ハリポタ 人を愛した死神 | ナノ
act.14 養母
今日は休みをもらったと言っていたキリーは本当に職場に行かないで僕のそばに居て、ただの風邪だと言うのに甲斐甲斐しく世話をしてくる。
「これからもずっとここに居る」と口に出来たからだろうか、まるで嵐が急に過ぎ去ってしまったように呆けたような、そんな気持ちになっている。いつもなら邪魔だと感じる他人の存在も、ひんやりとした額のタオルも気持ち良い。
僕はやっと自分だけの空間を手に入れたのだ。この部屋は僕の物となり、食事にも困らない、そしてそばにはキリーが居る、僕だけに許された不可侵の空間。
人を愛した死神
act.14 養母
「トム、何か食べたい物や飲みたい物はある?」
「今は無い」
「欲しくなったら言ってね。果物も買っておいたから」
「うん」
キリーは穏やかに笑みを浮かべて優しく髪を撫でてくれる。それは気持ち良くて、目を閉じて広がる闇はひどく穏やかだった。
深く息を吸い込んで、吐こうとすると喉が痛くて咳き込む。大声を出したから、きっと喉を痛めたんだ。
「トム」
すぐに僕の上半身を起こして、背をさするキリー。さっき飲んだホットミルクが一瞬出てきそうになったけれど飲み込んで、一息つく。
頬をするりと冷たい手の甲で撫でられた。体は風邪で重くて疲れているけれど、今この時間はとても心地が良い。
「一口飲みなさい」
「うん」
コップが差し出されて、少しだけ飲む。レモンの香りがわずかにする、さっぱりとした飲み物だ。コップを返せば、キリーは机の上に置いて、冷たい手で僕の頬に触れて、ゆっくりと頬を包む。キリーの指先はどうして戸惑いを含んでいるのだろう。
閉じた瞼を上げてキリーを見れば、手がパッと離れた。
「冷たかった?」
「気持ち良かったよ」
「そう。それなら良かった」
引っ込められた手は戻ってこなかった。普段ならこれ幸いと僕に触れてきそうなものなのに。
キリーの表情は普段と変わらない。元から表情が変わらない人だから何を思ってるかなんて判断付かないけど、僕にとって悪いことは考えていないだろう。
「ところで、トム」
「なに?」
「これからトムはなんて呼んでほしい?息子?」
「は……?」
真面目な顔して何言ってるんだ、キリーは。
「だって正式に里親になるなら、私は養母になるよね。実母ではないけれど、母親というポジションになるのは事実な訳で、そうなると呼び方を変えたほうがいいのかなと。私は家族を知らないから、呼び方の変化なんて分からないのだけど、呼ばれたい名詞があれば知りたいなぁと」
「っ!キリーは僕のお母さんじゃないだろ?」
そうか、私はトムの養母だから、お母さんって呼んでもらっても良いんだね、と言うキリー。
ふざけろ。誰がお母さんなんて呼ぶもんか。
僕をあんな孤児院に産み落として死んだ無責任な『お母さん』とキリーが同じ『お母さん』になるなんて、冗談じゃない。僕は二度と、お母さんなんかいらない。キリーは『理想の養い親』になるだけだ。お母さんになんてなられてたまるか。
「キリーはキリーだよ。僕のお母さんじゃない」
「そう」
少し残念そうに言われた言葉にチクリと胸に何か刺さるような痛みが走った。僕は選択を間違えたのだろうか。
最初出会った時のように従順で可愛い子を演じなくては、キリーにとって僕は不要な存在になって捨てられてしまうのかな。でも、素の僕を見て、それで好きだと言ったのはキリーだ。それなのに僕に演技を強いるのは、おかしい。
「ふふ、でも、これからもキリーって名前を呼んでもらえるのは嬉しいね。私は病院ではウェストンとしか呼ばれないから、私をキリーって呼んでくれるのはトムだけだよ」
さっきの残念そうな顔から一変して、クスクスと笑い出すキリー。
そう言えば、病院でナースにウェストン先生って呼ばれていたな。キリーのファミリーネーム、ウェストンだったね。確か最初に名乗られた際に言っていた気がするけれど、すっかり忘れていたよ。
「友達とかはいないの?」
友達なら名前で呼び合うはずだと思って口にした言葉に、キリーは友達は居るけどなかなか会わないからね、と返してきた。
「私がここに来たのは2年前だから、ここにあまり知人もいないし、病院ではウェストンとしか呼ばれないし」
キリーの昔話が少し出てくる。
そう言えばキリーは何歳なのだろう?2年前に医者になったと言っているけど、その前は美容師をしていた時期もあると言っていた。まぁ色々嘘が混ざってるのだろうけれど、おかげで全く年が分からないよ。
「キリーって何歳なの?」
「確か187歳」
「馬鹿にしてる?」
何そのふざけた回答。馬鹿にするのも大概にしなよ。
「馬鹿にしてないよ。でもねトム、女性に年を訊くのは褒められたことではないよ」
「母親を名乗ろうとしたキリーにも訊いちゃ駄目なの?家族になるのに」
「だから私は答えたでしょう」
「嘘の回答だけどね」
信じてもらえないなぁと言っているから当たり前だと答えればキリーは肩を竦ませてみせて、けれどそんな僕の口の悪さに嫌そうな顔をするでもなく愉快そうに口角を上げたまま額のタオルを濡らしてくれた。
気持ち良い。
僕が何を言ってもキリーの態度が変わらないのは、とても心が落ち着く。顔色を伺って言葉を選ぶ必要がないというのは、とても嬉しい。
「喋って喉が渇いてはいない?」
「別に」
「でも唇が乾燥し始めているよ。飲み物、少しだけでも良いから摂ろう?」
飲み物を取ってくるからね、そう言ってキリーは席から立ち上がってしまう。
行ってしまうの?
「キリー」
キリーは僕の頭を撫でて、すぐに戻ってくるよ、と言って部屋を出て行ってしまう。トントントン、と奏でられる足取りは軽く、その音が聞こえなくなると部屋の中に沈黙が降ってきた。
ああ嫌だ。せっかく気持ちよく横になっていたのに、頭が嫌な事を引っ張り出してくる。キリーがあの女に今週の土曜日に、と言っていたのを思い出して視界がぐらりと揺らいだ。
キリーは今週末に孤児院に行って、僕の正式な里親になる手続きをすると言っていたけれど、それは本当に出来るのだろうか?女が言っていた通り、キリーは未婚だし仕事をしている。
今まで貰われていった子供達の里親は両親が揃っていたから、イレギュラーの扱いになるだろう。とはいえ、キリーはベンゴシを連れて行くと言っていた。ベンゴシが何かは分からないけれど、一緒に行く人がいるという事は何かしら効果はあるのかもしれない。
でも、ベンゴシって何なのだろう。キリーが結婚する予定の相手のことだったらと考えて、横になっているのに目眩を感じた。一度も会ったことが無いベンゴシって奴が僕の里親面してくるなんて笑えない冗談だ。会った事がないから、僕の瞳を恐れるかもしれない。
「トム、薬も持ってきたよ」
今度はノックもなく入ってくるキリー。いつもの表情で、何を考えているのかは読み取れない。ベンゴシって誰の事なのか、今は聞いても良いタイミングなのだろうか?
駄目だ、そんな事を考えていたらいつまで経っても訊けない。訊かずにいてベンゴシって奴が嫌な人間だった場合、また痛い思いをするかもしれない。それならばまた逃げれば良いだけだけれど先に知るに越したことはないし、何より僕がキリーに遠慮するなんて、おかしいじゃないか。
「キリー」
「どうしたの?トム」
上半身を起こしてキリーをまっすぐに見つめると、キリーも真面目な表情をして僕を見てきた。しっかり伝えなければと思えば思うほど、喉が詰まるような感覚。
言いたくないし聞きたくないと体が訴えているけれど、無視は出来ないから訊くしかないのだ。
「キリーが言っていた、ベンゴシって、誰?」
「法的手続きをしてくれる人の事だよ」
ほうて……なんて言った?
僕の表情を見て、キリーが言葉を噛み砕いて言うとね、と説明に入る。
どうやら僕の里親になるには色々と約束が必要らしくて、キリーはその手の知識が薄いから、それに関して専門の人を連れていく必要があるのだという。
その専門家というのが、ベンゴシ、と呼ばれているのだとか。
「私みたいに治療する人を医者と呼ぶでしょう?法律関係の手続きやらに詳しい人を弁護士と呼ぶの。だから土曜日、あちらに向かう時に一緒に来てもらって、私がトムの里親になる手続き……国に出す書類を作ったりとか、そういう作業をやってもらうんだよ」
「里親の名前ではないの?」
「里親は私だよ?だから里親の名前はキリー・ウェストン。他には居ないね」
そういう事だったのか。心配して損したという気持ちと、確認して良かったという気持ちが僕に溜め息を吐かせる。キリーはそんな僕に何を勘違いしたのか、お父さんが欲しかった?と訊いてきた。
きっと僕がベンゴシって人も僕の里親になると勘違いしていて、里親にならないと理解して落胆の溜め息を吐いたと思ったのだろう。
「違うよ。会った事もないベンゴシって人が里親になるのは嫌だなって思っただけ」
「そういう事ね。良かった」
軽い口調のキリーにもう一つ、僕が持つ心配のタネについて話しておいたほうがいいかもしれない。
孤児院の女が僕を悪魔と呼ぼうとした時、キリーは壁を強く叩いて黙らせたけれど、孤児院に行ったら周りがこぞって僕を悪魔だとか、変な力を持っているという事を言うに違いない。そうなった時、キリーが孤児院の奴が言う言葉を聞き流すようにするためにも、ちゃんと先に言っておいたほうが良いだろう。
でも、どうやって話を切り出したら良い?事実僕は不思議な力を持っているけれど、持っていないという態度を取らなければならないのだ。そんな演技、今の状態で出来るだろうか?
まだ風邪のおかげで本調子ではないから、今は言わないほうが良いかもしれないと弱気な自分が意見を述べる。
でも、それならば、いつ言えば良いの?
キリーの事だから、そんな話しには聞く耳を持たずに僕の里親になるだろうと思っているけれど、もしかしたら、という考えも拭い去れない。キリーも人間だ。いつ僕を裏切るか、見捨てるか、拒絶するか、分からない。
「ねぇキリー」
「ん?」
「僕、孤児院の人には嫌われてるんだ」
キリーは悲しそうな顔をして、辛かったね、と僕の頭を撫でる。
そして、そんな中でよく頑張ったね。もう自分を抑えなくて良いのだよ、と言った。
違う、そうじゃない。言いたい事は、そんな事ではないのだ。
綺麗な慰めの言葉が欲しいのではない。
「孤児院に行った時、僕を悪魔だとか、変な力を持ってるとか、言ってくる奴がきっといるけれど……」
けれど、何だろう?
何と言えば良いのだろう?
次の言葉が見つからない。ほらやっぱり、体調が悪い時に無理に話すから、頭が回らなくていつも勝手に動く舌も動かなくなってしまった。だから言わないほうが良いと言ったのだ。そう心の何処かで呟く自分がいて、また感情の引き出しが勝手に開けられて心がごちゃごちゃになってくる。
「トムは悪魔ではなくて、人間だよ」
キリーが僕の頭を撫でながら、そう落ち着いた声でポソリと呟いた。
「悪魔ならすぐに分かるよ、だって私は死神なのだから」
自分を死神というキリー。何を言っているのだと見れば、とても真面目な表情。
「死神にとって悪魔は天敵だからね、もしトムが悪魔なら、私にはすぐ分かる。だからトムは悪魔ではないよ。ただの人」
「キリーは医者だろ?医者が死神だなんて、笑えないよ」
人を助ける仕事をするキリーが死神?
慰めるにしたって、もう少し上手い発言があっただろうに、キリーはやっぱり馬鹿だ。
「事実だよ。私は人を死に誘うのだから」
キリーは真顔で言ってのける。
まさか病院で人を殺しているのだろうか?
まさかね、こんなちっぽけな僕の命まで拾って生かそうとするキリーが人を殺すはずがない。では何故、自分で自分を死神と言うのかと考えて、悲しいことに気付いた。
きっと、助けられなかった患者の親族からそう呼ばれているのだ。だからキリーは自分で自分を死神と言う。医者は万能ではないから助けられない命だってあるのに、助けられなかったら死神と言われるのだ。
高慢にも助けようとしたキリーを罵る人間に腹が立った。他人を罵るくらいなら、自分で手術なり治療なりをしてみれば良いのだ。それが出来ないくせにキリーを罵るなんて許せない。
「キリーが死神であろうと僕には関係ないね。キリーは僕を助けただろ?その事実があれば、僕にはそんなの関係ない」
気持ちを言葉にすれば、キリーは相変わらず無表情のまま、そうなの?と問うてきた。
そうだよ、と返せばキリーが身を乗り出してきて、ベッドが軋む。いつもは椅子に座っているのに、今日はベッドに座るのか。
まぁ、近付かれても嫌ではないから良いけれど。
「ありがとう、トム」
キリーの体重によってベッドのスプリングが沈んで体が少しキリーの方に傾くと、そのまま抱き締められた。
本当に、スキンシップが多い。
でも、嫌ではないしキリーが少し寂しそうに見えたから、背中を抱きしめ返してあげるよ。
- 14 -
[
*前
] | [
次#
]
←
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -