モノノ怪 短編 | ナノ
影日向
「名前さん、ちょっと良い?」
「はい」
「××が▽▽なのよ。どうにかなる?」
「あ、はい。ちょっと待って下さい」
「苗字さーん!何してるの?」
「××が▽▽なので、修理を……」
「大変ね。それよりさぁ、これって……」
「あ、これですか?」
「そう、それ。これってどうやるの?」
「それは……」
「分かんないから、苗字さんやってー」
「おい!苗字君!午前中までに書類を頼んだだろう!どうして納期を守らないんだ!」
「す、済みません!××の修理を……」
「そんな仕事は君のじゃないだろう!どうして任された仕事をせずにそんな事をするんだ!」
「そ、それは……」
「言い訳なんていらないんだよ!もう良い、早く書類を出してくれ!」
「済みません。すぐに作ります」
影日向
今日もまたやってしまった。
また、だ。
暗い帰り道、私の口から出るのは溜め息ばかり。
「はぁ」
頼まれたらすぐに『はい』『分かりました』『良いですよ』と言うこの口が憎たらしい。
周りは私の性格を知っているから、すぐに頼んでくる。
名前は断れないから、だから頼んでしまえば良いとでも、云うかのように。
「はぁ」
周りにとって良い駒にされているのはひしひしと感じている。
そんな扱いを受ける原因を作ったのは私。
そう、間違いなく私だ。
嫌われたくなくて、いい子で居たくて、何でもかんでも安請け合いして。
学生の時ならそれでもまだ良かった。
けれど私はもう社会人で、こんなのでは駄目なのに。
駄目だって分かっているのに、口はいつも勝手に了承の言葉を吐く。
唇を噛む。
もう、発言なんてしたくない。
何も言わずに、自分の仕事だけをこなしたい。
断りたい。
「っ!」
思わず力を入れてしまった。
口の中に血の味が広がる。
結構な傷なのだろうか、すぐに口の中に血が充満した。
私は街頭の下に潜り込む。
鏡を出して、唇を引っ繰り返して映せば、そこには血が溢れ出ている傷があった。
ああもう、私はどこまで馬鹿なのだろう。
こんな傷作ったら、喋るたびに傷口が歯に当たって痛い。
何をやっているのやら。
「……はぁ」
もう、嫌だな。
何もかも捨てて、別世界に行きたい。
いつもこんな嫌な思いして会社に行って、何の利益があるのだろう。
私は毎日嫌な思いをして生きて、お金を貰って、それで細々と生活している。
それはとても惨めだ。
世界から後ろ指を指されて笑われているような感じ。
ああもう、こんな世界に居たくない。
トリップしたい。
ファンタジーな小説にあるように知らない国に飛ばされて、そこで結構なポジションからスタートするようなトリップが良い。
否、ポジションなんていらない。
私を知る人が居ない世界に行って、私は生まれ変わるんだ。
芋虫が蛹になって一度体を融解して、蝶になるように。
そう、私は私を一度止めて、再構築をする。
私は鏡を見る。
そこには冴えない女がいるだけ。
街灯の光を後頭部に受けた私だ。
鏡を閉じる。
その動作をするだけだったのに、私は鏡を落とした。
だって、鏡に何か写ったから。
思わず体が動いていた。
駄目だと分かっているのに、後ろを振り返ってしまう。
「っ……!」
恐怖に喉が引きつった。
そこには、在る筈が無いモノが存在していた。
『こっちへおいで』
人の形をしたそれは、口の部分だろう所を動かして笑った。
けれどそれは外も中も闇だけで、闇が人の形を作って話し掛けているのだと分かる。
『恐がる事なんて無いじゃない。別の世界へ行きましょう』
闇は手を伸ばしてくる。
私が半歩下がると、闇は半歩近づいた。
距離が変わらない。
『苦しいだけの世界から名前を解放してあげる。名前を素敵な世界へ案内してあげる』
闇は私の手を握った。
そこには、ぬくもりなんて無かった。
木陰に位置するアスファルトのような、そんな冷たさ。
「ひっ!」
握られた部分から、私の手が闇に染まり始める。
その代わりに、闇の手に肌色が生まれ始めた。
「いやっ!やだっ!」
『どうして?辛い世界なら捨ててしまって良いじゃない』
「いやぁっ!」
手を引き剥がそうとする。
けれど、闇に触れたら手からまた色が奪われて闇に色が移動する。
何で。
どうして。
視界に無遠慮に入る闇。
私の足元から闇が伸びている。
闇が、伸びている?
私は慌てて闇を追った。
そこには、目の前にいる人型の闇。
私の影は、目の前にいる闇だ。
私の影が私を襲っている。
どうして。
「私、影に、なるの……?」
『悲しまなくて良い世界よ』
「嫌だ」
『怖くないわ。誰も傷つけない優しい世界よ』
「いやだぁっ!」
「御意」
何処かから聞こえた声。
清流のような清らかさと、樹齢千年は越す大樹の穏やかさを兼ね揃えたような声。
一瞬、世界は光に満ちた。
影は突然腕を斬られ、私から離れる。
そして、体も切り刻まれて、大地へと伏した。
目を閉じる。
開ける。
すると、目の前には闇ではなく、色をふんだんに持った人がいた。
綺麗。
「無事で、何より」
「あ……」
あなたは誰?
今、何があったの?
私は今、何をしているの?
夢でも見ていたのかしら。
「闇に、気を付けて」
男性はそれだけ言った。
それだけ言って、私に背を向けた。
私は、夢心地のままに家へと帰った。
翌日
「名前ちゃん、お願い!」
「ごめんなさい。私、これしなくちゃいけなくて」
「えー今までやってくれていたじゃない」
「ごめんなさい」
私は柔らかく断った。
私はトリップなんて出来ない。
私が私に負担を掛ければ、闇が近づいてくるだけ。
私が闇になって、闇が私になるくらいなら、人に良い返事ばかりしないほうがマシだ。
そう思うように、している。
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