[六] 

山の入り口にちょこんと置いてある地蔵の前で誰かが蹲っている。

善が味わった苦痛よりももっと大きな苦痛を与えてやろう。
そうだ、こいつを殺したら里に下りても良い。
皆血祭りに上げてやる。

その背後に無言で立って、鋭い爪を持つ手を振り上げた。


「すまない、善…っ」


項で手が止まった。
善?こいつは善を知ってるのか?


「山から帰らないという事はお前も食われてしまったのだろうな…っ。
すまない、私が皆を説得できなかったから…すまない、すまない、善…っ。
俺は許さなくて良い、そんな都合のいい事は言わない…でも里の長も、皆、赦してやってくれ…」


そして、どうか安らかに…と目の前の男は花束を添えて、両手を合わせながら泣いていた。

今にも男の項を裂こうとしていた手で私は頭を掻き毟った。

人の子、人の子、善を殺した、憎い、ニクイ――でも、後悔してる?泣いてる?優しい?


『う、あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!!!!!』


私は絶叫しながらその場を去った。
人の姿になって無かったから、その声は人の子には聞こえなかっただろう。
それでもそれは木々を揺らした。


『あ゙っ、善!ぜん!あああああ、あ゙ああぁああ!!!』


泣き喚き、吼えた。
お前は人の子を良く知っていたんだ。
私は憎めない、人の子を憎めない、ダメだ、ダメだった。


『善、善、善…!』


喉を掻きむしり泣いた。

お前が許してくれと言って死んだから、愛してくれと言ったから、お前の友が赦してくれというから尚更私は憎めない。
駄目だ、嫌いになれない。その心に思いを馳せれば馳せるほど、嫌えない、憎めない…。


『善、私はお前を憎むぞ…っ』


愛しい、愛しい、人の子の善。
お前の友はお前の真名を呼んだ。私にもそれが聞き取れた。
つまりお前は私に仮名ではなく真名を教えたんだ。
愚かな、でも愛おしい。
私が苦しい思いをしない様にとお前がした事が優しすぎて、逆に私を苦しめる。


『ああああああああああああああ』


好きだったよ、善。
お前が願わなくても私は人の子を憎めなかっただろう、きっと。
それを分かっていて、善を贄にした人の子を自分が憎めないと分かったら苦しむだろうと分かって、お前は私に『許してやれ』と言ったんだ。

私が人の子を許すのは、善が許してやれと言ったからだという言い訳をお前は私にくれたんだ。




壊れた小屋にぼんやりと戻ると、じゃりっと何かを踏んだ。
足を上げると善が私の姿を見せてくれる為に持ってきてくれた美しい鏡が砕けていた。

喪失感で一杯になりながら、欠片を拾い上げた時、気付いた。


私の瞳が金ではなく、紅に染まっているのを。


欠片が音を立てて手の平から零れ落ちる。

――もう私には善の色を有する資格が無いのだと誰かに言われた気がした。





あの日、私は全てを無くした。

善を、金の色を、昔の自分を。


それでもまだ人の子を影から眺める自分に吐き気がする。
でも死ねない。まだ死ねない。

何度となくこの爪で喉を掻き切ってしまいたいと思ったが、そんな事をしては善に合わせる顔が無いとも思った。

生きて人の子を見つめ続ける。
何時かこの身が消えるまで、もしくは人の子が私を殺すまで。
それまで私は生き続けなければいけない。


私は人の子を見続ける。

でも人の子に触れたくない。


もう、二度と…。



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