ごぽり 足元から絶え間なくうまれる気泡がまたひとつ私の目の前を通り過ぎて空気に融けた。光を捻じ曲げる水を介して見る部屋は歪んで見えて、同じ水中にある自分の手のひらは全くもって変わらない、小さいけれどすらりとしたかたちを保っている。変なの。つぶやいた言葉はふたつの気泡になった。
水槽の縁を両手でしっかりと掴み、ざぱっと勢い良く上半身を水中から出す。飛び散る水滴を気にせずに右足を縁に引っ掛けて、ぴょいっと床に着地した。今この部屋には私しかいないから、というか、ザクロがいないから床を濡らしたって文句を言うひとはいない。桔梗がいたら、ブルーベルはしかたない子ですね、などと言って私の頭を撫でる。デイジーは、おどおどしてザクロが怒らないかどうか気にする。トリカブトは、よくわからない単語を発するか、なにも言わないか、そもそも意識を向けていないかのどれか。そこまで考えて、ふうっとため息をつく。白蘭、は。桔梗みたいに頭を撫でるのか、私に甘いものを食べないかと誘うのか、にこりと笑ってなにか関係のない話を始めるのか、の、どれかに当てはまるのか私にはわからない。だって白蘭がいるときに、水槽から出るという行為をしたことがない。もしかしたら、想像できないけれど、怒ったりするのかしら。本当に、想像できないけれど。
ぺたりぺたり 足の裏で床を叩くように歩く。引きずりそうなくらいに裾の長い隊服を肩にかけて、落とさないように掴みながら。白蘭はどこにいるんだろう。薄暗い廊下に足音を鳴らして、探す。自室にいた白蘭を見つけるのに大して時間はかからなくて、何度も見たことのある、けれどいつまでも見慣れることがない背中に飛びついた。にこりと綺麗に笑ってソファーに座った白蘭は、おいでと言ってソファーの隣を私に勧める。断る理由なんてこれっぽっちもないから、私もすとんとソファーに座った。肩の位置がまるで違う腕に寄りかかると、優しい指先がそっと私の髪を梳く。心地よいって、きっとこんなときに使うべき言葉なのね。
私は白蘭が好きだ。恋愛感情みたいに難解かつ単純な、キスとかそれ以上のことをしたいなんて穢らわしい気持ちなんかじゃなく、桔梗が言うには家族愛、に近い気持ち。家族愛なんて知らないしよくわからないけれど、白蘭を除いた私たちの中できちんとした知識がありそうなのは桔梗ぐらいだからたぶん間違ってはいないんだと思う。家族、愛。愛という言葉はありふれているくせに目に見えないからよくわからない。私には、よくわからないが多すぎてわからない。好きって思っているのは確かなのに、その言葉自体が曖昧だなんて、変なの。白蘭の指がマシュマロを口に運ぶのを見つめながら、私は答えも解決する術もないことを考える。
自分の手を見つめるのを私がマシュマロを食べたがっていると勘違いして、白蘭は私の唇にマシュマロを押しつけた。口を開けば舌の上に転がされる。考えるのをやめて、ほのかな甘みを楽しむことに意識を向けた。難しいことを考えるのよりおいしいものを食べることの方がずっとずっと好きな私は、たぶん普通。少なくとも変じゃない。ひとつふたつ、間隔を空けて放り込まれるマシュマロ。私はマシュマロばかりが溢れているお皿の横にあった背の高いパフェの器を取って、長いスプーンでてっぺんのさくらんぼをすくった。種もへたもないさくらんぼは、あっという間に喉の奥へと落ちていく。たくさんの種類のフルーツを選んで、食べて。それちょうだい、と白蘭が口を開いたから、私の胃袋に収まるはずだったみかんをひとつ、白蘭の口に入れてあげた。ぱくぱくごくん 私はパフェを、白蘭はマシュマロを食べていく。気が向いたときに、お互いの口にそれぞれ食べているものを入れながら。

「ねえ、ブルーベル」
「なあに白蘭」

生クリームとコーンフレークだけになったパフェを片手に、私は白蘭を見た。あと、ひとくちか、ふたくちで食べ終わりそう。お皿のマシュマロも、残りは少ない。

「ちょっとお仕事だよ」

そう言って白蘭は、たくさんのマシュマロといくらかのパフェを食べた甘い甘い唇で私に人間を殺してこいと命令した。ひとりやふたりじゃない、白蘭が食べたマシュマロとは比べものにならない数の、人間。本当は甘くなどない唇を見つめて、残っていたパフェをカチャカチャと器とスプーンをぶつけながら食べ終えた。ぺろり 舐めた唇はクリームがついていたから甘いと感じる。白蘭もその間にいくつかマシュマロを食べて、最後のひとつを、じゃ、頑張ってねと笑って私に食べさせた。

「ブルーベルなら楽勝よ」

そう答えてにこりと笑ってみせる私は、きっと変なのね。



ひとつまみのまぼろし



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