名前の意味 

「アレス、ほら、薬」

「ああ…それに驚いたのか」


ミュカにもらった薬は目の色と髪の色を一時的に薄める薬だった。
不本意ではあるが龍騎士の隊長であるため、そこそこに人に顔を知られている。特に色彩については有名らしい。
だからせめてそれを誤魔化すために出掛ける際にはミュカの薬を頼る。
髪は染めるくらいならば色を変えられるが、黒髪は染まりにくく変えにくい。
瞳の色を変える事など魔術師くらいしか出来ないため、色を変えてしまえば殆ど気づかれる事は無かった。
多分、アシュルの瞳には薄い茶色の髪と紅い瞳の男が映っているのだろう。


「大丈夫だ、俺である事には変わりない。病でも無いから安心しろ」


そう言って頭を指で撫でる俺を見て、ミュカが小さく笑いを零した。


「なんだ」

「いやぁ、別に?えらく可愛がってるなぁって思って」

「別に可愛がってる訳じゃない」

「そう?まぁ、そういう事にしておいてあげても良いけど」


どことなく腹の立つ言い方をするミュカを睨み、アシュルをもう1度だけ撫でて離れる。


「少し出掛ける。ミュカのいう事を聞いて大人しくしていろ」

「グクク」

「ミュカ、帰って来た時にこいつに異変があったら殴るからな」

「わーそれのどこが可愛がって無いっていうのってわー!殴る構えしないで!分かりました!分かりましたってば!」


頭を抱えるミュカを一瞥し、手に持っていたローブを纏ってフードで顔を隠すとその部屋を後にした。




「…さぁて、と」


アレスの置いて行った龍と二人っきり…という表現だとおかしいかもしれないけど、一人と一匹きり。
ちらりと横目で見やると、やはりアレスがいなくなった事でこちらに対する警戒心が増していた。
いつでも飛び掛かれる様に身を引くくし、翼を広げて身体を大きく見せるあからさまな威嚇体勢。


「そーんな目で見ないでよ。僕だってアレスに怒られたくないし、危ない目に合せたりしないってば」


他にも少しばかり調べたい事があったのだが、今手を出したら完全に逆鱗に触れてしまうだろう。
もう少し時間を置いてから調べるかとカップに茶を注ぐと傍の椅子に腰掛けた。
ギシリ、と年季の入った椅子が軋む音を聞きながらふと視線を宙に浮かべる。

(『アシュル』、ねぇ…)

アレスが呼んでいたそれはこの龍の名前に違いない。
春の訪れを一番に知らせる白い花をつける樹。確か花芯は紫だったか。
なるほど色合いが確かに似ていて、アレスにしては良い名前を付けたと思う。

歯応えの良い甘く小さな丸い果実を沢山実らせ、痩せた土地でも比較的根を下ろしやすく丈夫。
砂糖漬けにしたアシュルの花は家庭の味の代表と言っても良いだろう。
花も実も使えるこの樹は国のどこでもお目に掛かる事が出来、国樹でもある。
良いことづくめのこの樹の名前を付けたのは、意図的だったのかそれとも意図せずなのか。

(そしてもう一つ)

実はアシュルの樹には知られざる面がある。
アシュルの根を掘り出すと、時折青味を帯びたものが見つかる。
それを天日で乾かし、粉末状にした物を少し弄れば一匙で人を何人も殺せる程の猛毒となる。
その恐ろしさは龍殺しに使われる程だ。
この事はほんの一握りの役職の人間しか知らない事実だ。アレスも多分知らないだろう。
それは国樹とされている樹がそんな猛毒となると知られる事を国が好んでいないという事と、調合で猛毒となったアシュルの根は「ラジエ」という名で呼ばれるのが普通だからだ。

実りの象徴という一方で猛毒にもなる樹。
まさに目の前の龍の様だと思った。
この龍はこの国にとって幸運となるのか、もしくは禍となるのか…。

(知らないはずなのにこんな名前付けちゃう所がアレスの怖い所だよね…。知ってて名付けてたらもっと怖いけど)

ズズッ、と音を立てながら熱い茶を啜り、この国一の薬師はそう独りごちた。




道の両端に店が軒を並べ、所々では屋台が出ている。
商人達が売り物をさばく声、客とやり取りする声、子供のはしゃぐ声。食べ物の匂い、武具の皮の匂い。
色鮮やかで賑やかな市の人混みを、揉まれないように身をかわしながら進む。
魔術師と呼ばれる職に就いている者達は外に出る際はローブにフードという出で立ちが多いため、フードを被ったままの姿を誰一人として不審に思う事は無い。
店の合間にある薄暗い路地にふっと入ると、少し喧騒が遠くなる。
そのまま無言で路地裏に足を進め、目当てのドアを2回、1回、1回と叩いて暫くすると、カタンとドアの真ん中の小さな扉が開いた。


「『おじさん、だあれ?』」


無邪気そうな幼い子供の声でそう尋ねられ、ふとフードの下で小さく笑みが浮かぶのが分かった。


「『開けてくれ、ミリニア。土産に龍のぬいぐるみを買って来たから』」


いつも通りのその言葉を口にすれば、すぐさま音を立ててドアが開かれる。
その隙間に滑り込むように音も無く中に入れば、ふわりと良い香りが鼻先を擽った。
ガチャリと後ろで鍵が閉められる音に振り向き、礼を言う。


「ありがとう、ドミ」

「久しぶりだね、アレスさん。母さん呼んで来るからちょっと待ってて。今日は表の客が少ないからすぐこっち来れると思うよ」


ニカッと悪戯っ子の様な笑みを浮かべ、ドミと呼んだ少年はパタパタと奥に走って行った。
薄暗い部屋の中は狭いが温かく、何より食欲を誘う香りが立ち込めている。
カウンターと呼べるかどうかも怪しい小さな席に腰を下ろしてフードを外すと同時に、奥から恰幅の良い女性が出てきて微笑んだ。


「まあまあ!久しぶりだね、アレスさん。お昼はもう食べたのかい?」


それに未だだと答えると、彼女は笑みを深くして釜戸に掛けてあった鍋の蓋を取る。
途端に良い香りが濃くなり、空腹感が増した。



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