モノノ怪 短編 | ナノ
鬼火
それはある、雨の日の宵夜にあった御噺
鬼火
『薬売りさん、いらっしゃい』
「お久し、ぶりで」
『まぁ、昨日会ったばかりじゃないですか』
「そう、でしたか」
『あら嫌だ、もう、そんな惚けたふりをなさって』
「……」
『今日も焼き魚定食?』
「はい」
『ふふ、楽しみにしていてね、良い魚ばかりよ』
「名前さんが、潜ったんで?」
『勿論。朝一で潜って、捕まえてきたわ』
「どうりで磯の香りが……」
『一応水浴びをしたのだけれど、毎日潜って居るから身体に染み付いてしまっているのね』
「そのようで」
『磯の香りは嫌い?』
「嫌いでしたら、此処に居ませんよ」
『ふふ、それなら良かったわ。今日は天気が良くて海流も緩やかだったの。おかげで大漁よ』
「それはそれは」
『だから、薬売りさんにはおまけをつけてあげる』
「それはありがたい」
『私が捕った魚をいつも美味しく食べてくれるお礼よ』
「ではこちらも、いつも美味しい魚を捕ってくれる名前さんにお礼をしなければ、いけませんね」
『どんなお礼かしら?』
「それはもう少し、時が経ってから」
『焦らし上手ね』
「そうでしょうか」
『そうよ』
「お気に、召しませんか」
『いいえ、すぐに与えられては楽しみがないわ。何かしらと考えるのも好きよ』
「それは、良かった……ところで」
『何?』
「今、何時でしょうか」
『辰時ではないかしら』
「そう、ですか……」
『何か予定でも?』
「いいえ」
『ゆっくりしていって下さいな、薬売りさん』
「はい」
「名前さん」
『はい』
「貴女にお話ししたいことが、ありまして」
『何かしら』
「今日は、雨だと……」
『雨?』
「そして今は、月の昇る戌時だと」
『おかしな薬売りさん』
「名前さん」
『お疲れなのね薬売りさん、食事を摂ったら、ゆっくり休んだ方が良いわ』
「名前さん」
『……』
「名前さん」
『……』
「名前さん、八年前の今日この日、貴女は溺れた子供を助けに荒れた海に入り、戻ってはこなかった」
『私は此処に居るわ』
「此処、とは?」
『親が経営する魚屋、定食屋に』
「もう、それはとうの昔に、潰れました」
『そんなはずは』
「認めて、下さい」
『……』
「……」
『……』
「……」
『ねぇ』
「はい」
『私の屍体、上がらなかったのね』
「はい」
『それで良いわ。溺死は、ぶよぶよになるもの』
「……」
『薬売りさんに見られなくて、良かった』
「骨を拾うことすら、出来ません」
『平気よ。私は大好きな海に抱かれてる』
「海が、好きですね」
『大好きよ。泳ぎにも、自信はあった。溺れてしまったけれど……あぁそうだわ、助けた子は生きているのかしら?』
「残念ながら」
『そう』
「……俺は物の怪を、斬って、来ました」
『じゃあ私を斬るのね』
「斬らねば、なりません」
『おかしいわね、何故かしら、今の状況、昨日も繰り返した気がするわ』
「昨日ではなく、昨年ですよ」
『昨年?』
「名前さんは、亡くなった日の夜、此処に現れるんです」
『その夜が明けると私はまた海に還るのね?』
「はい」
『ねぇ薬売りさん』
「はい」
『どうして昨年、いいえ、初めて亡者の私が陸に上がった七年前の今日この日、私を斬らなかったのかしら』
「斬らなかったのでは、ありません」
『どうして?年に一度しか現れない害のない化け物だから、斬るに値しないと?』
「違います」
『ならば……』
「訊き、ますか?」
『訊きたいの』
「……」
『訊かせて下さいな』
「名前さん、貴女が、斬れないのです、よ」
『斬りたいのね』
「斬らねばならない存在、ですから」
『でも斬れないのね』
「貴女の姿を、どうして、斬れますか」
『死人よ』
「それでも」
『私は毎年行われるこの宴に失望するわ。甘美な夢は、辛い現実には苦痛にしかならないもの』
「それでも……」
『夜が、明けてしまうわ。早く私を』
「斬れ、ません」
『酷い人』
「また来年、逢いたいのですよ」
『酷い人、でも、それすらも愛しい人』
「また、逢いましょう」
『次こそは、斬って下さいね』
「きっと」
『愛してるわ、薬売りさん』
聞いた噺によると、その男は鬼火に向かって、まるでお喋りをしているかの様に話しかけていたらしい。
きっと憑かれてしまったんだろうね、若くして、可哀想に。
え?何だい?まだ噺がある?
聞かせておくれよ、もったいぶらずに。
へぇ、その男、毎年決まった日、決まった場所に現れるのかい。
それで鬼火と話している?
あぁ、本当に可哀想に。同情するよ。
え?何だって?
その間、男は幸せそうな顔をしてる?
だから可哀想じゃない?
分かっていないね、君は。
だから余計に可哀想なんだよ。
もうこの世に居ない相手と居るのが幸せだなんて、きっとその男、鬼火に恋しちまっているんだろう。
叶わない恋とは、悲しいねぇ……。
そうそう、そういやぁ君、昨日茶屋で面白可笑しい噺を耳に入れてね。
いや本当に、これがまた思い出すだけで可笑しくて―…‥
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