夢 

音を立てない様に襖を開けると、きちんと敷かれた布団で久が寝ていた。
昏々と寝ているようで身動ぎさえしない。
もしかしたら死んでいるのではないかと疑ってしまう程の静けさの中で、微かな呼吸音と少しばかり上下する掛け布団だけが久が生きている事を伝えてきた。

あの喧しい双子の座敷わらしは今この屋敷にはいない。
破邪の弟が、久が寝る度に連絡を入れろと言ったから報告をさせに行っている。

本当は「けいたい電話」なぞと言う機械を使えと言われたのだが、我にはちっとも使い方が分からぬ。
そもそも我の知っている「電話」とは、個人個人が持つ物ではなく裕福な家の柱に設置さているもので、通話をする為には横に掛っている聴診器の当てる部分の様な所を耳に当て、設置されてあるとこに喋りかける絡繰ぞ。
あんな小さな物で会話が成り立つ訳が無い。

そう言いきると、あの弟は額に青筋を浮かべ、ならば俺に直接伝えに来い!と怒鳴った。
本当の事を言ったまでなのに、何故怒鳴られねばならぬのだ。合点がいかぬ。

そんな苛立たしい事を思い出しながら、久の胸上まで覆う掛け布団をそっと胸下まで下ろした。
服を皺にしないようにと寝間着代わりに渡した単衣に包まれた胸が深く上下している。

それを見つめて、僅かに唾を下した。


我等貘というモノは夢を喰らって生きる。

もともと人ならざるモノは何も喰らわずとも生きていけるモノが多いが、『喰う事』が性質の妖は喰わないと生きてゆけない。

だから花を喰らうモノは花を。風を喰らうモノは風を。影を喰らうモノは影を喰らう。
我等の場合は『夢』だった。

人の子が眠る際に見る『夢』。
我の同胞はそれを喰らって命の糧としていた。
夢を喰われた人の子に別段変った事は起きない。
むしろすっきりとするらしく、いつの間にか悪夢を喰らってくれる獣と謳われるようになっていた。
別に悪夢のみを選び、喰らうわけではないのだが…と同胞はそれを聞いて笑っていた。

我も同胞と同様、夢を喰らわなければ生きてはいけぬ身。
しかし、五種あるべきなのに一種の獣の姿で生まれて来た為なのかどうかは分からないが、我は夢を喰らうのが…大層嫌いだった。

夢というのは心と全く異なる物でありながら、酷く近い所にある。
故に夢を喰う時、どうしてもその人の子の心に触れてしまうのだ。

その度、我は見て来た。
人の子の心の内を。裏を。

そして知った。
人の子はいつも相手に笑みを向けながら内で逆の事を思う、酷く残酷で汚い生き物だと。
胸の内に一人で闇を抱え、それを育み、一人で潰されそうになってゆく、とても愚かで脆弱な生き物だと。

我はその闇を嫌った。
酷く醜く、腐臭を放っているかのような、重苦しい闇。

同族はそれがどうしたと平気な顔をしていた。
闇を恐れ、なのに身の内に抱き、泣きながら生きる哀れな存在が人の子ぞ と嘲っていた同族。

嫌いだった。
夢を喰らわなければ死ぬと思い、必死に呑み込んでも後々胃が空になるまで吐いた。
獏なのに夢を喰らっては吐き戻す我を見て、同胞は不完全な忌み子と指をさした。

夢を喰らうのが嫌いだった。吐くほど。でも人の子はどうしても完全に嫌いにはなれなかった。
抱いている闇に触れるという事は想いに触れるのと同じ。
ただ闇だけが見れれば良かったのに。そうすれば何の苦もなく我は人の子を嫌いになれた。

憎しみ、妬み、怨み、怒り。それだけを見れていたのならば。
その感情に埋もれ、闇を抱いている事に対する苦しみ、悲しみ、後悔を。
一人相撲のように暗い感情を抱き、それを嫌悪し、もがき、泣く人の子を知らなければ。

――何故闇を一人で抱くのか。お前の周りには同胞が多くいるのに何故お前達は一人で生きているのか。

哀れ
哀れ

愚か
愚か

けれどいじらしい。いや、故にいじらしい。

一人で闇に打ち震え、もがきながら進む。
見ているこちらは悲劇を通り過ぎ、まるで喜劇を見ているかのようにさえ思う。

とても悲しい哀れで愚かな強い生き物。

夢を喰らわない事で死のうとも良い。
我は同胞の嘲笑を浴びながら夢を喰う事を止めた。

それは闇を厭うたからのみではなく、しかし人の子を愛する故でもなく。
ただもがく人の子から目を背けたかっただけだ。


それ故、死にかけ、そして珠誉様に拾われ、今に至る。
珠誉様に拾われた今、この命は我の判断のみで捨ててはいけない物だ。
夢を喰らわなければ消滅してしまう故、我は夢を喰らう為、定期的に夜を駆けた。

幸か不幸かこの不完全な身体は通常の貘のように頻繁に喰らわなくても持つ。
年に1、2度喰らえば死ぬ事は無かった。



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