モノノ怪 飽和する世界 番外 | ナノ
頭骨
灰色に染まる空から雨粒がパラパラと零れる日、女が傘もささずにいる男を見かけたのは、ちょうど昼を過ぎた頃であった。
見慣れない着物に見慣れない髪色。何もかもが珍しいの一言に尽きるその男は、濡れて髪から雫を落としてきた。
見目も美しい男であったからだろう、そうでなければこんな雨の日に傘もささずにいる男に誰が好き好んで声を掛けるものか。
「お兄さん、如何なさいました?」
あらいけない、いつものくせで猫なで声を出してしまった。女は心で一人舌打ちするが、男は朴念仁なのかその甘ったるい声音に気分を良くするでもない。
ただ、女に視線を向けただけであった。
「宿が、取れませんで」
「あらあら」
女は口の端が上がるのを必死に堪え、口元を手で覆いながら唇を舐めた。
今日は極上の男を招けるかしら。いいえ、女の意地にかけて誘って見せるわ。
そんなことを考え、女は再度男を観察する。
見目も麗しい、体躯も良さそうだ。一物の大きさは服装が凝っていてわからないが、問題ないだろう。
これなら今晩は満足できそう。
打算を売った女は、少し悩んだふりをした後に善意に満ちた優しい声でこう宣った。
「でしたら、今晩我が家に泊まります?」
「それは、ありがたい」
男はすんなり誘いを受けて、女に連れられるままに道を歩む。
女は頭の中であれこれと考えた。
雨に濡れているのだから着物を着替えさせよう。そうなれば男の体躯がより分かる。そうなったら夕餉より先に男と寝床に入ることを選びそうだ。
男も一泊の恩、野宿を救ってやったのだから無碍にはしないだろう。
女が足を進める後ろで、男は足元を着いてくる猫を見た。
猫は黒く、これまた濡れているために泥の跳ね返りなどで見目が汚らしい。
本来ならば美しい猫だろうに、酷く残念な姿だ。
猫も男を見やり、そして前を歩く女を見た。
「ろくでもない女だ」
小さな声で誰かが言った。
しかし女は気にしなかった。
女の近所は、女が日々知らぬ男を連れ込んでいるを知っている。
今日も後ろに男を引き連れているから、また誰かが聞こえよがしに言ったのだろう。
私に嫉妬している女たちの言葉になんて耳を貸すものですか。そう女は心の中で毒を吐き、さっさと家に入る。
男と猫もそれに連なり、家へと踏み込んだ。
「あらいやだ、猫が。シッ!シッ!」
汚い黒猫に威嚇をする女。しかし黒猫はツンとすました様子で男の足元に座り込んだ。
「俺の、猫なんで」
男が言葉を紡ぐ。
耳に心地いい音程だ。
女はたかが猫一匹のためにこの男を逃がすのは惜しいと考えて、猫のことは触れないことにした。
それより、と心を入れ替える。
「お兄さん、寒いんじゃありません?どうぞ中へ。お召し物の変えを用意しますわ」
あくまで善意的に。
下心など無いと言うように。
男は大きな木箱を背負ったまま女の宅に上がり、一室へと移動した。
「すぐ服をとってきますね」
「おかまいなく」
荷をおろした男を確認して、女は浮き足立つ気持ちを抑えながら昔旦那だった男の衣類を取りに向かう。
未亡人のふりをして、男に縋りつけば男はイチコロなのだと女は経験から学んでいた。
「さぁて、今夜は気持ち良くなれそうだ」
女は舌舐めずりをして、安い浴衣を抱えて男の部屋へと向かう。
戸が閉ざされていた為、女は男が着物を脱いでいるのだと想像した。
無防備に脱ぐ男の姿も悦と思えた女は、何を考えたのか襖を少しだけ開けた。
そして中を見て、ギョッとする。
男はこちらに背を向けた状態で木箱の前に座り、後生大事そうに何かを顔の前に掲げていた。
それは、人間の生首であった。
人間は眠ったような表情で生首になっている。
思いも寄らない光景に驚いて尻餅を着いた女は、自分が立てた音に焦った。
見てはいけないものを見て、それを相手に気付かれた。
しかも相手が持っているものは生首である。
自分もこの事実を見た以上、殺されるかもしれない。
女にとって、一瞬が一刻のように感じた瞬間だった。
音に気付いた男が刃を持って襖から出てくるかもしれない。
恐怖に怯えた女は、しかし何も訪れない事実に気付いた。
男が動かないのである。
女は足腰に力が入らないままに、再度襖に近づく。
中を見ると、生首は漆黒のしゃれこうべになっていた。
女は見間違いかと目をこする。
男が何かを話しているようであるが、話しかける相手は頭骨。無論返事などない。
所々、愛おしげに西明と呟くのが聞こえるが、あの頭骨の名なのだろうか。
頭骨に名をつけ愛でるなど頭のおかしな男なのだと理解した女は、逃げようと決めた。
廊下の先を見ると、そこには男の足元にいた黒猫。
女を見ている。
その不気味な猫に女は背筋が凍るようだった。
猫は口を動かす。
そこから発せられる声は、にゃぁという、可愛らしいものではなかった。
「やっぱり、ろくでもない女だ」
猫が呟いた。
女はあまりの恐怖に、そこで意識を失った。
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20130527の日記より
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