ハリポタ 僕らの時代 | ナノ
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冬休みに入ると残り組は男子も女子も浮き足立つのが毎年恒例だ。
催しなんてハロウィーンとクリスマス位しか無いから、目の前にあるクリスマスにはしゃぐのも無理はないのだろう。
かくいう僕は毎年この時期は、はしゃぐというより億劫だ。
この時期の女子は集団で来ると押しが異様に強くて相手をするのも疲れる。
こっちがダンスは苦手だと言って断っているのに何度も誘ってきて、妥協するまで「お願い」と言い続ける始末。
尤も、僕は妥協しないけどね。
僕と一緒に居るナチもダンスに誘われている。
ナチはダンスを踊るのは嫌いでは無いらしいけれど、面倒臭い事と興味のない事はやらないという性格故に軽く流す様に断っている。
でも面倒臭いと言う割には話を合わせたり話題を逸らしたりして相手を嫌な気分にさせずに断るあたり、話術に無駄に力を注いでいるようだ。
そんな話を逸らしてダンスを断るナチに、女子は勝手な思い違いをしたのだという。
ナチは先日図書館で課題をこなしていた時に、女子に好きな子がいると勘違いされたのだ。
それが原因で、いつもなら「良いよ」と一言返事をするはずのナチが断っていると思われているのだとか。
つまり、好きな子がいるから他の子とはダンスが踊れないと……随分一途なキャラに思われているようだね。
勘違いをそのままにするナチもナチだけれど、女子の勘違いっぷりは拍手したくなるほどだよ。
もちろんこれは僕と同室で生活している奴に聞いた事であって、真実かは分からない。
そいつもそいつで一緒にダンスを踊る女子に聞いたのだろうしね。
それに、誘うと言ってもナチは冬休みになったと同時に梟の雛を飼い始めたので、あまり部屋から出なくなった。
まぁ、ナチが部屋から出なくなった理由は雛だけではないのだけれど。
冬休みになってからの二日間、女子とすれ違うたびに受けた質問攻撃とダンス申し込みに嫌気がさしたのが一番の理由だろう。
自分の部屋に居れば騒がれる事も無いと考えたらしい。
僕も今はナチの部屋で本を読んでいる。
それは自分の部屋まで本を持って行って読んでいると、僕のパートナーが興味を示して本の内容を聞いてくるからだ。
僕とナチが好んで読む様な本は人に知られて良い顔をされる物ではない。
いくらでも嘘は吐けるのだけれど、毎度毎度興味津津という顔で本を読みたがられると回避するために吐くレパートリーに限りがあるから台詞を考えるのにも一苦労だからナチの部屋で本を読む。
僕はナチのベッドに寝そべりながら本を読んでいて、ナチは床に置いたダンボールの中にいる雛に餌を与えている。
雛を可愛がる姿は親馬鹿に見えるよ、まったく。
ダイアゴンに行った時に鳥籠を買い忘れたと嘆いていたけれど、まだ買いに行かないのは雛が飛べないからなのかな。
餌は注射器に似たプラスチックで雛の口に直接与えるという物だ。
口を開いて餌を求める雛に名前はまだついていない。
僕が本から視線を外してナチと雛を眺めていると、
「リドルも餌あげる?」
と訊いてきた。
注射器みたいな餌やりと、雛の口を見る。
こんなので餌をやれるナチの気が知れないね。
誤って雛のまだ柔らかそうな嘴や喉の奥を傷付けたらと思うと、とてもやる気にはならないよ。
「遠慮するよ」
本に視線を戻すと、ナチは笑う。
「何さ」
「別に?」
餌を与え終わり、雛をダンボールの巣に戻すのかと思ったらナチは僕の背中に雛を置いた。
「何してるの」
「触れ合い」
「意味分かんない事言ってないで退かしなよ」
雛は啼きながら僕の背中を上ってくる。
「ちょっと」
「リドルの事が好きみたいだね。野生の梟から人に寄って行くなんて珍しいんだよ?」
「馬鹿な事を言ってないで」
「はいはい」
背中に乗っていた物が無くなる代わりに、それは顔のすぐ近くに置かれた。
口を大きく開けて啼きながら近付いてくる雛。
丸いからなのかヨタヨタ歩きで寄って来られるので、手で壁を作った。
雛は何を考えているのか手にぶつかってきて、温かくてふわふわした毛と硬い嘴が当たる。
「もしかして馬鹿?」
「何にでも興味を持って体当たりするお年頃」
「鳥だよ」
「じゃあ鳥頭?」
「結局馬鹿って意味じゃないか」
真っ白でふかふかの毛を撫でると目を閉じる。
猫かこいつは。
一言、雛は僕の気持ちを理解して肯定する様に啼いた。
クリスマスパーティーが明日に迫った今日、ナチも僕も外に出ない事に決めた。
パーティー前日ともなれば女子がダンスの約束を得ようと躍起になるのを僕が知っているからだ。
最初ナチはそれもそれで見てみたいね。と楽しそうに言っていたが、自分も巻き込まれると分かったらしく部屋にいる事に決めたみたいだ。
食事の時くらいしか出かけなかった僕らが毎日話しかけられて追いかけられていたのだから、今日みたいな日はどうなるのかと推測したのだろう。
だからと言って食事の時にはいつも姿を表していたのに、今日だけ姿を見せないのはまずい。
逃げたと思われるのも癪だ。…いや、事実逃げているのだけれど、それでもやっぱり、そう思われるのは好きではない。
ナチは少し考えた後
「僕が食料を調達してくるよ」
と言って透明マントも羽織らずに外に出て行ってしまった。
……何か企んでいる?
いや、僕の考え過ぎだろう。
ナチはいつもへらへらしているから、表情から何を考えているのか詠み取れない。
やる事も無計画に見えるし、扱いづらい人間だ。
まぁ、扱いやすい人となんて僕は表面上しか付き合わないけれど。
こう考えると、やはり僕らは類友なのか。
結構な時間をかけて帰ってきたナチは、何故か機嫌が良かった。
「はい」
皿とマグカップの乗ったトレイが机の上に置かれる。
「上機嫌だね。何か楽しい事でもあったの?」
「これといって楽しい事は無かったよ」
ということは小さな何かはあったと。
嫌な気配がしてナチを見る。
「別に変な事を言ったりはしてないよ。そんなに疑われるなんて心外だよリドル」
盛大に傷付いた素振りを見せるナチに僕は溜め息をついて食事を始めた。
今僕らは僕の部屋にいて、雛はナチの部屋。
食事を僕の部屋で摂るのはナチが言い出した事だ。
「ご馳走様」
飲み物を飲み終えてトレイの上に置くと、ナチが不満の声を出す。
僕の皿に料理が半分残っているからだろう。
「ちゃんと食べなきゃ駄目だって」
「食べたよ。君が盛り過ぎなんだよ」
ナチはしっかり食べる派で、僕はたまに食事を抜く派だ。
とは言ってもナチに強制的に連れられて大広間で食事を摂らされているのだけれど。
こういう事を考えると、世話を焼かれている自分に気付かされる。
同い年なのにどういう事だろうかこれは。
確かに食事を抜くのは悪いかもしれないけど、自分の体調くらい自分で管理出来る。
そう思う一方で、食事の時にナチに大広間に行こうと誘われるのに慣れてしまっている自分も居て、もうこのままで良いかとも思ってしまうのだから、それはそれで問題だ。
「相変わらず少食だね。身長伸びないよ?」
「君がいつも僕に食べさせようとするおかげで、現時点で176だよ」
対するナチはあれだけ食べているのに僕より2センチ大きいだけだ。
身長は食べる量よりやはり遺伝が要因だろうね。
ナチは全部を食べ終わってから、僕の分も持ってトレイを片付けに行った。
僕にとっては女子のいる場所に行かないで済むから有難いけど、ナチを使っているみたいで嫌な気分だ。
ナチは断るのが上手だから女子の前に行くのも平気なのだろうか。
本を広げて活字を追う。
ナチは一時間後に部屋に戻って来て、当分寝るよ。と言って自分の部屋に戻っていった。
女子に捕まって疲れたのだろう。
明日は疲れるから、僕も今日は早目に寝ようかな。
最近本ばかり読んで夜更かしや徹夜をしていたからすぐ眠れるはずだ。
ベッドに横になって目を閉じる。
けっこう疲れていたらしくて、すぐに睡魔が襲ってきた。
人の睡眠時間は個人で決まっているらしく、夜中に目が覚めてしまった。
最悪だ。
日付が変わったからもう今日か、今日はクリスマスパーティーがあるから体力を使うのに、この中途半端な時間に目覚めるのはどうなのだろう。
眠たさは全く無く、完全に覚醒している。
同じ部屋の奴は寝ているから灯りをつけて本を読むと起きてしまうかもしれない。
ベッドで横になっているのも暇なので部屋を出た。
談話室からは女子のはしゃぐ声が聞こえるから行く気がしないし……ナチは起きているのかな。
起きているなら、透明マントでも借りて外に出よう。
……いったいいつから僕は規則を簡単に破る側になったんだ。
ナチの影響か。
嫌な影響じゃないか。
階段を上って目当ての部屋の扉を叩く。
あいつの事だから起きているだろうと思って叩いたけれど、中から反応は無い。
寝ているのだろうか、珍しい。
不用心にも扉の鍵は締められておらず中に入れたけれどナチの姿は何処にも無くて、雛は僕が扉を叩いたのを気にせず巣の中で寝ていた。本当に元野生なのだろうか?
ナチも早く寝ると言っていたし、僕と同じように中途半端に起きて外に出たのかもしれない。
どうしようかな。透明マントが入っているトランクの鍵はナチが持っていて、談話室に女子が集まっている今、透明マントを借りずに寮から出るのは至難の技だ。
つまり無理。
そう思っていたけど、運が良いことに女子はそろそろ眠らないとと言って、女子寮の階段を上っていった。
透明マントをつけずに夜中徘徊して先生に見つかると後が面倒にも思えたけど、どうにも外に出たくて寮の入り口に向かう。
夜目が利く方だから輪郭はぼんやりと見えるけれど、それでも暗い学校は迷路の様で、昼間なら分かる場所なのに迷いそうになる。
昼と夜は世界が違う。
聞こえる足音は自分の物だけ。
昼は隅に追いやられている闇が自由になって世界を埋める。
『……』
何かが聞こえた。
見つかってしまったのだろうか。
でも誰に?
辺りを見回しても長い通路に見える人影は無い。
ゴースト達か?
『…ロ…』
何の声だ?
ざらついた、息を潜めながら呻く様な、そんな声。
まるで悲劇に出てくる浮浪者のような雰囲気だ。
『……コロス……』
「……え?」
声が思わず漏れた。
冷たく、殺意を感じる声。
どこかでズルリと、地を這う様な音。
背中に悪寒が走る。
ここにいては駄目だ。
そう思って、弾かれるように走った。
『コロス……』
地を這う音は僕の後を追う。
振り返る余裕もない。
恐怖に胃がきゅっとして、吐きそうだ。
曲がり角を通り過ぎようとした時、何もなかったはずなのに何かに口を塞がれ、腕を掴まれ横道に引っ張られる。
「っ!」
腰を何かが締め付けて、体の自由が奪われる。
体の自由と塞がれた口の解放を求めて暴れると、頬をつつかれた。
目を開けて、驚く。
僕の身体を拘束しているのは、ナチだった。
ナチは僕の頬をつついた指を自分の唇の前に持ってきて、静かにの合図。
頷けば、ナチは拘束を解いて僕も透明マントに入れる。
すぐに走る足音が近付いてきて、杖の先に光を灯した先生が現れた。
口を開けそうになってまた塞がれる。
今し方自分が立てた足音が原因だと分かって、冷や汗が出た。
ナチに掴まらず、まっすぐ走り続けていたら先生に掴まっていたのか。
透明マントのおかげで先生は僕らに気付く事なく走り去った。
少ししてからようやく解放される。
「こんな夜中に一人歩きなんて感心しないね」
ナチに言われて、君もそうだろと言い返したかったけれど、透明マントを持っているのと持っていないのとではまったく違うのだと思い、何も言えなくなった。
確かに僕が無鉄砲だったよ。
「あんなに慌てて、何かあったの?」
責める様な口調では無く、いつも通りだ。
だというのに責められている様な気がしてならないのは、非を認めているから。
「リドル、5回深呼吸して」
ナチも夜目が利く方だから何で、と目で問えば良いからと言われる。
言われた通りに5回深呼吸を繰り返すと、乱れていた鼓動が少し落ち着いてきた。
「一旦寮に戻ろう。いつまた先生が来るか分からないしね」
頷く事で同意して、透明マントに二人で隠れて寮に戻る。
寮への道は短くて、僕があの音から逃げようと走っていたのは無意識だったけれど元来た道だったのかもしれない。
何も考えずに走っていたから分からないけれど。
寮に戻ると、もちろん談話室には誰もいない。
ナチは談話室の暖炉の前にあるソファに僕を座らせた後、透明マントを置きに部屋へと戻った。
あの声は、何だったのか。
這う様な音は何だったのか。
気持ち悪くなってくる。
恐怖に囚われてしまった様な気分だ。
姿を見たわけでもないのに、頭に浮かぶのは死神の様なもの。
無機質で無感情に放たれた殺意の言葉。
暖炉の灯りを眺めているけれど、スリザリン自体が薄暗い造りなので隅に追いやられている闇がこちらに触手の様に伸びてくる錯覚。
囚われるな。
そう思う時点で囚われているのか。
焦点をどこに合わせていいのか分からず俯いて組んだ手を見ていると、頬に暖かい物が触れた。
驚いて見ると、触れた物はマグカップ。
「そんな薄着で寒かったでしょ。身体を暖めなきゃね」
受け取ったマグカップの中で湯気の立つ茶色の液体はココアだった。
一口飲めば甘い熱い液が口内や食道を温める。
濃厚で甘ったるいけれど、今の僕にはちょうど良い。
ナチは隣に座って、自分の分も持って来ていたらしく飲み始めた。
ナチは口を開かない。
暖炉の火が爆ぜる音だけがする。
ココアを時間をかけてすべて飲み、完全に落ち着いた状態になってから混乱して散り散りバラバラになっていた情報を整頓する。
言うべきなのだろうか。
声の発生源を見たわけでもない。
それにナチはあの様子からして声が聞こえていなかった様だ。
そうでなければあんな質問されない。
幻聴だと言われたら?
寝ぼけていたのだろうと言われたら?
言い返せない。
確かなものが何もないのだから。
本当に音がしていたのだと言い張る自信はどこにも無い。
暗闇に勝手に抱いた恐怖が幻聴を聞かせたのかもしれない。
変な奴扱いされたらどうしようか。
気味悪がられるかもしれない。
ナチは暖炉で燃える炎を眺めながら、まるで何事もなかったかの様に寛いでいる。
だからこちらも緊張しないで済む。
こういう時、ナチの気遣いに気付かされる。
同い年なのにナチの方が随分と大人に見える。
ナチが僕の方を見て、笑った。
「あんまり凝視されると照れるよ」
照れた風でも無く、笑って冗談めかして言う。
知識豊富なナチ。
僕が自分でも知らないうちに恐れているモノは何か、教えてくれるだろうか。
「……」
口を開きかけた時ナチは階段の方に視線を向け、僕が話す前にナチが口を動かした。
「本当に、睡眠って多くとれないもんだよね」
ナチは明るく、よく聞こえる声で話す。
先程の沈黙と変わって流暢な喋りが披露されて、頭が付いてこない。
「睡眠時間がこれじゃあダンスパーティーで身体保たないよね。あー、やだよねぇ、出たくないよ。何時間くらいなのクリスマスパーティーって」
急に主体性が掴めない話しを飄々とした態度で始めた上に質問まで向けてくる。
「19時から22時までだよ。とはいってもクリスマスは朝からだけどね」
「うわぁー。雛を部屋に置き去りにするのが不安だよ」
「まだ名前つけて無いの?」
「名前考えるの苦手なんだよ。雄だから格好良い名前をつけようと思っているんだけどなかなかねぇ、格好良すぎるのは名前負けしたら可哀想でしょ。やっぱりここはリドルで」
「人の名前つけるなって何度言ったら分かるわけ?」
ナチは笑って、他に良い名前が思い浮かばないと言った。
そして欠伸。
「んー、少し寝れそうかな。リドルは?」
「君の馬鹿話のせいで眠気も何もないよ」
「じゃあ本でも読む?とは言っても本は部屋だね。取りに行かないと。あ、リドルの部屋は相方君が寝てるんだっけ?僕の本で良ければ貸すよ。というわけで部屋に行こう。僕はベッドでおやすみするから」
強引な態度に動揺しながら逆らう気力も無く、階段の方に向かう。
すると小さいけれど階段を走り上る音。
ナチは喉の奥で声を潜めながら笑って、階段を上り始めた。
……ワザとだった?
あの会話は、隠れていた誰かに変に勘ぐられない様にわざとしたのか?
だから急に流暢な喋りになって主体性の無い話題を始めたのか?
僕が話す事は誰にも聞かれない様に……。
ナチの部屋に入ると、雛は起きていた。
「不規則な生活だね」
「梟は夜に活動するものでしょ」
ベッドに腰掛けて、ナチは笑顔を絶やさずにいる。
今なら誰にも聞かれる事なく話せる。
でも、いざ話すとなると戸惑ってしまうのは己の弱さなのか。
入口付近に立ったままの僕に、ベッドに腰掛けたナチは自分の隣を叩いてここに座りなよと仕草で言う。
「ナチは……」
「うん」
「ナチは、深層心理っていうか、無意識なのに急に恐怖を感じる事ってある?」
我ながら遠回しな、意味の掴めない台詞だと思った。
率直に言えない自分がもどかしい。
「無意識で?」
訝しげな表情。
慌てて繕う。
「わけも分からず急に怖くなったりするのとか、そう言うのを聞きたいだけ」
ナチはベッドに仰向けに倒れた。
溜め息を吐かれて、質問しなければ良かったと後悔する。
呆れられたのかな。女々しいと思われたのかもしれない。
自分でも馬鹿な質問をしたと思えて、恥ずかしくなる。
「結果から言うと、ある」
長いようで短い沈黙の後、ナチはぽつりと呟いた。
「でも僕の場合は理由が存在する。それにそういう時の恐怖は脅迫されている様な感じだね」
脅迫。
では僕は命を脅かされる事を怯えているのか?
「脅迫ってどういうの?」
目を隠す様に顔の上で重ねられた手のおかげで鼻から上が見えないけど、ナチの口は笑っている。
「リドルのはどんなの?」
「質問したのは僕の方が先だよ」
ナチは笑って、そうだね。と言った。
そうだねと言ったくせに、話す内容は違っていた。
「無意識の内の恐怖は、過去が要因だと良く云われるよね」
ナチはもう自分の事を話すつもりは無いのだろうか。
この台詞だと僕には過去の事を話せと言うくせに、自分の事を隠そうとするのか。
そんなの、フェアじゃない。
僕が黙っているとナチは苦笑した。
相変わらず重ねた手を顔の上に置いている。
見えるのは端をつり上げた口だけ。
「そんなに僕の事が気になる?」
「こっちが手の内を見せるなら君にも見せてもらわないと嫌なんだよ。ナチは僕が先に言ったら絶対に言わないだろうからね」
「なるほど。良く分かっていらっしゃる」
言葉を探す様な沈黙。
ナチが口を開くのに、しばらくかかった。
「僕は、そうだな、『期待』が怖い」
「期待?」
「そう」
歯切れが悪く、短い台詞。
先程の流暢な喋りが同一人物の口から紡がれたものとはとても思えない。
都合が悪くなると、ナチはこうなるのだろうか。
こんなナチは初めて見るからどうすれば良いのか分からない。
隣にいる人が知らない人の様に思えてしまう。
対処に困る。
これがナチ?
ナチは吹き出す様に急に軽快に笑いだした。
手を退かして、髪をかき上げる。
笑い過ぎて目許に浮かんだ涙を拭う仕草。
緊張を孕んでいた空気が一気に崩れた。
「そんな本気で悩まないでよ。リドルは本当に真面目だね。で?リドルは何が怖いのさ。オニイチャンに言ってごらんよ」
「同い年なんだからお兄ちゃんじゃないだろ」
「良いから良いから。僕も言ったんだから、リドルも言ってよ」
溜め息が出る。
さっきのも嘘だったのだろうか。
分からない。
でも今の雰囲気に持っていってくれたおかげで幾分か話しやすいから真偽は問わないよ。
それでも心臓が煩くなる。
ナチは笑っているのに、空気が重く纏わりつく。
「さっき、一人で歩いていた時に声が聞こえたんだよ」
「うん」
ナチは笑いをやめ、真面目に訊く態勢。
切り替えが早いね……。
「『コロス』って言ってた。這う様な音を出して、僕の方に音が近付いて来たんだよ。でも姿は見えなかった。走っても這う様な音をたてながらついて来て……そしたらナチに」
「掴まった?」
頷く事で返事をする。
ナチは起き上がって、頬杖をついた。
「リドルの足音が響いていたからそれにかき消されたんだろうね。残念ながら僕はリドルが作った音しか聞こえなかったよ」
幻聴だとは言われなかった。
それだけで満足感を得るのは何故だろう。
「しかし物騒だねぇ。このホグワーツにおいて『コロス』なんて」
冗談でもそういう言葉を好まないナチは溜め息を吐いて髪をかき上げた。
「這う様な音……姿は無い。どんな声だった?」
「ざらついた、息を潜めながら呻く様な声だったよ。無感情で、本気で殺すって言っているみたいだった」
「這う様な音っていうのは水気をおびていたり、乾燥している様な感じだった?」
「そんなの分かんないよ」
「そうだよね。ごめん」
ナチは肘を太股に突いて両手を組み、そこに顎を乗せながら壁を睨み付けている。
「姿は廊下には無かったんだろうね」
「何で?」
「僕がリドルを捕まえた時、まぁリドルが暴れてたって事もあるんだけど這う音は聞こえなかった。リドルは?」
あっ、と思い出す。
確かに僕はナチに捕まってから音は聞いていない。
「その間、相手が動いていなかったんじゃないのかな」
その可能性は、有り得る。
でもそれはその存在が確かにあったとしての話だ。
ナチは僕の幻聴だとは思わないのだろうか。
僕ですら、自分の幻聴ではないかと疑っているのに。
「それに本気ならリドルに追いついてリドルを殺そうとする。それをしなかったのはリドルよりも走る速度が遅いから。つまりしなかったんじゃなくて出来なかったんだよ。で、進行速度が遅いのにすぐに光をつけた先生がやって来たあそこで、音を立てずに早く走って逃げるのは無理なはずだ」
推理に感心していると、ナチは肩を落とした。
「全部僕の憶測だけどね」
それでも凄いと思ってしまう。
ナチは髪をかき上げた。
伏し目がちで、遠くを射る様な眼差し。
「這う音と姿が見えない事。これしか分かってないけど……今日もう一度あそこに行こう。もちろん昼間に」
危険があると分かっていながら行こうとするナチに眉根が寄る。
わざわざ自分から危険に近付くなんて、何を考えているんだ。
「もしも狙いがリドルなら、先に正体をつき止めた方が良いでしょ」
でもだからって、何を考えているんだ。
何でナチまで危険に近付く必要があるんだ。
「いっ……!」
額を指で弾かれた。
何するんだと睨むと、ナチは笑顔だった。
「リドル、こういう時は自分の身の心配をすべきだよ」
笑顔で静かな声なのに、逆らえないものを含んでいる。
「眠かったらここで寝ていく?僕は眠くないから、ベッド使って良いよ」
ナチは立ち上がって机の椅子に腰掛ける。
緊張の糸が解けたのだろうか、急に身体から力が抜ける。
ベッドに横になると瞼が落ちてきた。
「明るいままで平気?」
「……うん」
明るいままの方が安心するなんて、子供みたいだ。
時折聞こえるページを捲る音と人の存在感に安心するなんて、どうにかしている。
でも、どうにかしていても良いと思えるほど、気持ち良い睡魔が押し寄せた。
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