[弐] 

男はヒトならざるモノの扱いを知っているようで、名前を聞いたらしばらく迷った後、『善(ぜん)』と名乗った。
名前のどこかに善という文字が付いているか、思い入れのある文字なのだろうなと検討をその時は付けた。


『善、か』

「貴方は?」

『俺?俺は…そうだな、珠誉…もしくは如月とでも呼んでくれ』

「たまほめ、きさらぎ…どちらも【鬼】を表す音ですか…」


趣がありますねぇと善は笑う。
それさえも何だか嬉しく感じた。



それから善は毎日俺を訪ねて来た。2、3週間後にはずっと俺の側にいるようになっていた。


『里には帰らなくて良いのか?』

「良いですよ〜」


前は丁寧語を使っていたが、それを使わなくなるくらいに善は打ち解けていた。
善は今、俺と一緒に何十年か前に人間が立てた小屋で暮らしている。
俺には洞穴でも、草むらでも何処でもいいのだけれど善は人間だ。
小屋と言っても半壊しているから隙間風やらなんやらと住み心地は悪いのではないかと心配したのだが、善は笑って如月が良いなら何処でも良いですよ〜と言った。


「それよりも、ほら、ヒトの姿になる練習でしょ?」

『うう…言うな。難しいんだ』


ヒトの姿になれば、人間の目に映る事も出来る。
勿論、ヒトの姿で人間の目に映らなくも出来るが。
ヒトならざるモノの姿ではほんの一部の人間の目にしか映らない。

俺は善に見えるから良いのだけれど、善が人間の姿を見てみたいと言うから今奮闘している訳だ。

昨日は爪をヒトの長さと同じに出来た。
一昨日は歯を。
でも中々角と瞳が上手くいかない。


集中して目を閉じる。

歯が縮み、爪が丸くなる…後は…。
もっと集中すると額に違和感を覚えた。
目をぱっと開けて善を窺うとぽかんと口を開けて間抜け面をしていた。


「どうだ…?」

「で、出来てるよ、出来てる。如月、出来たよ!凄いじゃないか!」


がばりと善が俺に抱きついた。
とても喜んでいるみたいだ。


「ちょ、ちょっと待て、確か鏡が…あった!」


善が漆塗りの鏡を寄こす。
覗きこむとそこには金の目の人の子が写っていた。


「…凄い、出来てる」


ぺたぺたと額の辺りを触るが、指先が伝えるのは滑らかな感触だけ。


「どうだ?善。良い男だろう」


にっと笑って振り返ると善が赤面して座っていた。


「善?」


どうした?と首を傾げると善がはっとした様な顔をした後、口を手の平で覆う。


「い…や、余りにもきれーで…」


目がゆらゆらと泳いでいる。


「綺麗?」

「いや、前も凄く綺麗だったんだけど…なんていうか、やっぱり異形故の美しさって言うかさ…別物の美しさだったから取り立てて何も感じなかったんだけど…。
今は…その、人間としての美しさでさ………吃驚した…」


もごもご言う善が可愛くて、近寄ってにやにやと覗きこむ。


「そうか、そんなに良い男か」

「莫っ迦じゃねぇの…」


善の口が悪くなる。
そういう時は図星なのだ。

喉の奥で笑いながら俺は鼻で何度か善の頬を擦って、口付けた。


「ふ…う…」


善が軽く眉根を寄せるが拒否はしない。
というかこれを始めにやってきたのは善だ。

酒の勢いで善が俺にしてきたのだけれど、その唇の温もりと柔らかさがとても心地良くて、もっと欲しいと言ったら驚いた様な顔をした後、嬉しそうにまた重ねてくれた。
今では身体を繋げる仲にまでなっている。
鬼の姿で抱いていたから、爪や歯やらが善を傷つけないようにそろそろとだったが。

初めて繋げた後、善はずっと「男同士なのに何やってんだろ」と呟いていた。
嫌か?と聞いたら、そんなこたないけどさ…と真っ赤になっていたが。

男同士とか余り俺は気にしていない。元々違う生き物なのだ。
そもそも自分達人ヒトならざるモノに性別というのはあまり関係ない。
ヒトならざるモノは生殖をしないから。

ただふっと生まれ、そして消えてゆく。だから似たような姿のモノ、同じ妖はいても親なんてものはいない。
俺は鬼の姿の時でもヒトの姿に限りなく近いから生殖器が付いているが、元の姿になれば生殖器が付いて無い奴なんてごまんといる。

だからヒトならざるモノは性欲という物が薄い。
勿論その行為をすれば心地良いが、妖同士で身を重ねると傷の嘗め合いのようでただ虚しくなるのだ。
そのためなのか、妖同士で結ばれるなんて話はとんと聞いた事がなかった。

俺も性欲なんて物とは無縁だと思っていた。

だが、こうやって善と温もりを分け合っているともっと欲しいと渇望してしまう。
使う事はほとんど無い筈だったそこから得る快楽は俺を溺れさせた。

いや、そこだけでは無い。
善と身を重ねている所全てが心地良かった。


「善…なぁ、また良いか?」

「…ん…」


善は静かに頷いた。



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