濡れた傷跡 

僅かに沈んだ思考を振り払う様に浴室へと向かう。

龍騎士を纏める地位というのは何かと優遇される特権階級だ。
給金が一介の龍騎士とは比べものにならない程の額であるだけで無く、この国の土地にある施設ならばこの地位である事を示すだけで厚遇されるだろう。
専用の武具職人が付くのは当たり前で、作られた武具の使い心地の良さは言わずもがなだ。
更に訓練場では無く王が住まう城に繋がる6つの塔の内どれかに部屋を持つ事を許される。

実を言うと今使用している部屋とは別の部屋を別の塔に用意されていたのだが、余りに豪奢な作りに辞退を申し出、一番使われていない北の塔にあるこの部屋を使っている。
日当たりは確かに良く無く、調度品のデザインも古めかしい。それでも一人で使うには十分過ぎる程の広さで、備え付けてある設備には何の問題も無かった。
そもそも余計な物どころか必要最低限な物しか揃えない自分に多額の給金も広すぎる部屋も不必要だった。
…まぁ、専用の武具職人はとてもありがたいが。
それでも元が平民以下の様な自分にとってみればこれらは落ち着かなくなる程の待遇である事は変わりない。
その待遇の気に入っている数少ない内の一つがこの風呂だった。


無抵抗なアシュルの首根っこを掴み風呂場に入ると洗面台に取りあえず置く。
何をするのか分かっていない瞳でこちらを窺うアシュルに「風呂だ」と告げると服に手を掛けた。
紐を解いて上着を脱ぐと適当にそこらに引っ掛け、ボタンを外しシャツを脱ぐ。
上半身だけ肌を晒すとふと目線を感じて、振り返ればアシュルが洗面台の縁からじっとこちらを眺めている。
何かおかしい所でもあるのかと首を捩じって背中を見て、ああと納得した。

いたる所に大小様々な傷が散らばる背中。
背中だけでは無く前にも腕にもあるのだが、平面である背中はそれが猶更際立つだろう。
蚯蚓腫れの様な物や、引き攣れた様な物、火傷でケロイドの様になっている部分もあれば抉られたのが分かる傷もある。綺麗な背中という物とは程遠い代物。
龍騎士にしてみればこの様な傷は当たり前だ。
立場が上になればなる程、この職に就いて年月が経てば経つ程傷は増える。
職から降りる時に片足、片手、片目が無いというのも良くある話だ。
むしろ自分は怪我の少ない方だと言っても良いだろう。これだけ背中に怪我をしていながら顔には残る様な跡が無い。
まぁ半分くらいはミュカの手柄でもあるのだが。

背中に負う傷は今まで殺してきた龍達の物だ。
そこに龍の視線が注がれるというのはまるで糾弾されているようで心がギシリと嫌な音を立てた。
だが隠す事はしない。アシュルのその視線に晒されるままにする。
…隠してしまってはいけないと、そう思った。

無言のままズボンと下着も脱ぐと浴槽に掛かったカーテンを半分ほど引き、中に入る。
これくらいならば水が後ろに飛ぶ事も無いし、アシュルのいる洗面台にも手が届く。
ちらりとアシュルを確認してからシャワーの取っ手を捻った。
途端に冷たい水がノズルから降り注ぎ髪を濡らす。それもすぐに温かいお湯へと変わった。

この様な水道設備が整っているのは城とその付近の町のみだ。
城下町では安宿にでさえ古ぼけているといえどシャワーが付いているが、田舎に行けばシャワーなんてものは無くなり、井戸や川、泉のみに頼る生活になる。
ただ、城の水道設備は格段に質が良い。捻ればすぐに水が出るのは勿論、その水が暖まるのも早い。

降り注ぐ恩恵を浴びながら髪を掻き上げ、肌を伝う湯が身体を温めていく感覚に体の筋肉が解れていくのを感じた。
石鹸を手に取ると泡立て、身体を擦る。
龍騎士達がこの時期に使う石鹸には匂いが付いていない。残り香で龍に居場所を知られてはいけないからだ。
それでもその匂いのしない石鹸で体に染みついた血の残り香を流してしまいたいと身体を擦る。
今回はそんなに返り血を浴びなかったと言えど、あの匂いが残っている気がしてならなかった。

一しきり洗った後にアシュルに目を向ければ湯気の立つ水に怯えている様な瞳で縮こまっていた。
洗ってやらねばと思い、手を伸ばし――そこで少し考える。

龍は水浴びはするが、風呂には入らない。
なるべくあるべき状態に近い飼育をするつもりならば湯で洗う事は避けた方が良いのではないだろうか。
しかし生まれたばかりで未熟児であるこの白龍にいきなり冷水を掛けて体調を崩させてしまっては元も子もない。

暫く悩んだ後、掛けてあったタオルに湯を染み込ませそれでアシュルの身体を拭く事にした。
龍の卵は普通の卵とは違い、産み落とされた後も成長をする。
それは卵というよりも外部にある子宮と例えた方が正しい様な仕組みの物だ。
龍の子と卵は繋がっており、卵が吸収する魔力を糧に身体を作り上げる。卵内は孵化するまで羊水で満たされ、龍の子は膜と殻を破って羊水と共に生れる。
その際、羊水と油で湿った身体を母親が舐めてやる筈なのだ。

多分、こいつはその行為を経由していない。

だからその母親の舌の様に優しく丁寧にタオルで身体を拭う。
全身を拭く為に金の首輪は外され、始めは何事かと身を固くしていたアシュルだが、すぐに目をうっとりと閉じてククと喉を鳴らした。
気付かなかったが、やはり生まれた際の羊水や油が吸った汚れが身体を覆っていた様で、十分白いと思われていた鱗は拭われた所から更に白さを増した。
白、という表現から純白という表現が相応しくなる鱗。
まるで一枚一枚が選りすぐられた小さな真珠の様で拭う手にいつの間にか熱が籠る。

――…美しい。

どんなに小さかろうと、未熟であろうと龍は龍。そしてその龍の中でも希少である白龍。
空の王者と呼ばれるに相応しい身体の作りは思わず溜息が出る程だ。
飛膜まで拭い終わり、手を離せばその離れて行く手をアシュルは名残惜しそうに見つめていた。

拭ったタオルとは別の乾いたタオルで自分の身体も拭き、アシュルをタオルに包んで浴室から出る。
いつもの習慣でベッドの上に座ると用意してあった服を身に着けた。
その間、ベッドの上に置いたアシュルを包んだタオルは動かず、音も立てずで不思議に思って顔を向ければ紫の瞳がこちらを凝視していた。


「?」


その視線の先を辿れば、包帯を巻き付けた腕へとたどり着く。


「…ああ、これはちょっとした怪我だ」


お前の母親と戦った時に負った…。
心の中でそう呟くと苦い苦しみが広がる。
龍を殺す事で付き纏うこの苦々しい想いが晴れる事など無い。いくら頭で割り切ってもそれは不可能だった。
その想いに僅かに歪んだ顔をアシュルがどう思ったのか分からないが、もぞもぞとタオルの下から這い出ると腕に近づき、じぃっとそこに視線を注ぐ。
まるで傷跡から母親の面影を見出そうとしている様で居心地が悪くなった。
が、それも次の瞬間アシュルが取った行動で吹き飛ぶ。

グクク…と軽く啼いたアシュルが目を閉じ、額をすりつけるとぽぅ…とそこが淡い緑に発光し始めたのだ。
それが何を意味するか学んでいない訳が無い。
慌ててアシュルの首根っこを引っ掴んで腕から引き離す。…良かった、完全に発動した訳では無さそうだ。
さっきアシュルが施した物と同じ魔法だとすれば、行おうとしていたのは癒しの魔法。


「…治そうと思ったのか」

「ギィイ」


何故止めるのかと不服そうにさえ思える瞳でアシュルはこちらを見ると、もがいて手の中から抜け出し、再度腕にすり寄ってきた。



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