温かい店の裏側 


「表の料理で使った鳥ガラでとったスープが未だ残っていてね。それでライ・デューユ作ってあげるから食べてお行きよ」


ライ・デューユというのは比較的貧困層に含まれる市民の間で良く食べられている大麦の粥の様なものだ。
そこに乳を入れたり、香草を入れたりとそのアレンジは家庭によって異なるため、アシュルの花の砂糖漬けと並んでお袋の味として皆の舌に馴染みがある。


「ありがとう、マダム・レジエ」

「マダムだなんて止めとくれって何度言ったら分かるんだい」


大らかに笑いながら、ふくよかな手で彼女はてきぱきと料理を作り始めた。

彼女はここ『駿馬亭』という名の小ぢんまりとした、けれどそこそこに繁盛をしている食堂を仕切っている女将だ。
いや、正しくは“ここ”は駿馬亭では無い。
この店にはミリニアという子供もいなければ、自分はぬいぐるみの土産も買って来ていない。
しかし、この女将の眼鏡に叶った者はミリニアという名を――駿馬亭の裏扉を叩くための合言葉を教えて貰う事が出来た。

出会いは裏道で彼女の息子であるドミが数人に絡まれているのを助けたのがきっかけだったか。
通りたい道を塞いでいたために仕方なくしたことだったが、ドミには甚く感謝をされ、そしてお礼をしたいからと駿馬亭に連れて来られ、彼女の眼鏡に叶ったわけだ。

『あんたにうちみたいな店はぴったりだよ』

そう言い切られた時は一体何を根拠に、と眉を顰めたが、今では確かに重宝している。


「さあ出来たよ、熱いから気を付けてお食べ」


とん、と出された湯気の上る木製の器には美味しそうな粥がなみなみと注がれていた。
ライ・デューユは貧困層の間で食べられる料理のため、正直質素だ。
しかし彼女はそこに乳だけでなく、蒼山羊のチーズにラッツという名の木の実、根菜、そしてオリジナルの香草の組み合わせで驚くほど上質な味の粥になっている。
けれど幼い頃食べたあの懐かしい味も彷彿とさせるそれは、隠れた自分の好物でもあった。
それを匙ですくって口に運びながら、胸ポケットから紙を取り出して彼女に渡した。


「これを全て頼む」

「はいはい。…量はあまりないようだけど、大きな物が多いね。持って帰るあてはあるのかい?」

「大丈夫だ。全部纏めて丈夫な麻袋に詰めてくれ。纏められない物はそのままで良い」


駿馬亭の裏の顔、それは請け負った注文の品を全て揃える何でも屋だった。
危ない仕事では無い。しかし、その注文をする人間に問題があった。
余り表に顔を晒して歩くことは出来ない名が売れた魔法使いや、貴族、そして騎士など。
彼女が信頼に値すると認識した人間のみではあるが、そういった立場の人間の注文をなんでも――そしてどんな手に入りにくい品でも時間が掛かっても1日か2日で揃えて見せるという驚異の人脈を持った店なのだ。

いくら髪の色と瞳の色を変えたと言えど、行く店や場所によっては身分が分かってしまう可能性がある自分にしてみれば、ここは本当にありがたかった。
彼女も、そしてその息子も口が堅く、ここから秘密が漏れる様な事は一切ないこともありがたく、そして信用するに長けた。

俺の注文を聞き終えた彼女はドミを呼ぶと、一言二言彼に告げ、そして紙と袋、手紙を手渡す。
それにドミはこくこくと頷き、まるで兎の様に元気よく扉から飛び出て行った。


「それを食べたら出掛けるかい?」

「ああ」

「じゃあ夕刻に来てくれたら渡せるようにしておくよ」

「そうしてくれるとありがたい」


今先ほど渡した注文の紙の内容も、他の人間が見たら訝しむだろうに、一切それには触れて来ない。
こういった配慮を有り難く思いながら、まだ熱い粥を口に運んだ。


「…そうだ、腕が良くて信用の出来る魔具店はあるか」

「魔具店かい?そうだねぇ…ここから一番近い店だとフォルーヌ通りにアジャ=ベヘナって店がある。あそこの主人はお調子者だけど、腕は良いし、約束したら必ず守るよ」

「そうか、ありがとう」




そう時間も掛からず粥を平らげ、駿馬亭から出る。
買い物の大半はここで済ませられたが、ここだけでは済ませられない用事もある。
フードを目深に被りなおすとフォルーヌ通りに向かって裏道を静かに歩き始めた。

マダム・レジエの言われた店を見つけると、古めかしいドアを軋ませながら中に入る。
薄暗く埃っぽい店内に、ドアに付けられたベルだけが場違いな澄んだ音色を響かせた。


「はいよ、どちらさんだい」


埃で曇ったショーケースの中に並べられた品々を眺めていると、小柄な壮年の男性が作業用のゴーグルをかけたまま、ひょこりと奥から顔を出した。


「仕事を頼みたい」

「はいはい、オーダーメイドかい?修繕かい?」


てこてこと近寄りながらゴーグルを外した男性の顔は作業で焼けたのか煤なのか、くっきりとゴーグルと顔とで色が違っていた。
カウンターも兼ねているショーケースの上に、懐から黒い布袋を出し逆さにする。


「これの修繕を頼みたい。金具が弱くなって来た」


袋の中から出て来たのは雫型の黒い石の付いた1セットのイヤリング。
しかしただのイヤリングでは無い事は男にも分かったのか見た瞬間に目を丸く広げた事で分かった。


「こ、こりゃあ、アンタ…」


その言葉には答えず、懐から1枚の金貨を取り出して静かにショーケースの上に置く。
この国で流通しているものでは無いそれは一部の人間しか持つ事が出来ず、そしてその刻まれた紋章は一つの身分しか指さない。
ぱくぱくと言葉も無く口を開閉させていた男は驚いた事に目の縁に涙を溜め始めた。


「し、し、信じられねぇ。俺にこんな仕事が来るたぁ…職人冥利に尽きるってもんよぉ」


どんぐり眼からボロボロと涙を零しながら感激を全身で示す男に逆に不安を抱く。
たしかに名誉ある事なのかもしれないが、こうも興奮すると下手をしたら他の者に自慢をするかもしれない。

(マダム・レジエが言うならばと思っていたが、ハズレだったか…――)

しまったと臍を噛んでいると、男は汚れた手拭いで涙を拭ってしぱしぱと目を瞬かせた。



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