ハリポタ 人を愛した死神 番外 | ナノ
30万企画:リキュール
仕事中に発生する固まった休み時間と言えば、昼休み程度だ。
人と同じ食事を摂るでもないので極力一人で過ごすことが多いキリーは今日も違わず一人でのんびりと過ごす予定であったのだが、そうもいかなくなってしまった。何故なら先ほど脳外科医がキリーを探していたと看護師に言われたのだ。そう言伝を受けては、他人の食事時間と極力関わらないように生きているキリーであっても、そちらに足を運ばざるを得ない。
居るだろうと目星をつけて、あまり近寄りたくもない食堂に向かう。ぐるりと周辺を観察してみれば、病院にそぐわないレストランのような賑わいの中で食べる人間達の中に目当ての脳外科医が居た。
近づいて、私を探していたという情報を受けたと告げると、相手は良いタイミングだ!と喜んで見せて、そして横の席に人間でもないのに鎮座している紙袋を差し出してきた。
見慣れない異国の文字が刻まれた紙袋と、先々月に対話した時には白かった肌をやたら黒くして健康的に白い歯を光らせる脳外科医に、何処かに出かけた土産なのだと推測して、受け取る。
想像より幾分重たい紙袋に疑問を抱いたキリーが紙袋の中を覗き込むと、茶色の小さな瓶が入っていた。此処で出して良いのか確認をとってから、袋から小さな瓶を出す。
「珈琲?」
キリーが書かれた文字を読めば、脳外科医は頷く。
「メキシコに行ってきたんだ。ウェストンさんは珈琲が好きだろう?だから、プレゼント」
格段親しくしていた相手でもないのに、まさか土産をもらえるとはと思っていなかったのでキリーは驚く。それと同時に、そんなに珈琲好きと認識されていたのかと、周囲がキリーをどう捉えているのかを理解した。
キリーは珈琲が唯一『飲める』から飲んでいるだけで、殊更好きだというわけではない。とは言え、日常においてはそれしか口に含む姿を見せていないのだから、周囲の人間に珈琲好きと認識されても仕方がないのかもしれない。看護婦もいつもキリーのデスクに珈琲を置いてくれるし、紅茶の国に在りながら珈琲が好きなのかと、同僚の間で話題の種として扱われることもあったのだから。
家に子供が居る今、私が好んでいると思われる品ではなく、チョコレートでもキャンディでも、その地の菓子類のほうが私としては嬉しかった。とは好意を受け取る立場で言えるわけもないので、キリーは素直に感謝だけを口にする。
「それはリキュールだから、何かにかけたり、割ったりして飲んでくれ。その中身とミルクを1:3位の割合で飲むと美味しいそうだよ」
「そうですか」
再度感謝の言葉を口にして、キリーは自身と無縁の食堂を後にする。
珈琲リキュール、つまりお酒であるそれは珈琲と同じ味であれば飲めるのだろうかと、キリーは自分の体の拒絶反応の是非が気になるのだった。
人を愛した死神
番外 リキュール
「ただいま、トム」
家に帰った時、階上に向かって声をかけるようになって幾日が過ぎたのだろうか。3桁を優に超えるそれは、もう日常の枠組みに取り入れられており、玄関を開けてすぐに口が勝手に音を発するほどに習慣化されている。
トムも二階のリビングからおかえりと声を発して、ひょこりと顔を覗かせる。その日々繰り返される行為は、最初こそお互いに家族というのを知らなかったのでこそばゆくて落ち着かないものであったが、今は自然と口から勝手に零れて、なくてはならないものになっていた。
キリーは鞄を一階の来客用の部屋兼自室のソファに置く。リキュールも置いて行こうかと考えたが、味見が必要だからリビングに持っていくのが正解だろう。そう考えて、異国の言葉が書かれた紙袋を持って階段を上がると、トムはもう席に腰をかけていた。
残り少しの夕食をナイフとフォークを使って綺麗に食べている。その前の席、いつもの定位置にキリーは腰掛けて、トムの食事をゆっくり眺めた。観察対象を見るような遠慮を伴わない視線に、トムの眉間に皺が寄る。
「何?」
「トムの夕食の時間に間に合って良かったなぁって」
「……食べてる僕を見て楽しいの?」
「楽しいよ」
キリーが素直に答えれば、相手はつまらなそうな顔。これが困惑している時のトムの表情なのだとキリーが分かるようになったのはつい最近だ。いつもくだらないことを言っていると呆れられたのかと思っていたがそうではなく、単にそういう対象として扱われることに慣れていないから悪態をついたりしていただけのようだ。
「新聞でも読んでれば?」
「新聞はいつでも読めるけれど、トムの夕食の風景は今この時でなければ見られないからね」
「落ち着かない」
「そう、それは残念」
「……ところで、それ何?」
トムは口をへの字にして、キリーがリビングに入るならソファに置いた異国の言葉の紙袋を目線で指す。トムがわざわざ問う、つまりいつもと違う物を示していると考えれば、“それ”とはソファではなく紙袋のことだろう。
「脳外科の先生が新婚旅行のお土産をくれたんだよ」
「へぇ」
「残念ながら、トムが喜べる物ではなかったなぁ」
お酒だから、という言葉は敢えて口にしない。子供がお酒に興味を持った時の対処法をキリーは知らないので、あまり口に出したくなかったのだ。
トムはまだまだ幼く、知的好奇心から飲みたいと言われたら、キリーはそれも経験として良いかもしれないと思ってしまうだろう。
道徳というのは学んでいるし良し悪しも分かるが、どうにもキリーはそういった概念が弱いのだ。タバコも吸いたければ吸えばいい。お酒も飲みたければ飲めばいい。その結果体を壊したとしても、やりたい事をして体を壊したならば本懐だろう。という考えのようだ。
しかし、それは他人――つまり、勝手に酒とタバコをやったところでキリーにとっては痛くも痒くもない相手――に対しての考えであり、トム相手には通用しない。トムの小さな体に害があるような飲食物や嗜好品は徹底的に取り払わなければならないのだ。
キリーの言葉を濁した言い方に、訊かれたくない事なのだと悟ったトムはそれ以上は問わなかった。こういう時、さっと引き際を見極めてしまうのがトムの良いところであり、キリーから見ると少し寂しいところでもある。
食べ終えたのを確認してからキリーはお風呂の準備をして、トムを先に入れる。
ここから先暫くはキリー一人の時間となるので、茶色の瓶を紙袋から引っ張り出して、裏面のラベルを確認する。
珈琲リキュールと確かに書いてあった。蓋を開けて香りを嗅げば、珈琲と、砂糖を水に溶かして煮詰めたような香りが鼻腔を刺激して思わず眉根が寄る。甘い飲み物なのだろうか?
言われていた通り、グラスに珈琲リキュールとミルクを注ぐ。
カフェオレのような色合いになったそれを見て、キリーはぼんやりと飲みたくないと思った。理由は簡単で、先ほどの甘ったるい香りとミルクの量で、それはキリーが苦手とする物のような気がしているのだ。
しかし、土産としてもらった今、飲んだかと問われることもあるだろう。せめて一口飲んで、香りの感想を言えばいい。そう思って、キリーは意を決してほんの少しばかり飲んでみる。
口の中に広がるねっとりとした、例えるなら黄土色の粘土を水に溶かしたようなそれに、キリーの全身が粟立った。とても飲めたものではなかったのだ。
ミルクのねっとり感と、子供が好む練り飴のような香り。そして珈琲とミルクの香り。口に含んだほうが鼻腔を刺激するので香りで味のおおよその想像は出来るかと思っていたのだが、様々な物が混ざり合っていてキリーには味が想像出来なかった。
煮詰めてねっとりとしているなら、砂糖が入っていると考えて良いのだろうか。そう分析するものの、香りだけで判断するには難しい。何故なら土産はメキシコの物であり、イギリスから出た事がないキリーは異国の地でも同じ香りが同じ味を示すのか分からないのだ。
シャーロック・ホームズが連載していた数年前には蛇がミルクを飲むと信じられていたような時代であるから、甘い香りなら甘い、という概念は成り立たない。真実だと思っていたことがすぐにひっくり返るこの時代、キリーは異国の味が全く想像つかなかった。
瓶の残量は残り半分程度であるため、今作ったこのとても飲めそうにない品を捨てるにも迷いがある。キリーはもう少し落ち着いて、トムが寝てからこの液体を更に煮詰めてみるのも良いかもしれないと思った。
脳外科医に問われた時の回答方法をどうしたらいいのか悩むキリーは、まだ飲んでいないという言い訳をすっかり忘れている。他人の好意を無下に出来ないのが、キリーの弱点であった。
トムが上がったのを目視したキリーは、風呂上がりで乾いただろう喉を潤わせるためにコップにミルクを注ぐ。それも慣れ親しんだ行動であるため、トムは感謝の言葉も無しに受け取り、それをキリーも当然とした。
トムが目を細めて美味しそうに飲むのをキリーは少し目を細めて見る。彼女にとって粘土を溶かした液体であったミルクを、トムはとても美味しそうに飲んでいるのだ。人との落差をまざまざと見せつけられているようで、キリーは手早く自分の身支度をまとめて脱衣所へと向かうと、扉を閉めた後に脱衣所内にある洗面台で口を濯いだ。
乳製品は舌の絨毛に捕らわれやすく、香りと食感を残してしまうのだ。それはキリーにとってとても不快で、気持ち悪いものでしかない。人からの貰い物だからと律儀に応えようと人の真似事をした自分の愚かさに自己嫌悪に陥る。お酒は飲めないと突き返せば良かったと、今になって後悔した。
しかもミルクは発酵しやすく、また匂いも出てくる。キリーは昔から乳製品が苦手だった。理由は単純明白で、体内の温度で発酵して悪臭を放つ上に、機能を果たさないくせに痛みに関しては敏感に反応するタチの悪い内臓達が痛みを訴えてくるようになるからだ。
飲んだ物が体内を巡る前に吐いてしまおうかと少し考えるが、同じ二階に存在する脱衣所とリビングでは、吐いている音がトムの耳に届く可能性は十分にあって、キリーは吐くこともままならない。諦めようと、全てを手早く脱いで湯気が立ち込める浴室へと入った。
先に体を洗うキリーは、洗い終わって浴槽に浸かると心地良さそうにほぅ、と息を吐いた。日々暖かくなり、日中は暑いと思えるようになってきた昨今ではあるけれど、やはり夜は冷え込むのか浴槽に体を沈めるのがキリーにとって至福の時なのだ。
欧米人はシャワーで済ませることが多く浴室に長く浸かる習慣はないのだが、キリーは食事の時間がない分、入浴に時間を割いている。そしてそれはキリーと共に過ごしているトムも同様で、二人はお風呂好きになっていた。
足を伸ばして、腕も伸ばす。温められた筋肉が弛緩して伸びをすると心地良い。
トムと入っていた数日間は二人並んで入っていたのでキリーは足を延ばすことも出来なかったが、あれはあれで良い経験だったと今のキリーは思う。尤も、風呂はゆっくり入るものなので一人でいることが随分と楽だし落ち着くので、また一緒に入りたいかと言われると「そうではない」と応えるのだけれど。
アルコールを摂取したからだろうか?アルコールを分解出来ず、かといって吸収することも無いキリーの腹部は体温以上に温かい湯船に浸っていると早くも不調を訴えている。もう少し人間らしい内臓機能が備わっていればと思わないことも無いが、こればかりは望んだところで得られはしないのだから仕方ない。
長湯を今日は出来ないけれど、明日はこの身がふやけるまで浸かろう。そう心の中で独りごちって上がるか、と浴槽から体を引っ張り出す。ザバッと水が大きな動きを見せたところで、脱衣所が開く音を耳にしたキリーは気だるげな表情から一変して、剣呑さを瞳に宿す。
家にはトムしかいない。けれどトムが今までキリーが浴室に入っている時に尋ねてきたことがあっただろうか?簡単な疑問に対し脳はあっさりNOの答えを提示する。
では誰が?と居もしない第三者を想定してキリーの機能しない胃袋は捻れそうなほど不快感を押し付けてきた。それは数多ある可能性を一斉に導き出し、憂慮すべき最悪の事態を想定したからであり、先ほど飲んだ物とは無関係の不快感であった。
キリーの考えなどまったく配慮していない相手は浴室のドアを簡単に開けて、低い位置にある頭を覗かせた。
「……どうしたの、トム」
全裸で浴槽に膝立ちのキリーは最悪の状況でないことに安堵したのか、気付かないうちに張っていた気を緩めて、息を長く吐くように言葉を紡いだ。
パジャマ姿のトム。何か恐ろしい事でもあったのだろうかとキリーは様子を伺うが、その表情は青ざめているのではなく、赤みを帯びている。
まだ6歳児の子供が女の裸を見て照れるとも思えない。それに何度か一緒に風呂に入る時にタオルなど一切使用せずに晒した身だ。早熟であったとしても、今更過ぎる反応である。
「キリー」
「うん?」
浴室の床は濡れたタイルであって、危ないから歩く時は慎重にと言っているのに、トムはこの短い距離でタッと駆けた。
転んだ時を思ってとっさに腕を伸ばすキリーの両腕の中にトムは突進してきて、そのまま抱きついてくる。キリーにとってトムは賢い子供であったし、事実年齢にしては大人びた思考を持っているために今回のこの行動は意味の分からないものだけれど、転んで怪我をするという最悪のシナリオは免れられたのだと安堵に溜息が出た。
ギュウギュウと抱きついて、パジャマがキリーの体の水滴で濡れてしまったようだ。胸や胴体にくっつく濡れた生地が少し気持ち悪いと思うキリーに対し、トムはまったく気にした様子はない。
「どうしたの?」
奇行の原因を察すること出来ず、再度問いかけることしか出来ないキリーは不甲斐なさを噛み締めた。
トムから抱きつくのは珍しい。これがただのスキンシップを求めてならば可愛らしい行動の1つとなるのだが、生憎トムの性分からするにこんな行動は有り得ない。
子供を産み育てている母親ならば、察することくらいは出来たのだろうか。自分の経験の浅さから察せられないのだろうかとキリーは考える。人との関わりを必要最低限にしてきていた彼女にとって、他者の一挙手一投足を探り探りやるのは骨の折れる作業であった。
子供の顔を見ようにも、首に細い腕をがっちりと回されて、更に肩に顎を乗せられているために見ることは叶わない。未知の行動をとる子供は、全裸の女に抱きついてひたすら無言をつき通すだけだった。
「トーム?」
しっかりと拒絶して離せば良いのか、濡れにきたことを叱責すれば良いのか、キリーにはどれを選ぶのが正しいのか分からない。頬に張り付くトムの黒髪は短いからチクチクとするし、火照った体に子供の少し高めの体温は生温くて心地良いとは言えない。このまま膠着状態でいても望ましい結果は得られないだろうと思うキリーはトムが濡れるのを承知で抱きしめて、少し前かがみになって尻の下に腕を置いて抱き上げる。
ザパリ、と水が波打った。暴れられたらどうしようかと一抹の不安を抱えていたキリーであったが、トムは暴れるどころかぎゅうっと更に抱きついてくる。濡れた布一枚を挟んで密着する身体は、似たような温度だ。
似たような温度?とキリーはトムの頭を撫でてコブがないか探していた手を首の後ろに移動させる。
風呂上がりのキリーとほぼ同等かそれ以上のトムの体温に、キリーは訝しんだ。いくら子供は体温が高いと言え、高すぎる。トムが風呂から出て30分は経っているのに、こんなに体が熱いのは何か体が危険信号を発しているからに違いないのだ。
「トム、少し離れて」
「いやっ」
キッパリと、それこそこの言葉しか知らない駄々っ子が発するような声音でトムは嫌だと言い切った。キリーは少し舌ったらずな子供っぽい口調に推測が確信になるのを感じた。
キリーが作ったリキュール入りのミルクは、台所のワークトップに置いていた。一口飲んだだけで残りを放置していたのはキリーの失態であるが、あのグラスはトムの手が届く範囲には置いていなかったから届かない筈だ。どうやってトムがキリーのグラスを見つけ、手が届かない奥に置いていたグラスを入手したのか。キリーにはまるで分からない。
分からないが、今の状況から察するに、およそアレを飲んだのだろう。
半分安心と、半分疲労。頭を強打して幼児返りしたのかという心配が杞憂であったのは良かったが、こんな小さな子供がアルコールを口にし、あまつさえ酔っ払ったという事実に腹部の不調よりも頭痛の方が主張してきた。
「トム、せめて下着はつけたいんだけど」
「ん〜」
ぎゅうっと首にまとわりつく熱く柔らかい腕。このままでは水浸しの体で、全裸のまま家の中を歩き回ることになる。例え人でないとしても、牧師の元で幼い日々を過ごしたキリーには一般常識は勿論、そこそこ強めに淑女としての恥じらい……と言うよりも身だしなみに関して厳しい考えが埋め込まれている。そんな生き方をしてきたキリーは家の中だからと布一枚纏わず徘徊は出来ない。
つまり、トムの駄々は受け入れられないのだ。
「トム、私のお腹が痛くなっちゃうし、トムのお腹も痛くなってしまうよ?」
もうすでに痛み出している腹部であるが、キリーは背中をポンポンと叩きながらトムをあやす。何の役どころなのだろうかと自問すると虚しくなったので何も考えずにトムの背を優しく、リズムを一定にして叩く。
するとトムの腕から力が抜けて、やっと体が解放された。
「ちょっと待ってね」
手早く体を拭いて、下着を身に纏う。トムがもう下着つけたからいいでしょ、というように腕を伸ばして抱っこをせがんでくるので、キリーはしゃがんで一言断りを入れてから、濡れて肌に張り付いたトムのパジャマを脱がしにかかった。
「なんでぬがすの?」
「濡れてしまったからだよ」
「ぬれたらダメなの?」
「冷えて風邪を引いてしまうからね」
キリーが「はいバンザイ」と言えば、トムはバンザイしてくれる。頭が左右に揺れ始めていて、酔いがいよいよ眠気に変わってきているのだと悟る。体を手早く拭いていると、キリーの首にトムがまた腕を回してきた。小さな心臓がとくとくと少し早めの音を奏でていて、思わずキリーのお腹がきゅうっと捻れたような感覚を発した。
キリーの目にだけ見えるトムの炎は綺麗な色なのだ。それはきっと今まで食べたどの命より極上の味だろうと分かってはいるのだけれど、食べられるはずがない。何故ならキリーにとって自分の命よりトムの命が重いのだ。
だから必然的に、キリーはトムの体も大切にしている。トムの体は一度死んだら治らない。自分を除いた森羅万象に対して当然の事なのだが、キリーはそれが非常に恐ろしかった。
まして子供は少し風邪を引いただけであっという間に菌が全身に回り髄膜炎にもなる。病院勤めだからこそ悪化した後の結末は嫌という程知っているキリーにとって、大切な人に忍び寄る病魔は根こそぎ取っ払っておきたいのだ。
「トム、服を着ようね」
トムもキリーも下着姿であるが、二人とも年の差がありすぎるためにそれによって不穏な空気は生まれない。キリーはトムが待ち望んでいた抱っこをして、リビングを少し確認して自分のグラスが空になっているのを目撃してから、3階のトムの部屋へと向かう。
キリーは下着姿で廊下を歩く自分にろくな大人ではないなと思いながらも、今は非常事態なのだと言い訳をする。トムの部屋に入って、トムを抱っこしたままタンスから代えのパジャマを取り出した。
「トム、パジャマを着ないと」
「ぱじゃま?」
いよいよ眠気が勝ったのか、ふわふわした声。
先程まではぎゅうとくっつかれたままであったのだが、トムが少し腕の力を緩めたおかげで体の間に少しばかり隙間が生まれる。顔を見ようとトムのほうをキリーが向くと、トムは拒絶するように顔を背けてしまった。
何で拒絶されたのか分からないままに、キリーは極力優しい声で語りかける。
「そう、パジャマ。寝る時に着るものだよ」
「ねむくない」
「とても眠そうに見えるけれど」
「ねむくない!」
眠いはずなのに寝たくないと騒ぐトムに、キリーはお手上げだと思った。今まで聞き分けの良い、けれど少し口が悪く頭の回転が早い、智と理を優先していたトムだったからこそ、この状態にキリーはどう対処をすれば良いのか分からない。
病院に来た子供達は親があやすし、甘やかしたところで責任がないから散々に甘やかして良い先生を演じることが出来る。しかし今目の前にいるトムにとってキリーは紛れもなく親なのだ。ただ甘やかすのは許されず、先人として、教育者としてトムと向き合い、育て上げなければならない。
まずは、眠いのに寝たくないと駄々をいう子供に服を着せることから始めよう。そうキリーは決めた。
「トム、まずは服を着ようか」
「きたらねるんでしょ」
そらした顔。抱っこをやめて立たせてもトムはキリーを見ることはなかった。本能的に目を見られるのを拒絶しているその所作に、キリーは僅かに苛立った。
目を見られるのを極端に嫌っているのは理解している。しかしキリーは自分だけはそういう扱いがされないと思っていたから、自分ですら拒絶対象になった事実が悲しいのだ。
「抱っこしてて欲しいのでしょう?なら、まずは服を着ようね」
トムはちらりとキリーを見て、目を合わせるとすぐにそっぽを向いてしまった。それでも目を合わせてくれたのが嬉しいと思えてしまう単純さを持ち合わせたキリーは、そっぽを向いて立つトムに勝手に服を着せていく。
「腕伸ばして」
「……」
「はい、私の肩に手を置いて、片足上げて」
「……」
ズボンを履かせて、先に着せた上着のボタンを留めていく。トムはぼんやりした表情でキリーを見ていた。1度目を合わせたら、もう怖くなくなったのだろう。ボタンを留め終わったキリーが顔を上げると、トムはぎゅうっとキリーに正面から抱き付いてきた。
「トム?」
酔っぱらい相手にどう対処するべきか分からず、背中を撫でてあげれば徐々にトムの体はずるずるとキリーにもたれかかって、どんどんキリーに体重を乗せていく。
「……」
寝たのかとキリーは思ったが、トムが耳元であのジュース不思議な味だったけど甘くて美味しかった。と言ったので、起きているのを理解する。
成る程、あれはやはり甘くて、トムが全部飲み干すほどに子供の舌に合うものだったのかとキリーは知識をインプットする。今度脳外科医に味を聞かれた時には甘くて美味しかった、とでも言っておこう。
「……」
完全に力が抜けてだらりとなったトムを抱き上げて、ベッドに横にする。掛け布団をかけると、またトムの瞳がとろりとした状態で開いて、キリーを見上げてくる。
「いっしょにいたい」
「ここにいれば良い?」
下着姿で夜を過ごすのは厳しいが、トムの部屋にある毛布を引っ張り出せば、まだ暖をとれるだろう。そう考えてクローゼットを開けようとすると、トムは掛け布団を剥いで、ベッドの端っこに寄った。
「いっしょにねればいいじゃん」
その言葉に、流石にキリーは開いた口が塞がらなかった。甘えてこない子だと思っていたけれど、本当はこんなに甘えん坊で、一人は寂しかったのだ。この家しか居場所がないこの子を不憫に思う。赤い瞳という視覚的な特徴がある分、集団生活に馴染めるかという不安はあるけれど、学校に通わせたほうが良いかもしれない。
本来教育は5歳からであるが、今までトムは識字率が低かったので自宅学習をしていた。自宅学習の結果、もう学校に入れるレベルになっているようにキリーは思うので、真面目に学校入学のために動こうと考える。
「キリー?」
学校のことに思考が飛んでいた下着姿で髪もろくに乾いていないキリーは、現実に引き戻されて少し悩む。髪を乾かしていないこともあるし、下着のまま寝るのも悩む種であるが、何より、6歳の男の子がお母さんと寝たいというのは倫理的に許されるのか分からないのだ。どこまで甘やかして良いのか判断がつかない。
マザコンに育て上げるつもりはない。ここは一人で寝れるでしょうと拒絶するのが正しいのかもしれないとキリーは思うが、それでもやはり、キリーはトムに甘いのだ。
「そんな端っこにいては、壁にぶつかってしまうよ」
端に寄ったトムの隣に寝転がって、トムを少し引き寄せる。下着姿の女に抱きしめられるトムは、格好を気にした様子もなく嬉しそうだ。
フニャリとした笑みを浮かべて、ふわふわする思考に乗せてキリーの胸元に擦り寄る。
「……」
掛け布団を少し引き上げて、肩までかぶる。トムがすぐにすうすうと寝息を立て始めたので、キリーはほぅと息を吐いた。
子供にお酒を飲ませてはいけない。そう心に刻むキリーであった。
さも様
この度は30万hit企画にご参加いただきありがとう御座いました!
人を愛した死神でお酒が出てくる話、というリクエストでしたので、今回このような話を書かせていただきました。
如何でしたでしょうか?お口に合えば嬉しいのですが…。
今後とも、本編含め番外編をこそこそ作成していきますので、またご来場いただけましたら幸いです。
リクエスト、本当にありがとうございました!
2016.06.22
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