんて抱きませんから。
あの人に触れようなんてしませんから。


「だから、助けて…っ」


言葉が思わず洩れた。


もう二度と愛されようとも、愛そうともしないから。
静かに闇の中にいるから。

それでも足りないならこの身体を捧げるから。
他に捧げる物がないから、この命を代わりに。
俺があの人の命の代わりになんてならないのは分かってるけど、どうか、代わりに。


俺が死ぬから。あの人をこの世から去らせないで。

自分の死で美しいあの人が助かるのならば、醜い化け物は喜んで死のう。




ようやく町に入り、あの時見た医者の看板を見つける。
そのドアに倒れ込むように体を打ち付けた。


「開けて…!!!開けてください!!!お願いします!!」


ノックする両腕が無いから体当たりをする。
目の端にボロボロになった羽根が散らばるのが見えた。


「お願いします!助けてください!助けて!あの人を!!」


両目から涙が零れた。
お願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いだから!!!
もう触れない。もう愛さない。もう望まないから。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あぁあああああああああぁあアアア゛ァア゛アア…っ!!!! 助けて…!!!!」


体がずれ、頭からドアに突っ込む。
角に酷い衝撃を受け、頭の芯から激痛が走るがそんなの気にもならない。


――お願いします。俺の世界からあの人存在そのものを失くさないで。

喉から血を吐かんばかりに声を張り上げて俺はドアの前で蹲った。



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