モノノ怪 短編 | ナノ
柔らかな髪
「柔らかい髪ですね」
と女は男の髪に触れて、好きだと言って笑った。
男は女の髪を撫でて、俺はこちらのほうが好きだと言った。
「髪結いの仕事をしている私にとっては、薬売りさんの髪は、格別素敵ですよ」
「ただ、異端なだけ、でしょう?」
「希少価値、と言ったほうが正しいでしょうに」
髪を撫でる女に男は笑う。
「名前」
「はい」
「こちらへ」
腕を延ばした男。
女は男の胸に身体を横たえた。
着物からお香の匂いがして、優しい包容があるだけで、他には何もない。
しかし女は幸せだった。
そして、男も幸せだった。
子供の恋愛のようなそれに満足する大人二人は、けれど他の誰よりも潔い愛し方をしていた。
「薬売りさん」
「はい」
「私はまた、じきに姿を消します」
「知っていますよ」
「それでも、探してくれますか?」
「名前が、許してくれるならば」
女は笑った。
「それならば、薬売りさんは永遠に私を探さなくてはいけなくなりますよ」
「望むところ、ですよ」
男が微笑む。
女は、男の背中にそっと手を伸ばして、まるで子供を宥めるように背を撫でた。
「きっと、昔。遠い昔に貴方を愛していた私も同じ事を言ったと思います。また同じ事を言う私を、許して下さい」
男は、僅かに震える女の背を撫でた。
女は緊張に乾燥した唇を舐めて潤し、声を押し殺した調子で話し始める。
「次産まれる時は貴方と同じように老いない身体でいるか、それか……貴方がこの呪縛から解放されて、私と同じように年を取るようになったら、本当の意味で、添い遂げましょう」
一時の時間を共有するだけで、袂を分かつ、そんな関係ではなくて。と女は言った。
男は女を強く抱き締めた。
「必ず」
「はい、必ず」
記憶も何もなく、産まれた者達が結ばれるとは限らない。
元より、同じ時に、同じ人間に産まれるとも限らない。
それでも会えると信じて女と男は“また”と言って、名残惜しげに別れた。
柔らかい髪
「済みません、ちょっと良いですか?」
声をかけるけれど無視されるのは何度目か。
イヤホンから零れる音量に、私の声は届かずに完全無視の人もいる。
女性はティッシュ配りや変な勧誘に慣れているからだろう、声をかけても無視が多い。
勿論私はティッシュ配りでもなければ、変な勧誘でもない。
美容師の卵で、就職した美容院が閉店後に練習していいよと言ってくれた。そこで、私はシャンプーとカットの練習をしたいから、通りにいる人に練習台になってくれないかと声をかけているのだ。
無料でやりますと言えば、すぐに人が見つかると思っていたのだけれど、世の中そんなに甘くない。
夜遅く、閉店後に美容院に行くという手間を嫌がる人もいるし、そもそも時間を拘束されるのを嫌がる人もいる。
私は女性にしか声をかけていないから、余計なのかもしれない。
女性は洗濯とか、彼氏とか、夜道は危険とかあるし。
……難しい。
でも、男性に声をかけるのは嫌だ。
髪型もある程度決まりがあるし、女性みたいに弄れない。
それに閉店後男性と二人きり、というのも嫌だ。話題が無い。
もうちょっと探そう。
休憩時間はまだあるし。
駅近くで人を探す。
皆イヤホンを付けて、声をかけるなよと言っているみたいだ。
ある程度髪のセットが崩れていて、そろそろ美容院に行こうかなという人を探すけど、いない。
困った。
いい加減、時間切れになる。
今日も練習台になってくれる人が捕まらなかったのかと笑われるんだろうなと思いながら、溜め息を一つ。
諦め悪く、最後にもう一度辺りを見回す。
すると、帽子を被っていて、白い髪の毛を無造作に肩口まで垂らしている人を見つけた。
細身で、カジュアルな格好。
どうせふられるのだ。
当たって砕けてやれ!
「済みませんちょっと良いですか?」
「……え?」
振り返り様にイヤホンを外したその人の声は、明らかに男性のものだった。
顔は可愛い、じゃなかった綺麗だ。
今の声は聞き間違い?
いやでも胸無いし。
いやいや、つるぺたなだけかもしれない。
「……何ですか?」
あ、男だ。
出来れば男性はやめたいのだけれど、でも声をかけちゃったし、仕方ない。
「私、美容師の卵で、今、シャンプーとカットの練習に付き合ってくれる人を探しているんです」
「……はぁ」
あれ、拒否してくれない。
「店が閉まった後、練習に付き合っていただけないかなーって思って声をかけているんですが、どうですかね」
「……」
「夜の七時からなんですけど……」
反応が見られない。
ぼんやりした人なのは分かったけど、この反応の無さに居心地の悪さを感じるのは私だけじゃない、はず。
しかもこっちをじっと凝視するだけだし。
何なのさ、もう!
「あの」
「良いですよ。何処に行けば、良いですか?」
「……え?あ、ありがとう御座います!」
急いで美容院のカードを出して、地図を見せる。
駅から近いので、相手はすぐに場所を理解したようだ。
「お姉さん、名前は?」
「苗字名前です」
「名前さん……」
「もし用事が入ったりしたら、この番号に電話下さい」
携帯番号を書いた紙を渡す。
男性はじゃあ七時に、と言って駅の中に姿を消した。
時計を見る。
休憩時間がとっくに終わっていた事に血の気が引いた。
カラン、と店の扉が開いて入ってきたのは白い髪の男性。
「あ、いらっしゃいませ!」
「お邪魔、します」
「練習に付き合ってくれて、ありがとう御座います」
「俺も、髪を切りたいと、思っていましたから」
まずはシャンプーを、とシャンプー台に来てもらう。
お湯の温度を確かめてから、髪の毛を濡らす。
「お湯加減はどうですか?」
「気持ち良いです」
男の人はのんびりとした口調で言った。
シャンプーを付けて、泡立てていく。
所々マッサージもして、力加減はどうかと訊ねると、暫らくの沈黙の後に弱いです、と返された。
「や、やっぱりですか?」
「はい」
学校でも力が弱いと言われていた。
力一杯やりなさいって人は言うけど、痛がられるのがちょっと怖い。
「ゆっくりで良いですから」
「え?」
「少しずつ、力を入れていっては、どうですか?ちょうど良い具合で、言いますから」
「……良いんですか?」
「えぇ、名前さんの手は、気持ち良いですから」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
少しずつ力を加えていって、頭皮をマッサージする。
するとある程度で、ちょうど良いと返された。
真っ白な髪が泡の中で柔らかく指に絡み付いて、何でだろう、凄く懐かしい。
「どうしました?」
手の動きが止まっていた事に気付く。
「何でもないです」
取り繕った言葉は早口になってしまった。
布で隠れた彼の表情はどんなものなんだろう。
「名前さん」
「はい」
「名前さんは、どうして美容師に、なったんですか?」
「あれ?聞いちゃいます?」
笑いながら、泡を洗い流す。
男の人は、是非聞きたい、と言った。
「私、小さい頃に夢の中で人の髪ばかり弄っていたんです」
「夢?将来の夢、というのではなくて?」
「そうなんですよ、夜に見る夢で、髪を弄っていたんです」
「それがどうして仕事に?」
「夢の中で、髪を弄ると相手が喜んでくれていたんですよ」
「昔の髪結いみたいですね」
「そうそう、まさにそんな感じで」
男の人は、冷やかしもせずに耳を傾けてくれた。
大概の人は意味が分からないと言って終わる会話なのに。
優しい人。
それからも色々と話をしながら私は手を休めずに、カットもセットもした。
「どうですか?」
「気持ち良かったです。それに、さっぱり、しました」
「良かった」
本気でそう思った。
男の人は微笑んでくれて、こちらも笑ってしまう。
「本当に、ありがとう御座いました」
ドライヤー等を元の場所に戻していると、まだまだやる事があるんですか?と問われた。
「いえ、今日はもう終わりです」
「では、一緒に食事でも、どうですか?」
「え?」
「一人暮らしなので、外食ばかり、なんですよ」
「あ、一人暮らしなんですか?私もなんですよ」
実家は何処?という話をしながら、私は身仕度をする。
「近くに美味しいレストランがあるんですよ。そこに行きませんか?」
男性は頷いた。
鍵を持って、男の人を先に出す。
鍵を締めてポスト内に落とすと、カチャンという音がした。
最初男の人だから嫌だなぁとか思ってたけど、この人は話しやすいから練習時間も楽しめた。
出来れば良い友達になりたいなぁと思ってしまうのは失礼にあたるだろうか。
でも相手も食事に誘ってくれたし、友達になりたいっていう表現だと思っていいのかな。
「どうしましたか?」
「何でもないです」
「何にもなくて、名前さんは、笑うんですか?」
「人と夕食一緒にするの久しぶりで、嬉しいからです」
男の人は、私を見て笑った。
「俺もです」
〜終〜
ヘッドスパネタで『薬売りにシャンプーしたい』というメールをいただいて、衝動的に書いてしまいました。
現代で何事もなく生活している薬売りにシャンプー、良いですよね!モノノ怪とかまったく関係ない世界で穏やかに生活していたら良いと思います。
紗苗さん、ネタをありがとう御座いました!
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