モノノ怪 飽和する世界 番外 | ナノ
拍手ログ1:哀しみ
薬売りと囲炉裏を囲んでいるとチリン、と来客を告げる鈴が鳴った。
日中であれ閑古鳥が鳴くこの店では店先に居る時間の方が少なく、今も薬売りと囲炉裏を囲んでそろそろ店じまいをする時刻だと話していた矢先だったので、互いに顔を見合わせる。
こんな時刻に誰だろうか。互いに口を閉ざして耳を澄ませているが、声をかけてくる様子もない。あまり望まぬ客と思えるが、客が来たならば店主として、店先へ赴かなければならない。
そうでなければ店として成り立たないのだから、どれ、と腰を上げた時、薬売りが私の袖を掴んできた。
「くす……」
薬売り?と問う前に、竜胆色に塗られた爪先が唇に当てられて、しぃ、と言う歯の隙間を抜ける音。
雅な指が此処に居るように、と言うように下を示した。どうやら客は私でなく、男の専門分野のようだ。
宵の口からけったいな客が来たものだ。まだ自由に闊歩するには幾分早い刻だろうに。
ゆらりと立ち上がる男に、古い我が家の床はみしりと音を奏でた。するとどうだろう、玄関で今度はガタンと何かがぶつかった音がして心臓がヒヤリとする。
落下する音や割れる音はしていないから、きっと品物は傷付いていないだろう。良かった。もしも品を傷付けられたのだとすれば、相手が幽霊であれ黙ってはいない。
あそこに存るのは他人から見ればただの骨董品ではあるが、それ私にとっては話し相手でもあり、良き理解者でもある。音に対して品を心配したのが分かっているのだろう、薬売りは大丈夫ですよ、と言って店先へと向かった。
目を閉じて耳を澄ませていると、女の泣き声が聞こえた。冷たく重たいものが呼吸器にズシリとくるような泣き声だ。亡者は悲しみを背負い過ぎて成仏も出来ず、この地に縛り付けれているのだろう。
あまりにも、哀れではないか。
薬売りに任せれば、形と誠と理……つまり心までもを暴かれた上で斬られる。私はどうにもそれが悲しい。成りたくて成ったわけではないのだから、害を発生させない限りは斬らなくても良いのではないだろうか?
しかし、薬売りが動いたということは、店先に居るのは害をなすモノノ怪であるという事だ。
私が出て行ってはいけない。
いけないのだ。
耳を塞ぐ。女の泣き声はもう聞きたくないからと、彼女の苦しみから逃げるように耳を塞ぐ。
愚かな生き物だと思われるかもしれないが、私は亡者相手であれ悲しみを少しばかり軽くしてやりたいのだ。話を聞いて気を軽くし、納得して心安らかに成仏してもらいたい。それなのに今悲しんでいる女の涙を拭ってやることも出来ない私は、己の無力さに歯を食いしばるだけだ。
薬売りからすれば甘ったれた意見だろう。専門外の人間が口を出すなと言われるに違いない。
対応出来ない、危険のあることには首を突っ込むなというのが薬売りの意見だ。素人が関わって良い案件ではないという言葉の中には、私の身を案じてくれているというのも分かっている。
けれど私は、元は心を持ち体を持ち私と同じ生き物であったあの人達を、救ってやりたいのだ。
耳を塞ぐ両手に他人が触れる。
ゆっくりと剥がされると、聞き慣れた声で発せられる私の名。
「西明、もう、大丈夫、ですよ」
目を開けて、前を見るとそこには火種がいつの間にか消えている囲炉裏があった。囲炉裏しか灯りはなかったので、部屋の中は薄暗い。
いったいどれ程私は目を閉じ、耳を塞いでいたのだろうか?
後ろに立っているのだろう薬売りは、そのまま私の後ろに座って肩を抱いてきた。
その腕に温もりはないけれど、内側から熱が生まれるような感覚がする。
「悲しかったか」
「俺ではなく、西明が哀しんで、いるの、でしょう?」
頭巾に覆われた頭に触れる。背後から肩に顔を埋められているのだから仕方ないが、後ろにある頭はどうにも撫で難い。
「仕方のないことだ」
自分に言い聞かせるように噛みしめて言葉にすると、男は私を抱く腕を強くする。
そんなに強くしないでくれ、折れてしまう。
「俺みたいに、ならなくて、いい」
それは違う。私はお前をそんな風には見ていない。
お前は、ちゃんと相手の心の中まで見て、全てを知った上で斬っているのだ。そんなに卑下するな。
安っぽい慰めの言葉は声にならずに、私は口を閉めるしかない。
お前を慰められるだけの器があれば、言葉に出来たのだろう。
けれど、私にはお前を支えられるほど、受け入れられるほどの力が無いのだ。そんな私が何を言ってもそれは軽くて、意味を成さない言葉になる。
言葉というものはとても難しい。
せめて何かをと思って伸ばした手は薬売りの頭巾に触れるだけだ。
言葉に出来ず、ただ頭に触れるしか出来ない私をどうか許してくれ。
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