文字を喰らう龍 

荷物も無事北の塔の自室に運び込み、アシュルを迎えに行くかとミュカの部屋へぎりぎりまで詰め込まれた胃を抱えて足を運ぶ。
「あの薄っぺらい子に持ってお行き!」とマダムに渡された具沢山のサンドウィッチも手土産だ。
しかしミュカの部屋の戸を開けた途端、ミュカの悲痛な叫び声が耳を劈いた。


「やめ、やめてぇ!!それ以上は!!! あっ、アレス、頼む、止めてぇえ!!!」


白銀の髪を振り乱し、動転するミュカなど初めて目にして思わず唖然としてしまう。


「早く!!ああ、あああ……!」


真っ青になってばたばたと指差す方を目を向け、そして息を呑んだ。

乱雑だった部屋が更に散らかっており、容器が傾き、中の液体の様な物が零れているのもある。
所狭しと本棚に並べ、床にまで積まれてあった本は更にぐしゃりと山を作り、崩れていた。

そしてその本の山の上に小さな白い龍――アシュル、が、いたのだが、その周りを金色の帯が舞っていた。

良く見るとその帯は本1冊1冊から伸びており、帯だと思っていた物が文字の羅列だという事に気づく。
崩れた拍子に開いたのか、中身が見えている本の文字が金色に輝いたかと思うと剥がれ、帯になってアシュルの周囲を漂う。
そしてアシュルはその帯に、片っ端から喰らいつき、咀嚼していっているのだ。


「止めてぇえ!!その本はっ!!あっ、ダメ、この本だけは本当マジやめ、ぎゃぁあああ!!!」


抱え込んだ本の1冊から帯が伸び始めたミュカの絶叫に我に返る。


「アシュル!!!!!」


白い龍に怒号すれば、途端に金色の帯は霧散し、へなへなと後ろでミュカが座り込むのが分かった。


「何をしているんだ、お前…!!」


足音荒く本の山に近づき、頂きから龍の首根っこを掴んで下ろす。
そうすれば悪い事をしたと思ってはいるのか、ぶらりと力無く垂れ下がりながら翼で顔を隠していた。


「おい、顔を隠すな」

「ギゥ…」


更に叱りつけようとしたが、後ろからぐすぐす泣く声が聞こえて来て、言葉を飲み込み、振り向いた。


「うわぁあ、文字が、文字が消えてる…これ、凄い苦労して手に入れたのにぃ…っこれもっ、これもっ!?ええ、えええ…何、何の魔術だったの?文字を食べてたよね、何あれ、龍がそんな事するなんて聞いた事…ええええこれもぉおお…っえっ、嘘、これ絶版だったよね…魔術発動の切っ掛けは…うぇえ、これもかよぉ…結果何を得たんだ…ってひぇえ!」


泣くのか考えるのかどちらかに集中できないのか、目の縁に涙を溜めては考え込み、泣いては呻いている。


「何と言えばいいのか…本当に、すまん」


抱きかかえている分厚い装丁の本に見覚えがあり、呻くように謝罪の言葉を口にした。
確かあれは長年欲しいと口にしており、ミュカ自身が古今東西駆けずり回って手に入れた物だった。
その奥にある本はこんなに良い状態で残っているとは思わなかったと、手に入れた時嬉しそうに語っていた物だ。
真っ白になった中身を晒している特に分厚いあの本は、手に入れる事が叶わず、しかしある伝手で借りる事だけ出来たのだと言って期限の3日間、寝ずに写本した物だったはずだ。
どれもこれもが貴重な物で、手に入れるのに莫大な時間と金と労力が掛かっている。


「…すまん。読めなくなった本は全て俺が揃えよう。どれだけ金と時間が掛かろうとも、必ず――」

「ぐす、別に良いよ。もう諳んじられる程読んでたし…?」

「そういう訳にもいかん――ん、だがどうしてコイツは魔術が使えた?」


確か魔封じの首輪を付けていたはずだ。やはりあんな小さな物如きでは封じれなかったか――と掴んでいる龍を見れば、首輪が無い。


「あ…っ、それは、そのぅ…ちょっと魔力の量測りたくて、ちょっと外させて貰って…。
で、魔力計使ったら余りの量に破裂しちゃって…えへ。勢いで器具とか本が倒れるわ、零れるわ、壊れるわで、わたわたしてたらその…その間に」

「こうなったと」

「…うん」


え、えへ。と笑ってこちらを窺う顔に、さっきの罪悪感は吹っ飛び睨みを利かせる。


「莫迦か!半分程自業自得じゃないか!」

「あっ、半分だけにしてくれるの!?」

「8割方だこの馬鹿!」


何を一瞬嬉しそうな顔をしているのやら、と呆れて溜息も出ない。


「…お前が不用意に首輪を外しての出来事だが、こういう事態があるとは予想出来なかった。
本も器具も城下街で買える物はリストか何かにして書き出しておけ。金は俺が出す。他の貴重な図書は…すまん。全力を尽くして探す」

「うーん、でも本当に良いんだけど…確かに手元にあれば良いけどさぁ…。
それより、ねぇ!魔力計測器!見てほら一瞬で壊れたの!凄くない!?」


泣いた何が何とやらだ。涙も拭え切れていないのに涙の存在すら忘れたのか、興奮した面持ちで机の上を指さす。
樹で出来た重厚な机の上にもう原型を留めない計測器が…計測器なのかすら分からない残骸が置いてあった。


「それはお前、こいつだってこんななりだが龍で、おまけに白龍だ。小魔獣用の計測器ではそうなるのも――」

「ちがうって!あれ大型魔獣用の計測器だったの!危険度A+でも計測出来るやつ!」

「…は?」


あんな小型の計測器があるか、と思いきや机の下に本体らしき大きさのガラクタと化した物が見えた。


「こんな小さな見てくれなのに凄い魔力だよね!?」

「……いや、」


ありえない。
この小さな身体に計測器を破壊するまでの魔力が秘められているなど到底考えられない。
莫大な魔力をその身体に宿している龍。その中でも最も魔力が大きいと言われている白龍はそれこそ魔力そのものと言っても過言では無い生き物だろう。
しかし、それは生まれてすぐに得る物では無く、歳を重ね、身体が十分に発達してから徐々に身についていく物の筈だ。
まだ成熟していない龍を何度か捕獲したことがあったが、その魔力は身体に見合った物で、せいぜい危険度Cの大型魔獣レベルだったというのに。
大型魔獣用の計測器を破壊するというのは、つまりは成熟した、大人の龍に近い、もしくは同等の魔力を所有しているという事だ。

ありえない。
白龍だから、という言葉では説明しきれない、と経験が語っている。
急に目の前の幼龍が得体のしれない物のように映った。

それだけの力を有しているのなら、勿論この小さな輪だけで封じきれる訳が無い。
この龍が少し力を使うだけで首輪は砕け散り、もうこれを封じる物は無くなる。


「お、まえ――」


首根っこを掴んだままの龍を見つめながら、言葉は喉奥で詰まった。



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