お隣さんから貰った桃を抱えながら俺はほくほくしながら皐月堂に向かった。
もう既に円に切ってもらって俺は味を知っているのだけれど、瑞々しくて美味しかった。
こんなに美味しいなら珠誉さんも、嬉しそうな顔をしてくれないだろうか…。
珠誉さんは本当にめったな事で感情を表に出さない。

でも本当は、良い風が吹いている時や、煙管を縁側で吹かしている時に気持ちよさそうに目を細めたりするのを知っている。
あの顔をこれを食べた時にしてくれると嬉しいのだけど――…。

そんな想いを抱いていた俺を出迎えてくれたのは驚愕に顔を引き攣らせた百舌君と、唖然としている珠誉さんだった。


「久!?」


何でここに来た!?とありありと伝わる声音で百舌君は叫ぶ。


「…―――っ」


珍しく焦った色を瞳に映しながら珠誉さんが立ち上がろうとした。が、


「珠誉様!!お動きにならないでください!!!」


鋭い声にはっと我に返ったように珠誉さんが止まる。


「珠誉様が今その場をお動きになったら全部崩れてしまいます!」


そう言いながら百舌君は何かを探るように眉根を寄せていたが、舌打ちをすると俺につかつかと近寄って珠誉さんの側まで半ば引きずるように連れて行かれた。
その間、「なんで今頃…」とか「来るなと言ったのに…」とか苛立たしげに呟いている。


「あ、あの――…俺邪魔だったらこれ置いて帰りま―――」

「馬鹿か。今、外に出て見ろ。喰われて死ぬわ」


吐き捨てるように百舌君は言うと、ぎっと俺を睨みつけた。


「今日は来なくて良いと言ったのに来て…今晩の記憶、後々夢として喰らってやるからな。
一番苦しい方法で喰ってやる。覚悟をしておけこの馬鹿が」


言っている意味は分からないけど、百舌君が物凄く怒っていて、おまけに俺は後でお仕置きをされるみたいだという事だけははっきり分かった。


「え…えとー…ごめんなさい」

「遅いわ戯け。ちっ、面倒臭い客の相手をしなければならなくなった…」


百舌君は俺に向き直ると、俺の額を2本の指で押さえた。
何か暖かい物に包まれた感覚がした、と思ったのと同時に店の真ん中がどんよりと暗く淀んだ。
闇よりも暗く重く何故か腐臭さえしてきそうなその黒からずるりとナニかが突き出す。

金の毛に黒の縞がはしる獣の手。

――虎?

しかしそれに次いで出てきた獣の顔は猿だった。
赤く淀んだ目を持つ猿の顔は普通の猿の顔よりも明らかに大きい。

闇から身体を引きずり出された胴体は茶色の毛に覆われていて、最後に引き出された尾は目を疑う事に蛇だった。


「遠路はるばるようこそいらした。何をお求めか鵺(ぬえ)よ」


慇懃無礼に百舌君が頭を下げたけれど、ぬえと呼ばれた存在は百舌君の言葉を完全に無視して尾を――蛇の頭を擡げ、猿と同じ方に目線を向けると口を開けた。

そこから零れ出たのは蛇の威嚇音ではなく、老人のしわがれたような声と甲高い鳥の様な鳴き声を混在させた音。


『美味そうな匂いがしたのだがなぁ』


べろりと猿が舌を出す。


『人の子の匂いがする、それも上玉だ。なあ、そうだろぉ?』

「我らはお前のような畜生に身を堕としてないからわからんな」


全身から嫌悪を表しながら百舌君は猿もどきを睨む。

それを聞いてげらげらと鵺が笑った。
猿と蛇の声が混じりあって響く。


『畜生?笑わせる。じゃあお前の後ろの奴はどうなんだ?なあ如月さんよぉ』


――きさらぎ?え、珠誉さんじゃ――…。

俺が後ろを振り向こうとした瞬間物凄い怒声が叩きつけられた。


「お前なんぞがこの方のあり方に口を出してもいいと思っているのか!!!!」


身の程を弁えよ!!!と怒る声がびりびりと空気を震わせる。


「鵺…何をしに?」


小さく囁くようだったのに珠誉さんの声は部屋の中に行きわたった。


『あぁそうだった。どうやらここ周辺に【巫女】がいるらしいんだなぁ、これが』


【巫女】と言われてぎょっと百舌君と珠誉さんが身体を強張らせた。


『あんたらはこんなとこに引き籠ってるからわかんなかったかもなぁ』


と下卑た声で猿もどきが笑う。


「…で、お前はそれを喰いに来たのか」

『そうさぁ、巫女を喰えば力を手に入れられるって話くらい聞いた事あるだろぉ?』

「つまらぬ話を鵜呑みにするほど我は愚かでない」


極上の味がするらしいぜぇ、それだけで喰うには値するじゃねぇかぁ。と赤く淀んだ目を細める猿。
口から涎が滴り落ちて床の色を変えていく。


「わざわざそれを言いに来たと?」


馬鹿にしたように百舌君が鼻を鳴らす。


『ああ。途中で邪魔されてもなんだしよぉ…それともう一つ…』


にぃいぃ、と猿の口が裂けた。


『あんたを喰いに来たんだぁ』

「な…っ!?」


どんっ!!という鈍い音と共に百舌君が虎の脚に踏まれた。



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