―――そんなやり取りも3日前の事だ。


日の差す縁側に座りながら溜息をつく。
自分の住んでいる街から電車で2時間、バスで40分、徒歩30分はかかるこの田舎に佇む和風の平屋。
うん百坪あるというこの広い平屋は華道で名を知らしめる『古醐宮(こごみや)』の本家で、母さんの実家だ。
もちろん こんな所に居るからにはそれ相応の格好をしないといけなくて、紺で染められた着物を身に着けていた。
髪もいつもは後ろで緩く結わえてあるだけなのを、今はいつもより高い所にきつく縛ってある。


「真白さん」


名前を呼ばれて後ろを振り向くと、この家に長年勤めているという家政婦の田沼さんがいた。
家政婦さんといってもきちんと着物を着つけていて、髪を結ってある姿はこの家の主の妻と言われても過言ではないくらいに気品がある。


「紅(こう)様がお呼びでございます」

「…いま行きます」


田沼さんの後ろをついて長い廊下を歩く。
静かな空間に2人分の足音が響いた。
一番大きな部屋の前に着くと田沼さんは俺を残してさがっていった。


「………真白です。入ります」


襖を開け、奥にいる人に頭を下げる。


「ああ、何度も呼んですまないね。居心地はどうかな?
何か不自由な事など無いだろうか。あれば田沼に言いつけると良い」


柔らかく微笑んで俺を見つめるこの人は古醐宮 紅。此処の現当主で、俺の祖父だ。


「不自由な事なんて何もありません。居心地も良いです」


嘘だ。帰りたくて仕方がない。


「そうか、良かった。白が楽しくなかったら意味が無いからね。
白、また年寄りの与太話にでも付き合ってくれないか」


この瞬間がいつも吐き気がするほど辛い。
俺の祖父が、俺の事を『白』と呼ぶことが―――母と同じ呼び方で呼ばれる事が。

祖父が俺に母を重ねているのは前から知っている。

母…古醐宮 紫白(しはく)は、遅くに授かった子で注ぐ愛情も一際深かったらしい。
その娘が20という若さで子を身ごもった。

父さんとの結婚は親戚中が反対をしていたらしく、子も諦めるように言われていたのを振りきって俺を産んで、そして死んだ。

自分の好きな花の色を子供の名前につけて。

祖父は悲しみに沈み、体調を崩し、古醐宮の家は傾きかけたらしい。
その時、5歳になった俺を連れて父さんが祖父の見舞いに来た。
娘の面影を色濃く残す孫を見て、祖父は涙を流した。
―――この子は娘の生まれ変わりだ と。

あの時の事は今でも覚えている。
いい年した大人が子供の前でぼろぼろと泣くのだ。
『そうか、真白というのか、そうか、そうか…!』と繰り返し言いながら。

母は幼少『白』と呼ばれていたらしく、それからずっと俺は祖父に『白』と呼ばれている。
そしてそれが俺では無く、母を呼んでいるのだと気付いたのは7年程前か。

そうしてみると色んな物が見えてきた。
母が着ていた着ものを用意されてたり、母の好物を出されたり。
それを拒否すると非常に悲しい顔をされるのが耐えられず、俺は文句を言えずにそれを受け入れてきた。

そんな今に至るまでの事を考えながら他愛のない話しを続ける。
大分時間がたって、ではそろそろ、と立ち上がると祖父が俺の背中に声をかけた。


「ああ、そうだ。明日には青葉(せいは)が来るからね。仲良くしておくれ」

「―――っ、…はい」


襖を閉め、俺に宛がわれている部屋に戻ると呼吸を吐き出しながら震える拳を握りしめた。
明日には俺が此処に来たくない一番の理由が、来る。

そう思うと帰りたい想いがいっそう強くなった。



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