与えた名前 


「あのな。さっきは別に怒った訳じゃない」


腕の中で静かに収まる白龍の背を指通りの良い鬣を梳きながら撫でる。


「俺が叱られるくらいなら良い。だがな、お前はバレたら殺される。死にたくないだろう?
……俺も、お前を殺したいと思っている訳じゃないんだ。森に帰れるまで責任を持って育ててやる。だから、俺のいう事を聞いてくれ…後生だから」


胸の奥に鈍い痛みが走る。
殺したくないんだ。
この思いを何度抱いた事か。
お前を森へ帰した後、大きくなったお前をいつかこの手で殺さなければいけない日が来るかもしれない。
国のだからなんてただの自己満足かもしれない。でも頼むから今はお前を守らせて欲しい。
…だってお前はまだ小さいのだから。

辛いのも、悲しいのも、痛いのも、暗いのも、知らなくたっていい。


「ギュゥウ、ギゥ」


腕の中でじっとこっちを見ていた白龍が何度か瞬くとぐりぐりと胸に頭を擦り付けてきた。
それに僅かに頬が緩みそうになった後、引きしめる。
余り心を許し過ぎるのはいけない。こいつにも俺にも良い結果は待っていないだろう。


「飯の用意をするから。そこで静かに待ってろ」

「ギィ」


返事をするように鳴いた白龍をベッドの上に下ろすとワゴンから皿を出して並べる。
並べ終った時にコンコンと再度ドアがノックされた。多分ワインと追加の肉だろう。


「またお前は枕の下に…」


隠れておけと言おうと振り返れば白龍の尻尾が枕の下に消える所だった。
もぞ…と枕が動いた後静かになる。


「…」


何とも言えない気持ち…例えて言うならば投げたボールを咥えて戻ってきた犬を褒めてやりたくなるような…そんな気持ちになった。
暫く枕を見つめた後ドアを開けてあの少年から注文していた品を受け取り、礼を口にして閉める。
「良いぞ」と言えば慌ててその下から出てベッドの端まで駆けて来た。


「ピューイ、ピューイ!」

「ああ、分かった分かった…」


高い声で啼く白龍に軽く溜息を吐きながら頭を少し撫でてやる。
途端に嬉しそうに目を細めてグクク…と喉奥で啼く。
手の平にぐりぐりと頭を擦り付ける態度を取る白龍にどうしたものかという考えを抱くのは一時止める事にしよう。


「…飯にするぞ」





テーブルについて、自分の皿の傍に白龍を置く。
メインに被せてあったクロッシュを取ればピューイ!と、あの啼き声を上げる。


「ちょっと待て」


催促をする白龍を軽くと睨めばすぐに声を押え、首を垂れてこちらを窺う。


「…」


そんな一々びくびくせずとも良いのだが…と思ったが、びくびくされる様な事を俺がしているのだろう。
暴力は振るっていないのだけどな…余程俺の顔が怖いのかと思うと苦虫を噛んだような顔になった。
溜息を吐いた後、意識して出来るだけ眉間の皺を緩めながら喋る。


「俺も理不尽な事を言うつもりはない。ただ落ち着きを持て、良いか?」


ギィと啼いたのを聞いて白龍の顎下を数度擽ってやった後、食前の祈りを捧げてフォークを手に取った。

追加の肉のクロッシュを取り、薄切りのその肉を巻いてフォークに突き刺すと白龍の口元に持って行ってやる。
すんすんと匂いを嗅いだ後、白龍が口を開けて肉に齧り付く。
口のサイズより僅かに大きいそれに喰らいつき、引き千切る姿はやはり小さいと言えど龍だ。
突き刺している肉が無くなれば、くるくると新しいのをフォークで巻いてまた口元に差し出す。
その間、自分の食事も取りつつ。

本来ならば肉を自分の足で押さえ、歯で引き千切るという形で食事をするのが龍だが、今ここでそれをやられるとテーブルクロスが悲惨な事になるだろう。
汚れるのは別に良いが、ベタベタと足跡がついたそれを誰かに見られるのは困る。
食事の方法も考えないとな…と思っている間に白龍は追加で持って来た肉を全て平らげてしまっていた。


「ギゥ、クク」


しかし多分満腹ではないのだろう。物足りなさそうな目で空になった皿を眺めている。
確かに生まれたばかりで一番栄養を必要とする時期だろう。
それでも文句を言わないのはさっき騒ぐなと言ったからだろうか。
無言で自分の皿に乗っている肉に掛かっているソースをフォークとナイフで出来るだけ避け、刺すと白龍の口元に持って行った。


「食え」


差し出された肉と俺の顔を目が数回行き来する。


「良い、食え」


再度促すと白龍はそれに齧り付いた。
嬉しそうに咀嚼するその姿を静かに眺めた後、自分の口にはパンを千切って入れた。





食事が終わって食器をワゴンに直す。
部屋に備え付けてある呼び鈴を鳴らせばあの少年が取りに来てくれる事になっている。
振り返れば白龍は満足そうな息を吐いてテーブルの上に食べる前よりも確実に膨れた腹を向けて寝っ転がっていた。
それを見つめながらぽつりと呟く。


「…アシュル」


かなり小さい声で言ったのに小さな耳をぴくっと動かして、白龍は頭を擡げた。
こちらに向けられた紫の目が期待するように輝いて見えるのは気のせいだろうか。
顔を合わせ、暫くの無言の後、まるで誓いを口にするように重々しく口を開いた。


「来い……アシュル」


途端に白龍はがばっと身を起こしてテーブルの端まで駆けて来る。
落ちない様に手を差し伸べればそこに体ごとぶつかり、嬉しそうに擦り付ける。
今呼んだ物が名前だと――自分の名になる物だと瞬時に理解したようだ。

ギィギィと喜びの声を上げる白龍を眺めながら、春の訪れを真っ先に伝える白い花弁と紫の芯を持ち、丸く甘い実を付けるアシュルの木を思い出していた。



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