モノノ怪 短編 | ナノ
身代わり
こんな夢を見た
届け人
神社の境内、賽銭箱前の石段に私は座っていた。
境内は108の急な石段の上に在る。
階下は現在祭りの最中なのだろう、騒ぎ声や太鼓の音、螢光燈の黄色い光が漏れて階段の上にいる私の視覚と聴覚を満たす。
まばたきをしたら、私の前に風変わりな人間が立っていた。
人間は大人の背格好。
白い着物を身に纏い、鮮やかな青色の地に蝶のような紋様の描かれた着物を頭から羽衣のように羽織って狐の面を顔につけている。
「此処で何をしている」
青年がとても落ち着き払った、耳に心地好い声を発する。
狐の面をつけているにもかかわらず声がぼやけぬとは、何とも不思議だ。
私は暫らく考えて、特に何もしてはいないと答えた。
「では何故、此処にいる」
私はまた考えた。
何故私は此処にいるのだろうか、それが分からなかった。
此処にいる必要は無いのだが、腰が重くて動こうとはとてもじゃないが思えないのだ。
「答えを持たぬ者か。故に迷い込んだのか」
落ち着いた声音で重々しく云うので、まるで歌舞伎のようだと思った。
青年が天狗が履くような下駄で歩く。ジャリ、と一歩踏み出す度に砂が鳴った。
その足音と共に鈴がチリン、と何処かで鳴る。
「俺と来い。迷い人」
差し出された手。
それは異人を示すように、褐色の肌をしていた。
褐色の肌に映える金の入れ墨。
爪は漆黒だ。
男性を主張するように大きな手と、筋骨のついた腕。
不思議と怖くはなかった。
その手首に鈴が細い絹糸で吊るさられていたからかもしれない。
鈴がチリンと鳴る。
その音はとても澄んでいて、身に、心に染み入った。
私はその手を取る。
すると不思議な事だが、重たかったはずの腰が軽くなって立つ事が出来た。
今なら何処にでもゆける。そんな気にさえなった。
青年の隣りに立つ。
青年に連れてゆかれたのは境内裏の森だった。
狐の面をつけた青年は云った。
「この先について来るならば、これを羽織れ」
そう云い、青年は己が羽織っていた鮮やかな着物を私に渡してきた。
青年の長く艶やかな白髪が夜風に晒される。
何とも美しい、染められていない真の絹糸のような髪だ。
褐色の肌によく映える。
片手を繋いでいる為に羽織るのに多少手間取ったが、頭からすっぽりと鮮やかな着物を身に纏った。
「行こう」
チリン、チリンと耳に心地好い音が鳴る。
歩みゆくと、樹々は消え細い一本の路が現れた。
細いと云っても二人並んで歩く事が出来る幅で、両脇には赤黒くドロリとした液が泡を作り熱気を発していた。
液に挟まれた路はとても熱く、普通ならば居るだけで火傷するくらいなのだろうが、不思議と私はそれほど熱くなかった。
それが青年から渡され羽織っている鮮やかな着物のおかげだと、私は理解した。
青年は相変わらず手首の鈴を鳴らして歩く。
私は隣りを歩き続けた。
路の真ん中に差し掛かっただろう頃、青年が口を開く。
「これは人の醜悪な気持ちだ」
赤黒いドロリとした液は、人の醜悪だと云った。
私はなるほど確かにこれは人の醜悪だったと思った。
「怒り、妬み、憎しみ……人間とはなんと醜いことだろうか」
青年の云い分は適格に思え、人間は醜い感情の持ち主なのだと理解した。
醜悪が具現化した赤黒い液に挟まれている路を抜け、私は初めて気がついた。
彼の私と寄り添わぬ方の身体には赤黒い液が飛んで白い浴衣の袖は溶けており、さらに熱気にやられ褐色の肌は爛れている。
痛くないのかと訊けば、慣れたという返事を返された。
私は痛みに慣れというものが果たして存在するのだろうかと考えたが、少し経つと青年が本当に慣れているのだと思えた。
暫らく樹々の密集する路を歩く。
そしてまた樹々は少なくなり、今度は地面から銀色の草が地面を生め尽くす山が現れた。
「この先に行くならば、これを履け」
そう云い、狐の面をつけた青年は己の下駄を脱ぐ。
私と青年は手を繋いだままなので、履き辛くもあったがどうにか履けた。
「では行こう」
私達は山を登る。
銀色の草はすべて鋭く天の方を向き、尖っていた。
下駄に銀色の草が刺さる感覚が一歩踏み出す度にする。
歩いていて、それが草では無く針なのだと気付いた。
青年の下駄は天狗が履くような物なので、針は私の足を傷つけないだろう。
私の履物では針は貫通し足を傷つけていたなと思った。
山の中腹に差し掛かったとき、青年は落ち着き払った声で相変わらず重々しく云った。
「これは人の哀の気持ちだ」
銀色の針を哀だと云う。
私はなるほど確かにこれは人の哀の感情だったと思った。
「悲しみ、苦しみ、哀れみ、惨め……人間とはなんと哀れむ存在だろうか」
青年の云い分は適格に思え、人間はなんと哀れむ存在なのだろうかと思った。
哀が具現化した銀色の針の路を抜け、初めて気がついた。
青年の足跡がずっと紅く残っていたのだ。
血が出ているではないかと云えば、じきに止まるという返事を受けた。
鈴の音がチリンと鳴った。
私は青年の足があまりに気にならなくなった。
山を下る路は緑の柔らかな草が地から生えていた。
しばらく歩くと洞窟が現れた。
「ここより先にゆくならば、これをつけろ」
そう云って、青年は己の狐の面を外した。
晒された顔はなんとも美しかった。
施された金の入れ墨。
土台が虎目色で、真ん中に真珠が埋め込まれたような眼球。
唯一薄い上唇だけ、淡い桜貝の色がついている。
青年から渡された狐の面の紐をつけるのは難しかった。
狐の面は、目元に穴が開いていないらしく視界は闇に染まる。
「では行こう」
私は手を引かれるがままに進んだ。
暗闇の中手を引かれて歩いていると、声が聞こえた。
声は『助けて』や『苦しい』や喘ぎ、呻きなど、聞いていて心苦しくなる。
周りに人が居るのだろうかと狐の面に遮られた闇を見つめ思った。
「けして面を外すな」
青年は、威厳のある声で云った。
「けしてこの世界を見てはいけない」
私は何故見てはいけないのだと訊いた。
「ここは、人間の成れの果てが集まる場所。絶望しかない。お前は見てはいけない」
チリン、青年のつけた鈴の音だけが世界を浄化するように鳴り響く。
チリン
チリン
チリン
鈴の音が止み、青年の歩みも止まったようだった。
「これを」
チリン、と鳴った。
これとは青年が繋いだ手の腕についた鈴を指すようだ。
チリンと耳心地良い音を発する鈴の吊るした絹糸を私の腕に、手を握りあって繋いだままだというのに器用に移動させた。
私の腕で、鈴がチリンと鳴った。
「此処から先は一人で行くんだ」
私は頷いた。
一人でも行ける気がした。
チリン。
視界はすべて闇。
チリン チリン。
右も左も上も下も分からない。
チリン チリン チリン。
急に重力を感じた。
膝がカクンと曲がり、その場に膝と手を突く。
砂利を触った感覚がした。
耳には太鼓の音と楽しそうな騒ぎ声。
狐の面を外す。
私は108の急な石段の下にいた。
腕についた鈴の音が、チリンと鳴った。
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