――それがどうだ。
自嘲し、久の首筋にそっと手を当てる。
あるべき年齢の姿になった自身の手はその年齢に合わせた大きさになり、その手の平と比べると久の首は思っていたよりも細いのだと感じながらつい先日の事を思い出す。
久が昼寝をしているこの部屋を覗いたら、久が魘されていた。
眉間に皺を寄せ僅かに首を振るその姿は酷く苦しげで、気付いた時には枕元に座っていた。
夢と言うのは、人の子の頭が物事を整理する際に見せる片鱗だという話を発達してきた人の子の世で聞いた事がある。
それが真ならば、久の頭は多大な処理すべき情報に苦しみ、魘されているのだろう。
我はその情報を喰らう事は出来ない。
あくまで、『夢』。情報を処理する際に出来る上澄みを啜る事しか出来ぬ。
夢を喰らってやる事で久の頭を楽にしてやれるかどうか我には分からぬが、やってみる価値はあるやもしれない…。
そこまで考えて、己が何をしようとしているかようやく気がついて苦虫を噛み潰した様な気持ちになった。
どうも我はこの頼りない人の子に流されやすい気がある。
流されやすいというか、手を貸してやりやすいというか、ずっと見ておかなければ気が気でない。
人の子が脆いだの何だののからの不安ではなく、生まれたての雛でも見ている気分だ。
眉間に寄る皺を数度揉む。
…どうして我がこんな乳母みたいな気持ちにならねばならぬのだ。
しかし、珠誉様の為にもこの人の子は必要だ。
巫女と分かってから尚更あの方の傷を癒すには必要だと思うようになった。
深い溜息を吐き、まあそろそろ喰わねばならぬ頃合いであったし…と己に言い訳をするように一人言ちて我は久の夢に手をつけた。
そして驚いた。
これほどまでに濃い夢を我は知らなかった。
夢というのは元々筋道などない。
しかし、久の夢はその筋道が無いというのを飛び越すほど難解で、ただの情報のごった煮のようだった。
これでは頭に休む暇など無いだろう。
噎せ返るほど濃い夢に圧倒されながらも喰っていると、ふと気付いた。
久の心が見えない事に。
余りの夢の濃さに久の心が見えないのだ。
心が見えなければ我は夢のみに集中できる。
もともと我は人の子の心の闇が嫌いなだけで、夢は美味いと思える。
それもこんなに濃い夢。
我は初めて心ゆくまで食事を堪能した。
それからという物、死なない程度に取っていた食事は、久が眠りに付き、双子が不在の際に欠かさず取るものに変わった。
何度となく食事を重ねる内に、新たな事に気付いた。
心そのものは見えずとも夢の中に心や想いというものは多少混じる筈だ。
しかし久の夢は一向にあの闇の味も、匂いもしない。
そんな筈は無いと、何故か焦って夢の中に心の香を探した。
含んだ夢を舌の上で転がすように何度も何度も反芻して見たが、あの闇も腐臭もしなかった。
僅かに掴んだのは、日陰にいる時、ふと指先に当たる日向のような微かな温もりだった。
――つまり、久はあの闇を抱いていないという事なのだろうか――――…?
背筋が粟立った。
負の気持ちを持っていない人など人では無い。
それは我が今まで人の子よりも長い時を生きて来て導き出した答えだ。
では目の前で寝ているこれはなんだろうか。
人であり、人の子の姿をし、負の感情を抱かない『これ』は。
それは人として誉められる事のように見えて、とても―――歪だ。
歪。壊れていると言い換えても良い。
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