働 

次の日。寝ぼけ眼で歯を磨きながら昨日貸してもらった黒い傘を見た。
返さなければいけないなー…と思いながら手を動かす。


「…い…おい…おい馬鹿兄。エア歯ブラシしてんじゃねーぞ」


まだ夢と現実の狭間を彷徨っていた俺は歯ブラシが口から零れ落ちていた事に気付かなかった様だ。


「えー…あ、うん…?うぇあ!?うっわ、汚!」


一気に覚醒して、慌てて拾い上げる俺を円は冷めた目で見る。


「そんなんじゃ外で人に迷惑かけまくりだろ」

「外ではしっかり者なんですー」

「馬ぁ鹿。だったらバイト、クビになんねぇよ」


緑茶を俺に差し出しながら円は笑った。

ちなみに俺はコーヒーも紅茶も駄目。
だから円はコーヒー派なのにわざわざ俺の為に緑茶を入れてくれる。


「あれはっ!なんか、俺機械と相性悪いっていうか…」

「はいはい、言い訳はいいから。俺もう行くぞ」

「え?もうそんな時間? ん、いってらー」

「携帯忘れんなよ」


手を振って円を送り出す。


「さて、と…」


ずずっと音を立ててお茶を啜りながら俺は考えた。

今日の大学は3限目からしか授業が無いし、傘返してから学校に行こう。
うんよしと俺は頷いて緑茶を飲みほした。





「ごめんくださーい」


がらがらと戸を開けながら大声で人を呼ぶ。
昨日と同じように店内は薄暗く、人の気配は無かった。


「珠誉さーん」


前みたいに中にいたらふらっと声をかけられるかな?
と10分くらい中で待ってみたけれど、人が来る気配がしない。
奥の部屋かな…と思って少し覗くけれど分からない。

裏口とか無いかな…と外にでてうろうろしてみると、人影が見えた。
そっちに近づいてみると


「珠誉殿ー!珠誉殿ー?いないでやんすかねぇ…」


裏口付近に男が一人佇んでいた。

一瞬この人も百舌君のように髪が白いのかと思いきや、長い布で頭を覆っているだけらしく布の下から茶色の髪が跳ねて飛び出ていた。

四角い木製の箱を背負い、動きやすそうな格好をしている。
上は羽織りのようで下は七分丈のズボンだ。

ん?と首を傾げると、俺の存在に気付いたのか


「おんやぁ?珍しいお顔だ。どなたでやんすかね?」


と顔をこっちに向けて来た。

細い目は笑みの形に細められていて、いわゆるキツネ目という物だった。
にぃっと笑うと八重歯が覗く。


「あ、いや、俺も珠誉さんに用事が…」

「おや、貴方もで?」


いやいやあっしもでしてね。珠誉殿に言いつかった物が手に入ったので――とそこまで言って、しまったと額を叩いた。


「あぁ、これは失礼したでやんす。
あっしは、しがない商人でございやしてね。二苗(ふたなえ)とお呼びくだせえ」


深々と俺に頭を下げる。


「あ、そんな、俺の名前は――」


ばちん


俺の口は二苗と名乗った男の手に塞がれた。


「ななななな、初対面で名前をおっしゃろうとは肝の据わった御方でやんすね?!
あっしはかまいやしやせんが、流石にもう少し警戒心を持たれた方が…」


そこまで言ってはたと何かに気付いた顔をした。


「すいやせん。貴方、もしかして…人の子で…?」


何を言っているのかと小首を傾げるが、それで全て納得したという顔で二苗は頷いた。



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