トイレットペーパー

「て、典悟!?しっかりして典悟!!」

「あかん!」

「触っちゃダメだ!」


駆け寄ろうとしたお姉さんを止めて、平次君とコナン君が倒れているお兄さんに駆け寄る。お兄さんはまだ息があるらしく、梓さんが警察と救急車に連絡を入れた。


「この兄ちゃんが刺された時、オレの頬に血ィが飛んで来よったし…珠雨ちゃんにも、少しやけど返り血が付いとる」

『え?』

「ほら、腕に」

「!珠雨、ダメだ!!」


平次君に言われて腕を見る。けど、腕が視界に入る前に何かに目を塞がれた。


「見てはいけません」


声からするに、さっき今日は仏滅だからと話しかけてきたお兄さんだろうか。その人の手で両目が塞がれているのか視界は暗い。


「見ていませんね?」

『うん?』

「ではそのまま目を瞑っていてください」


お兄さんにそう言われて、言う通りに瞑った。手を外されたのか、瞼の外側の光に眉を顰めた。


「珠雨、大丈夫かい?」

『うん。直前でお兄さんが視界遮ってくれたから』

「そうか…」

「お嬢さんが見るには些か刺激の強いものと思われましたので。よければこれにお着替え下さい」


「買ったばかりの新品ですので」とお兄さんが袋から何かを取り出す音がする。お兄ちゃんがお礼を言って、抱えられてどこか別の場所に移動させられた。多分キッチン横にある店員さんのロッカールームかな。

お兄ちゃんが梓さんを呼んで、二人が交代した足音がした。


「珠雨ちゃん、着替えさせるから両手上げてくれる?」

『ん』


目を瞑ったままだと着替えられないのと、兄妹を装っているとはいえ普通に他人だしなんなら人の彼女だからなのか、遠慮してお兄ちゃんは梓さんに着替えをお願いしたらしい。言われた通りに両手を上げると、着ていたセーターを脱がされた。
両手に袖を通されて、目を開けていいと言われる。着替えは白いシャツだった。


「着ていたものを袋に入れてくるから、着替え終わったら呼んでね」


梓さんはすぐに出ていってしまい、ロッカールームにひとりになってしまった。従業員が少ないからそこまで広いロッカールームではないけど、ひとりしかいないとなると少し寂しい感じがする。
ボタンを留めて、近くにあった鏡を確認する。

あらまあ、下着スッケスケだわ。


『お兄ちゃーん』


呼ぶと近くにいたのかすぐに扉が開く。


「どうした?」

『車椅子からカーディガン取って欲しい』

「寒い?……ああ、いや。分かった。ちょっと待ってて」


すぐに理解して扉を閉められる。少しすればまた開いて、どうぞとカーディガンが渡された。それを上に羽織れば「もう大丈夫」とお兄ちゃんに抱えられてお店側に戻る。さっきの場所に車椅子は見当たらなくて、窓際のソファ席に座らされた。


「大丈夫ですか」

『うん、ありがとう』

「今後いつまた会えるか分かりませんから、それはそのまま差し上げます。サイズが合わないのはお許しください」

『これ新しいシャツだから必要なものじゃないの?』

「何着か購入しましたので。サイズのお詫びにお代も結構です」

『そう?…じゃあ、ありがとう』

「どういたしまして」


そんな話をしていると救急車が到着し、お兄さんは運ばれて行った。その後すぐにパトカーも到着して、いつものように目暮警部と高木刑事、あと鑑識さんがお店の中に入ってきた。
お兄ちゃんと平次君が経緯を説明すると、そのまま事情聴取が開始された。


「このノートパソコンはいつも被害者が持ち歩いていたのかね?」

「はい…そのデイバックに入れて…」

「けど、いつも部室とかに置きっ放しにしてたから、誰て細工は出来たかも…」

「アイツ、敵が多かったしな」


トイレにこもっていたお兄さんが言うには、被害者の人は他人の彼女に手を出していざこざを起こしては代議士の父親が裏から手を回して揉め事を治めていたらしい。そこにいるお姉さんにも手を出していたようだけど、幼なじみだからじゃれてるだけだと、お姉さん本人は言い返していた。

高木刑事達は三人の所持品検査をしたけど、犯行に使えそうなものは何も無かった。それを聞いて、三人は外部犯を疑ったけど、シャツをくれたお兄さんがそれを否定した。


「あの男性が刺されて大声を出された直後、私は入口の扉の前に陣取り、何人たりとも店外に出さぬよう警戒しておりましたので。お嬢さんの目を塞ぐ時に扉から離れてしまいましたが、店外に出た場合は誰か他の方が目撃していると思います」

「目を塞いだ?」

「妹は足を失くした事故が原因で、助手席に乗ることと、自分に赤い色が付いている事がトラウマになっていて…妹の腕にも返り血が付いていましたから」

『見ようとしちゃって、それを塞いでくれたの』

「なるほど…そういえばあなた、まだ名前を聞いていませんでしたよね?」

「私ですか?私は和田進一、医療関係者です。ですから、返り血が誰にも付着していない謎には、少々興味がありまして」


和田進一と名乗ったお兄さんも一応所持品検査を受け、特に何も無いと判断された。犯人が誰かの手荷物に隠した可能性もあるとかで、私とコナン君、平次君も手荷物検査を受けたけど、何も無かった。


『和田進一ねぇ…』

「なにか?」

『いいえ、何も』


何も、とは言ったけど和田進一は流石に引っかかるでしょう。多分コナン君も疑問に思ったはず。
明治時代に翻訳されたホームズの物語があって、舞台は日本。だからホームズとワトソンは日本人の設定になっていた。そのワトソンの和名が「和田進一」、ホームズは「小室泰六」。コナン君の方をちらっと見れば、ホームズ好きの彼は流石に気付いたんだろう、分かりやすく怪しんでる。


『わかる人が聞けばわかる名前だなって思っただけ』

「そうでしょうか。そういえば、お嬢さんは何か気付いたことなどはないのですか?」


分かりやすく話を逸らしたお兄さん。でも表情も声も焦った様子が無いから、この人ポーカーフェイス上手。


『特に何もないけど、しいて言うなら音かな』

「音?」

『悲鳴の後かな。何かこう…ビッて聞こえた気がするの。ラップを切り取ったような、テープを剥がしたような、そんな感じの音だったと思う』

「なるほど…耳がよろしいんですね」

『イヤホンしてるから聞き取りにくいだけじゃない?』


お兄さんの耳元を指差すと、「そうかもしれませんね」と眉を下げて小さく笑った。話しかけられた時から片耳に有線のイヤホンを付けていて、それは携帯に繋がっていた。ラジオでも聴いてるのかと思ったけど、事件が発生してから今でも付けている辺り多分違うのかも。

お兄さんはイヤホンを付け直す仕草をすると、小さく咳払いした。


「秋風に、たなびく雲のたえ間より、もれいづる月の、かげのさやけさ」

『なにそれ?』

「百人一首にある一句です。ご存知ありませんか?」

『全く分かんない』


首を横に振ると、横から「四字熟語には詳しいのに?」とお兄ちゃんの声が聞こえた。うるさい。私にだって分かんないことくらいあるよ。というか四字熟語全部知ってるわけじゃないよ。
眉を顰めてお兄ちゃんを睨んでいると、お兄さんが意味を教えてくれた。「秋風が吹いて、たなびいている雲の切れ間からもれ出てくる月の光は、なんと明るく澄んでいることでしょう」っていう意味の和歌だって。


『へぇ…で、それがなぁに?』

「犯人も切れ間から見ていたという事ですよ」

『んー……ん?』

「…まあ、あの少年達は分かったようですから、それを聞いたら納得出来るのではないでしょうか」


お兄さんは平次君達をさした。平次君とコナン君、お兄ちゃんは捜査でずっと容疑者の三人の話とか、目暮警部の話とかをしっかり聞いたから今ので理解出来たらしい。

平次君が言うには、犯人はトイレにこもっていたお兄さんだと言う。

だけどポアロのトイレには小窓があるけど、それは磨りガラスで外も中も見えない。どうやって見れるというのか首を傾げていたら、コナン君が梓さんにセロハンテープを小窓に貼って覗くようにお願いしていた。


『あー、なるほど。接着剤で傷を埋めるって事…』


それならトイレにいても見えはするし、確かお姉さんの誕生日祝いだからプレゼントのラッピングにテープがあれば可能だ。あのビッて音はそのテープを剥がした時の音ってことね。

私は全く聞いてなかったのだけど、一年前劇でこの店をモデルに間取りセットを作ったことがあるらしく、それの寸法の記録を使って暗闇でも人を刺せるようにどこかに同じ配置で椅子と机を並べて練習したらしい。その際、生きてる人間を正面からだと刺すことが難しいから、背後から刺せるように、来店してすぐにソファ席に自分のバッグを置いて、隣に彼女のお姉さんが座るようにして、刺されたお兄さんは向かいの椅子のどちらかにしか座れないように仕向けたという。


「で、でも返り血は?刺せたとしても、返り血が付いちまうだろーが!!」

「付かないように工夫したんでしょ?」

『トイレットペーパー?』

「そう!」

「包丁の先にはめたトイレットペーパーの芯を背中にあてながら刺し、その芯を押さえたまんま包丁抜いたら返り血はほとんど浴びひんで」

『じゃあ、凶器が刺身包丁だったのは芯に嵌めるためってこと』

「そういうことやな。まあ、芯の先から多少血ィが吹き出てまうけど、その先を自分に向けへんかったらOKや。代わりに芯の先におったオレらが返り血わ浴びてもーたけどな」


そして刺した後はトイレに戻って小窓に貼っていたテープを剥がして明かりが付くのを待ち、手に巻いていたトイレットペーパーを流して、残ったトイレットペーパーに芯をはめ戻して、何食わぬ顔で出てきた、という感じかな。
芯を捨てずに戻したのは、ゴミを漁られた時に血が付いた芯があれば「これは犯行に使ったものです」「あの時トイレにいた自分が犯人です」って言ってるようなものだし、トリックに気付かれない限りそのまま捨てられるもので、捨てられるまでは色んな人の指紋が付くだろうから分からなくなるしで隠せると思ったんだろう。

探偵が多くいて残念だったね。

犯行の理由は彼女であるお姉さんの呼び方だった。彼氏の自分は苗字に君呼びで、被害者のお兄さんは名前で呼ばれてるのがイライラしてたと。本人達は幼なじみだと言うけど、ただの幼なじみじゃなく元彼か何かでコソコソ秘密にしてるから腹が立って痛い目遭わせたかったと自供した。


『兄妹でしょ?』

「え?」

『お姉さんは化粧してるから、目元とか口元は分からないけど、お鼻の形が一緒だもの』

「きっと合ってると思うよ」


コナン君がさっきお姉さんと会話した時に、本当に幼なじみなのか聞いたら「誰かを守る為の秘密」って言われた。この時「典悟を」じゃなく「誰かを」って言ったのは刺されたお兄さんの身内の誰かの事で、お兄さんの父親は代議士だから表沙汰になると致命的なスキャンダルだと考えると、お姉さんは妾の子だろうとコナン君は推測した。
その話は本当らしく、慰謝料やらなんやらで親同士が揉めている間に子供二人は放置されていて、遊んでいたら仲良くなって、友達より距離が近くて、でも言えないから周りから見ると元彼元彼女のような感じに見えてしまっていたらしい。
お姉さんからその話を聞き終えた時、刺したお兄さんに電話がかかってきた。それは刺されたお兄さんからで、離れた場所にいる私にもよく聞こえる程の大声で。

傷に響くんじゃないのかあの大声は。

電話が切れたあとポチポチと携帯を触ったと思えば、刺されたお兄さんの声がそこから聞こえた。元々流す予定だった誕生日動画で、お姉さんと兄妹であることを発表する気だったらしい。父親の事なんて自分には関係ないからと、明るい声で話していた。


「そ、そんな…」

「…ったく、刺す前にちゃんと話し合っとけっちゅうねん!」

『そもそも刺した理由がくだらない』

「まあ人それぞれですから」

『帰るの?』

「ええ、飛行機の時間に乗遅れてしまうので」

『ふぅん…今度あったら小室泰六さんの事紹介してね』

「ええ、いずれ。ではまた」


お兄さんは事件後にする事情聴取をされる前にそそくさと帰って行った。すれ違いで和葉ちゃんと蘭ちゃんが来て、和葉ちゃんが平次君の腕を引っ張って帰っていった。飛行機に間に合わないって言うなら新幹線も間に合わないもんね。和葉ちゃんが手を振ってくれて、私も振り返した。


「ねえ、珠雨さん」

『なに?』

「血が苦手って本当なの?」


和葉ちゃん達が見えなくなった頃にコナン君がそう聞いてくる。


『本当だよ。ペンキとかもダメ』

「その、さっき安室さんが言ってた理由も本当の事?」

『うん。お母さんがね、隣で潰れてたの思い出しちゃって。当時乗ってたのが助っ席だから、それもダメなの』

「そ…っか…聞いてごめんなさい」

『ううん、大丈夫だよ』


コナン君の頭を撫でてそう言うけど、本人は申し訳なさそうな顔をしたままだった。


「そういえば、さっきまでいた人が目を塞いでくれたけど…知り合い?」

『さあ?あんな人記憶にないけど』

「知ってたのかな、珠雨さんが血が苦手って事」

『知ってたら多分組織関係じゃないね、誰も知らないから』

「そっか…」


腑に落ちないような顔でコナン君はそう呟いた。すぐに高木刑事に呼ばれて、もう一度コナン君は「聞いてごめんなさい」と謝ってくれた。

本当にもう気にしないでいいのに。

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