ハリポタ 人を愛した死神 番外 | ナノ
6周年企画:お菓子作り
季節が温暖になり日中は窓を全開にして過ごすようになった今日この頃、トムは窓辺のソファに腰掛けてしかけ絵本(と言うと嫌がるので、トム相手には本と言っている)を熱心に読むのが日課のようだ。
まだ分からない単語が沢山あるから、私が隣に腰掛けてトムと一緒に本を読むのも休日の日課になりつつある。声に出して読めば私に読めないところが伝わると理解しているトムは音読をするようになって、おかげで最近は滑舌もよくなっている。良い傾向だ。
「……ライオンが、」
「臆病な、だね」
「おくびょう?」
「怖がりや、勇気がないって事。何もない部屋から音がしてビクってしたり、敵を倒しに行くぞ!って時に逃げたくなったり」
「ふぅん……おくびょうなライオンが、」
トムの音読は続く。バックミュージックにしては辿々しい言葉に、私は口元が緩むのを抑えられない。後3ページで絵本が読み終わる頃、カーテンの揺れと一緒にかんばしい香りが漂ってきた。
「……パンの匂い?」
「かもしれないね」
「パン屋が近くにできたのかな?」
「多分、お隣さんがお菓子を焼いているのだと思うよ。パンか、クッキーか、スコーンか…美味しそうな香りだね」
美味しいかどうかは私に判断はつかないけれど、と心の中で呟く。この香りがする店の前を通ると、老若男女問わず美味しそうだと言っていたから、間違いではないはずだ。現にトムは小さな鼻を動かして、香りを楽しんでいる様子。
そういえば、トムと食べるパンはいつも既製品ばかりだ。休日に出かけた時、たまたま焼き上がりと時間が重なった時にだけ焼きたてを食べている。
焼きたてのパンをお腹いっぱい食べられたら、きっとトムは幸せになれるだろう。そうと決まれば早い。
「トム、パンを焼こうか」
「え?」
「買い物に行こう。ほら早く」
「ちょっと待ってよキリー。この家はパンが焼けるの?」
「機材は揃っているね」
「材料は?」
「今から調達するよ」
「作り方は知ってるの?」
「勿論」
興味が無いことでも経験だと色々経験してきたから、一通りのことは出来るのだ。
医者だから家事関係が出来ないと思ったら大間違いだよ。
トムの服装はそのまま出かけられる格好。そして私も出かけられる格好なのだから、文句無しだ。
洗濯物ももう干したし、ちょうどスーパーが開店する時刻だから、今から買い出しに行って作り始めればお昼には間に合わないだろうけれど、おやつの時間には焼き上がるに違いない。
「トムは何パンが好き?」
「甘いのがいい」
「それなら、ケーキを焼いても良いかもしれないね」
「パンケーキは?」
「パンケーキ?簡単だよ。材料も家にあるし」
「それがいい」
パンを作るよりはるかに簡単なパンケーキを所望するトム。およそ昔パンケーキを食べたくても食べられなかった経緯があるのだろうと勝手に予想して、それならばパンケーキにしよう、と返す。
それだけでこの子はぱぁっと笑顔になるのだ。
オーブンも発酵時間も不要でフライパンさえあれば出来るたかがパンケーキ、と思ってはいけない。この子にとってはされどパンケーキなのだ。
トムが早く早くとせがむので、手を引かれるままに椅子から腰を浮かせてキッチンへと進む。
トムは自分専用のエプロンを身につけ、キッチンの前に踏み台を用意していた。小さな子供が慣れない手つきで(それでも前よりもは慣れた手つきで)エプロンを着けているのも、料理をする為に踏み台を運ぶ姿もとても可愛い。
なるほど、子供好きの人の気持ちが分かったような気がする。
「キリー、最初は何するの?」
「粉を篩にかけて、塊を取ります」
小麦粉、ベーキングパウダー、それから砂糖。それぞれを分量毎に分けた物を一緒にする。
篩は我が家にはないので、裏ごし器を代用する。篩にかけ始めると、トムは粉がさらさらと落ちていくのが楽しいのだろう、自分で篩いながら裏ごし器とボウルの間を眺めている。
粉が落ちるのに夢中なトムは気付いていないが、、裏ごし器が斜めになってきていて、粉が手の動きに合わせて片側に寄ってきている。このままでは淵から溢れてしまうが、そういった経験をするのも悪くない。
次の惨事を理解しながら気付かないふりをする為に、バターを溶かす作業に入る。
「っ!」
鍋に水を張って湯煎の準備をしていると、トムが予想通り悲鳴ではなく息を吸い込む音だけを発した。見れば片方に寄った粉は縁を乗り越えトムの手に、そしてキッチンに溢れている。
トムは経験則なのか、怒られるとでも思ったのだろう、まるで錆びた歯車を内蔵している機械人形の様に首をカクカクと動かして、こちらを見上げる。
そんなに怖がらないで欲しい。ほんのちょっとの失敗なのだから。
「ふふ、トムも私と同じだね。私も昔同じように溢した事があるんだよ」
火を止めてから少し腰を曲げて、凍りついたトムと目線を同じにして笑いかけると、トムはほぅと息を吐く。そんなに恐れるだなんて、過去に余程嫌な思いをしたに違いない。
どうしてこんな小さな子の、こんな小さな失敗をきつく叱りつける人間がいるのだろうか。
トムは落ち着きを取り戻したのだろう、私の言葉に少しムッとしたようで、キリーも同じ失敗していたなら教えてよ、と頬を膨らませて見せた。
その頬を指で突けば柔らかい弾力。
「そうしたら、僕は溢さなかったのに」
「自分の失敗を忘れていたんだよ。でも良いじゃない、経験も大事だよ?」
「失敗なんてしないほうがいいに決まってる」
片手は裏ごし器を持っていて、片手は粉だらけのトムは私が頬を突いても動けないでいる。動いたら溢してしまうと思っているのだろう。
「さてトム、ここで問題です。この篩をどう動かせば溢れなくなるでしょうか?」
「斜めにして、粉を平べったくする?」
「正解。やってごらん」
トムは何を当たり前の事を言っているんだと顔で訴えかけてきて、篩を斜めにして粉の山を上にした。
そして、山側の裏ごし器を手で叩く。
「えっ」
粉は山を登って、またトムの手にかかってきた。
「何で」
「さて、何ででしょう」
「知ってたの!?」
「私は何度も失敗しているからね」
「ひどい」
「経験だよ」
「キリーはひどい」
トムは不貞腐れてしまう。ちょっとした教訓のつもりだったのだが、傷付けてしまったのだろうか?これでは美味しいパンケーキも味気なくなってしまう。それは一大事だ。
「こういう時はね……貸してごらん」
トムから裏ごし器を受け取り、見本を示すと食い入るように見てきて、すぐに僕にもやらせて、と言ってきた。
負けず嫌いで大変結構。更に飲み込みも早いのだから、流石子供というところか。
「トムは飲み込みが早いね」
「僕を誰だと思っているのさ。僕は何でも出来るんだからね」
自信あり気な顔をして、また粉ふるいに専念するトム。私は湯煎を再開して、バターを溶かす。
「全部サラサラになったよ」
「ありがとう、トム。これで美味しいパンケーキが作れるよ」
トムは満足気にふふんっと笑って、次は何をすれば良いの?と聞いてくる。
さて、次の行程はバターを溶かすのと、卵と牛乳を混ぜるという同時並行が行われるのだが、バターは今私が溶かしているし、火元に子供を近付けて万が一の事でもあったら大変だ。
「じゃあ、トムには卵を割ってもらおうかな」
トムはゲッと声を上げて嫌そうな顔。トムは卵を割るのが苦手なのだ。いつも黄身が割れて殻も入ってしまい、殻は私が取る事になる。
「何事も経験の積み重ねだよ。それに、トムは何だって出来るんでしょう?」
さっきの言葉を引用すれば、トムは唇を尖らせる。
卵の殻が入っても分かるようにガラスのボウルと卵をトムの前に置いた。この中に割ってくれれば、私は卵の殻が取りやすい。それに目玉焼きを作るのではないから、黄身が割れても何も問題にはならないのだ。
「頑張れ」
湯煎はとっくに終わってドロドロに溶けたバターを無為にかき混ぜて、まるで忙しいので私は卵を割れませんと口にはせずに見せつける。
トムはやっぱり唇を尖らせたまま、卵を両手で握った。
慎重に角に卵をぶつけると、卵は新鮮なのでヒビすら入らない。
トムはもう一度卵を角にぶつける。今度は力を入れていたのだろう、予想以上に殻が割れてしまい中身が溢れ出して、トムは慌ててボウルの中に卵の中身を入れる。
黄身は割れたが、殻は入っていない様子だった。
「トム、上手になったね」
「だから何でも出来るって言っただろ?」
「うん、凄い凄い」
計量済みの牛乳と泡立て器を渡し、卵の入ったボウルに入れて混ぜるように指示を出す。
その間に私は溶かしたバターにバニラをほんの少しだけ混ぜて香り付けを行い、混ざり終わった卵と牛乳のところに流し込む。
トムは説明しなくても、足されたバターを混ぜ始めた。
甘ったるいバニラの香りと、濃厚なバターの香りが台所を充していて、子供をお菓子に喩えた言葉を思い出す。細く白い腕や柔らかな頬はメレンゲ。艶やかな髪は飴細工。唇は林檎のシロップ。
悪い魔女ならこの充満する香りに乗じて子供を食べてやろうと企てるに違いない。
「キリー?」
「混ぜ終わったね、ではそれを小麦粉達の中に入れよう」
名前を呼ばれてすぐに思考を切り替える。私は悪い魔女ではないのだから、この子を傷付ける事などしない。考えるだけ無意味だ。
トムは頷いて、私が粉の入ったボウルに液体を流し込むと、泡立て器で混ぜ始めた。ダマを作らないようにというのは初心者のトムには難しいだろう。まずはトムが混ぜてから、私が混ぜてダマを無くせばいいか。
トムが混ぜているのを眺めていて、あれ?と気付く。
「泡立て器の持ち方、それでは疲れてしまうよ?」
まるで逆手のような持ち方。
そういえば持ち方を教えていなかった。とはいえ先程卵と牛乳を混ぜる時は普通に持っていたような……否、私の思い込みによる見間違いで、トムは元々逆手に持っていたのかもしれない。
「だって、下にある小麦粉が、全然混ざらないから」
んっ、と泡立て器を沈める掛け声を奏でながら、トムは懸命に粉と液を混ぜようとしている。
頼るように仕向けなかった私も問題ではあるが、混ぜるのに力がいるから大人のキリーがやって、と一言でも言ってくれれば私がやるのにと思わなくもない。
頼ってもらえない寂しさとは、まるで全身から空気が抜けきってしまったような脱力感と似ている。
「トム、私がやるよ」
「僕は何だって出来るんだ」
だからキリーの助けはいらない。そう突っぱねられてしまってはどうしようもない。この子のプライドはとても高いのだ。頼るという方向で私にやらせる事はないだろう。そして、トムが作り終わった物を混ぜる私を見てきっとムッとするに違いない。
「トム、ちょっと美味しくなる魔法を教えてあげようか?」
「美味しくなる魔法?」
魔法なんてあるわけないじゃん、何を言ってるのさ。と非科学的な事をスッパリと否定するトム。
さてどうしたものか。がっちりと泡立て器とボウルを持った子供からその両方を簡単に奪う方法を考えなければならない。
「実はあるんだよ、秘密の魔法がね。貸してごらん」
トムは少し悩んだ後、渋々と私にボウルと泡立て器を渡してきてくれた。
魔法なんて信じていないだろうのに、この子はあれだけ憎まれ口を叩いても、結局は優しくて自分にとっては不本意でもお願いを聞き入れてしまう。
それに甘える私も大概なのだが、今ばかりはそれに感謝しよう。
「ありがとう。では、これを加えます」
強力粉を見せて、中にほんの少し入れる。
トムはパッケージの文字が読めていないのだろう、それは何?と問うてくる。トムの年齢を思えば強力粉という文字がまだ十分に読めないのは問題だが、今の状況では都合が良い。
「パンケーキがふわふわになる秘密の粉だよ」
下に沈んでいる粉と一緒に手早く混ぜる。トムはふわふわという単語に心踊ったのだろう、目にキラキラと星を携えて私の手元を見ている。
簡単に混ぜて、少しのダマは許容する。だいぶ昔に、混ぜすぎるより混ぜすぎないほうがふわふわになるのだとナースが言っていた。随分と前に聞いた記憶ではあるが、パンケーキ繋がりで記憶の蓋が開いたのはラッキーだ。
「さて、焼きましょう」
フライパンを熱して、少量の油を敷く。まずはお手本に、と言っておたまに掬ったパンケーキの元をフライパンに流す。勝手に丸く広がるそれを、トムは真面目に見ていた。
「そんなに近付いたら熱いでしょう。ほら、少し離れて見たほうが良いよ」
トムは頬っぺたを小さな手で触って、熱くなっているのに気付いたようで少し体を離した。
素直でよろしい。
「表面に空気が出てきたでしょう。こうなったら、ひっくり返す時だよ」
フライ返しを差し込んで、くるりとひっくり返す。
「キリー失敗してる」
少し生だった生地が外にはみ出していびつな形になったパンケーキ。
まぁ良いかと思っていたら、まさか隣からツッコミが来るなんて。
「食べたら同じだよ」
「あ、そういうの、負け惜しみって言うんだよ」
「トムは本当に難しい言葉を知っているねぇ」
まさか、こんな小さな子供の口から負け惜しみという言葉が出てくるなんて。強力粉は読めないけど、負け惜しみは意味も知った上で口にできるのか。
「じゃあトムは上手に出来るかな?」
「僕は初心者だよ?でも、キリーよりは上手いかもね」
「それは楽しみだなぁ」
焼きあがったパンケーキを皿に置く。焼き加減は上々だ。
「では次はトム、やってごらん。火傷をしないようにね」
「任せてよ」
おたまにたっぷりと液を入れて、フライパンに流し込むトム。それはどんどん広がって、とても大きなパンケーキとなった。
トムは少し困り顔を見せる。それはそうだ、フライ返しに対して随分とパンケーキが大きいのだから、どうやってひっくり返せば良いのか、悩むのは当然だろう。
「ひっくり返せる?」
「出来るよ!」
トムは噛み付かんばかりに言い切って、泡がふつふつと出始めると、フライ返しをパンケーキの下に差し込んだ。とは言え、それはパンケーキの半分までしか差し込めていない。
「いくよ!」
「頑張れ」
えい、とひっくり返すが、パンケーキはオムレットのように半月型になるだけで、たちまちトムはこうべを垂れてしまう。
「食べたら同じだよ、トム」
「そうだけど……」
トムはきっと丸くてふわふわなパンケーキを食べたかったのだ。
「トム、私のと交換しよう?」
「良いよ、僕が焼いたのは僕が食べる」
「私はトムお手製のが食べたいのだけれど、駄目?」
「キリーのほうが美味しそうじゃない。キリーはキリーのを食べなよ」
「私のほうが美味しそうに見えるなら、両方半分こしようよ。私はトムのが美味しそうに見えて、トムは私のが美味しそうに見えるんでしょう?」
「……」
じっくり悩んでいるトムを尻目に私は半月型のパンケーキを焼き上げて、皿に盛りつける。ナイフを持って、良い?と問えば、上目使いに見てくるトムは視線を床に落として小さく頷いてくれた。
自分の分と、トムの分にナイフを入れて半分に切り分けて皿に盛る。
合わせて残りの生地を可能な限り丸にして焼いて互いの皿に盛り付ければ、トムの表情は明るくなった。
よほど丸いパンケーキを一枚そのまま食べたかったのだろう。その気持ちの理由は知らないけれど、先程までの落ち込んだ表情から今の笑顔になってくれたのだから、まん丸パンケーキに感謝だ。
バターとメイプルシロップをトムに準備してもらっている間に、果物を飾りつければ出来上がりだ。
トムにはハーブティーを入れて、テーブルを囲む。
「では、食べましょう」
「いただきます」
「いただきます」
たっぷりのメイプルシロップとバターをつけて、トムの目はキラキラとしていた。
少しばかり頬も緩んでいる。
小さな手には少し大きい大人用のナイフとフォークを使って、トムはパンケーキを切って口に運ぶ。途中メイプルシロップがパンケーキから滴り落ちたのに気付いていないようだし、私も気づかなかったふりをしておこう。
「美味しい」
幸せそうに目を細めて、口を動かしながら紡がれる言葉。経口摂取で美味しいと感じたことのない私ですら、その顔を見ていると美味しいと思えてしまうのだから、不思議だ。
「本当にふわふわだ」
「でしょう?」
「うん!」
今まで静寂しかなかった部屋に子供の弾ける声が響く。
カーテンが揺れて、柔らかな風が入り込んできた。
***
サナ様へ
仕上がるまで時間かかりすぎていて本当に申し訳御座いません!!!6周年通り越してもうすぐ8周年だよと言われたら何も言い返せません……本当にお待たせして申し訳御座いませんでした。
リクエストありました、一緒にお菓子作りをする話を書かせていただきました。
トムがこの件でパンケーキにはまって、ヒロインに何食べたいか聞かれる度にパンケーキと答えてヒロインを困らせるのだろうなぁと考えています。
本当に、長らくお待たせしてしまい申し訳御座いませんでした。
2015/8/17 葦
- 8 -
[
*前
] | [
次#
]
←
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -