『が、がぁっ…っ!!』

「お止めなさい」


腕を黒い爪をもつ手が握って猫から離させた。


『ぐ、ぐぇ…っ、げほっ』


べしゃりと猫が地面に落ちて呻く。
腕を掴んだのはあの鬼。もう人の姿に戻っていた。


「二苗殿も悪気があった訳ではないでしょうから」

「はっ、悪気はないかもな。コイツはこの状況を楽しみたいだけだから。けどそっちの方が更に質が悪ぃ」

「…」

「俺はアンタ等人ならざるモノを絶対に信じねぇ。アンタみたいな堕ちたモノは特にだ」


堕ちたモノと言われて鬼の眉が動く。


「答えろ。何故堕ちたのに正気だ。そしてそれだけの力がありながら何故兄貴を助けなかった」

「……私は正気ではありませんよ」

「は?」


予想外の答えに思わず間抜けた声が出る。
こいつは分かっているのか。答え次第では殺されるかもしれないというのに。


「疾うの昔に私はおかしくなってしまった。
貴方の言う【正気じゃない】というのが【何故人の子を喰わないのか】という事でしたら、ただ食指が動かないからです」

「ならば食指が動けば喰うのか」

「…私の食指が動くことは二度とありませんよ」

「誰を喰った」

「……………死体を」


ぼそりと吐いた鬼は真っ直ぐ見ていた目を反らした。
誰をかは言いたくないという事か。

こいつが人を喰いたいという欲求に襲われないのは口にした肉体が死体だったからか?
それとも余程思い入れのある奴だったのか。

それだけでは無くこいつ自身が強いというのもある。強い妖ならば自我を保てても不思議では無い。
元から人型の妖は微弱か強大かのどちらかだ。
鬼は強い。いくら若かろうと鬼であるという事だけで強いのだが、目の前のこれは歳も重ねている。
神と崇められている妖と同じ力があると考えてもなんら遜色はないだろう。

強い妖は周りから畏怖の対象、崇める対象になる事がある。
例を上げれば狗神や稲荷…有名な物で言えば稲荷大明神と同一視する荼枳尼天などもあれの本体は狐だという話だ。…あった事は無いが。

そういった存在を人間は崇めるが、妖にもそれが当て嵌まる。
過去に罪を犯したと言えどそんな存在を滅せばややこしい事になる可能性は大だ。
周りに波を立てずにこういう存在を仕留めるには現行犯以外あり得ないだろう。


「…ちっ 取りあえず今はアンタの命は取らないでやるよ。ただ、今後そんな素振りをちらりでも聞いたり見たりしたら直ぐに殺してやる」

『恩に着る…っ』


俺がそう言ったら礼を述べてきたのは貘の方だった。
鬼の方は無表情で何処とも分からぬ方向を見ている。その紅の瞳には礼も安堵も、だからと言って落胆も何も浮かんでなかった。

硝子の様に澄んでいて、それでいて無機質なそれは何故か見ていているこっちが憂愁な気持ちになる程だ。


「取り合えず」


兄貴を背中に背負いながら俺は妖どもに背を向けた。


「兄貴はもうここに来ねぇ、いや来させねぇ。これ以上余計な情報をこの頭に詰め込ませる訳にはいかねぇんだよ。いいな」

「なっ」

「それでは我等はどうすれば…!」


2匹の狐がオロオロと声を上げる。


「付いてこればいいじゃねぇか…お前等にそんな力があればな」


鼻で笑うとぐっと二匹の狐は黙った。

座敷わらしというのは人ではなく家に憑くモノだ。
俺の家に憑けないのは火を見るよりも明らかだ。何せ破邪の俺が住んでいる家だ。これだけの力なら近寄るのも苦しい筈。
『住んでいる家』というのは俺の力が染みついているから実を言うと破邪の俺自身を前にするのより辛かったりする。
といっても生家と比べると半分もその効果は無いのだが…。

ならば兄貴と従属の契約を結んだこいつらは何処に憑くかと考えれば、兄貴の大学か、バイト先のここか…。
大学なんて大きな所に憑ける程こいつらも強くないだろうから十中八九この店に憑いている。

兄貴をここに近づかせなければ従属の契約も無しに等しく、おまけにこれ以上余計な情報も得ずに済むだろう。

涙ぐみ、わなわなと拳を握る二人を見ると流石に罪悪感を抱くが、妖には隙を見せてはいけない。
こいつらは無意識にその僅かな隙を狙ってくる。そういう性質をもっているからだ。
冷たい位がこいつらと接していくには丁度良い。

――兄貴を護るためにだったら俺は何でもする。


「お前等ももう兄貴には近づくな」


そう告げると俺は戸を開けた。



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