モノノ怪 飽和する世界 番外 | ナノ
無彩と有彩:60000hit
西明と旅をするようになって幾月か経過した頃。
南下した結果、長崎に到着した。
西明は初めて見る大船に、珍しく笠を少し上げて見上げている。
子供っぽい部分がまだあったのだなと、心の中で笑った。
平素落ち着いた大人であるが、実際はまだ童心を持っているのかもしれない。
否、持っているに違いない。
「こんなに大きな物が浮くのか」
「そうです、ね」
童心に返ったかのようにはしゃぐ西明。
鬼になってから西明はどこか闇を抱えていた。
太陽の下、いつも肩身が狭いというようにやや俯き加減だった。
それが今では船を見上げて、はしゃいでいる。
それだけで、嬉しい。
「異国の者も沢山居るな」
「世界との窓口、ですからね」
「此処なら、薬売りの髪が目立たないな」
西明は金や銀、栗色の髪を潮風に揺らす人を観て微笑んだ。
世界は広い。と呟く。
本来、骨董屋で生涯を終えるつもりだった西明が言うと、本当にそうなのだと思わされる。
世界は広い。
西明よりも俺の方が世界を見てきたが、俺だってまだ一部しか見ていないのだ。
本当に世界は果てしない。
「青い瞳の者もいる」
「そうですね」
「綺麗だ」
「海を見すぎて、青く染まった、のかも」
少し詩人的に言えば、変なモノを見る目を向けられた。
そんなに嫌そうにしなくても。
近づいてきた西明は、俺の瞳を見つめてくる。
笠の影によって従来の黒に見える西明の瞳に、俺が映り込んだ。
「薬売りは、何に染まったのだろうな」
「俺……ですか?」
「服も瞳も花緑青、否、藍鼠か?錆浅葱にも見える」
「色については、疎いので」
旅の途中で、西明は色についての知識が深いのだと知った。
沢山の色を知る西明と話すのは面白いが、如何せん俺が色について知識が浅いので、反応に困る。
西明はにやりと笑い、そして俺に背を向けた。
朽葉色の笠と、闇色の着物。
強い陽射しの下、鮮やかな色彩に溢れた世界でその姿は現つ世から離れて見える。
せめて何か一色、色を添えたい。
そう思った。
「薬売りはどうする?」
突然の問い掛けに、一拍の間を空けてしまう。
何をどうするのだろうか?
「商いをするのだろう?」
問い掛けに、そういう事かと頷く。
西明は今日、今から俺が商いをすると考えているのだ。
西明も西明で道中に目利きして獲た珍品を売り買いしながら商いをしている。
異文化の物が集う此処ではさぞかし腕の見せ所だろう。
しかも西明は物の声が聞こえるので、売り手が言う事が嘘か真か品に訊いて判断できるのだ。
これほど腕の良い行商人もいるまい。
骨董屋としての腕も良かったが、行商人としての腕は、右に出る者が居ないと思う。
「西明は、どうするんで?」
「私は品を見がてら、散策しようかと」
「散策しがてら品を見る、の間違い、では?」
煩いな、と返される。
此処に来たのは、少しでも西明の心を彼の地から離す為であり、商いや物の怪云々の為に来たのではない。
確かに少しは商いをしようとも考えていたが、今日みたいに天気が良い日に薬を煎じて売りに出すのは勿体ない。
「俺は散策しがてら、品を見ます、よ」
「商いをしないのか」
「天気が良いですから」
それに、潮風に弱い品も多いですから。
そう伝えれば、納得したらしい。
並んで歩きながら、店を見て回る。
西明は異国の物に惹かれるらしく、足を止めては品を眺めた。
こんなに子供のようにはしゃぐとは思わなかった。
店の主人と話している西明にあちらの店を見ていると伝えて、俺も品定めをする。
西明に、何か色を添えたい。
無彩色に染まる西明が渡した時に素直に受け取ってくれる何かを渡したいが、西明は人から物を貰う事をよしとしない。
装飾品を見ていると、華を模した帯飾りがあった。
金細工に紅を少しいれたそれは、小さいながらも黒の中で存在を主張するに違いない。
値を見れば、高過ぎず安過ぎず。
華など、と言われるかもしれないが、俺には似合わない紅が入っている。
着けるなら、俺ではなく西明しかいない。
着けずに持ち歩くなんて無慈悲な事はしないでくれるだろう。
「これを、ください」
金を支払って、受け取る。
西明はまだ話しているらしく、店の前から動いていない。
茶屋の近くの席に座っていると、働いているだろう女性が茶を一杯持ってきた。
「頼んでは、いませんぜ」
「お疲れのように見えたので、喉を潤して下さい」
「それは、どうも」
茶を飲む。
異国人向けなのか、少し香料の香りと、味。
何だろうか。
もう一口飲む。
すると眩暈がした。
何だ、これは。
「大丈夫デスか?」
片言な喋り方に、異人だと知る。
喉が痺れて声が出ない。
まるで喉に真綿を詰められたような感覚だ。
身体が傾く。
そこで、意識は泥沼の中に沈んだ。
脳がゆらゆらと波に揺れるような感覚。
はっきり言えば、気持ち悪い。
感覚がゆっくり甦ってくる。
人が二人、否、三人、近くに居る。
どうやら自分は、地面に横にされているようだ。
腕は後ろ手に縛られているらしい。
誰かは知らないが、茶屋の娘と手を組んで、俺を何処かに連れてきたようだ。
視界はゆっくりと色を浮かばせる。
しかし生まれる色は、白と茶色と灰色、それから黒。
屋内なのだろうが、どうやらボロ屋のようだ。
天井から所々陽が射している。
天井を見上げれば、眩しくて目蓋を閉じても残像が残る。
これでは雨避けすら出来なさそうだ。
何か話している声が聞こえる。
日本語と、異国語だ。
「起きたみたいだ」
一人が俺に気付いたのか、近づいてくる。
陽が射す場所に立った者を見れば、何処にでも居そうな男だ。
もう一人も近づいてきて、けれど何かに怯える態度を示していて、最初の男ほど近づいてはこなかった。
最後の一人が、近づいてくる。
黒い、筒状の帽子を被った男。
その帽子の隙間から出ているのは、金糸。
「お目覚めデスか、魔物よ」
この異国人、目覚め早々に何を言ってくるのか。
「人に向かって魔物、とは、失礼ですよ」
まだ麻痺が抜けきれていないのか、やや稚拙な呂律になってしまうのが悔しい。
それでも相手の瞳を睨む。
臆してはならない。
「何を言いマスか、その尖った耳、犬歯、瞳や髪の色。まさにデビルデス」
「デビル、とは?」
「Oh…sorry。こちらでは魔物、もしくは物の怪と言うのデシタネ」
開いた口が塞がらない。と言うのだろうか。
確かに俺の外見は他と変わっている部分が多いが、人に害なす魔物や物の怪に例えられる謂われはない。
「俺は、薬売り、ですよ。物の怪では、ありません」
「皆サンそう言って、人間を騙しマス」
硝子瓶に入った何かを全身にかけられる。
何だと内心で慌てたが、匂いも味もない。
ただ水のようだ。
何の効果もないそれに、これは生臭坊主が陰陽師ぶってやる怨霊払いの儀式と何ら変わらないのだと知る。
この茶番劇に、付き合わなければいけないのだろうか。
「主よ、この魔物を清めたまえ」
二人の日本人が言う。
吉利支丹の信徒達か。
吉利支丹は弾圧されたと聞いていたが……隠れ吉利支丹といったところだろう。
勝手に聖職者ぶって、人に清める場面を見せて信仰心を高めるのが狙いか。
いい迷惑だ。
「銀ノ銃弾ヲ、この者の胸に」
「銀の銃弾を、この者の胸に」
「誰の許可を得てやっている」
何処かから声がして、戸を蹴破る音。
同時に、屋内に水を掛けられた。
「何者だ!」
突然現われた誰かに、日本人二人が襲い掛かる。
しかし一瞬水を浴びせられた事に怯んだ二人と、怯んだ隙をついて現われた者とは心の有り様が違う。
慌てた者と落ち着き払った者が争えば、どちらが勝つかなどすぐに分かる。
慌てた者の一人は掌底で顎を下から撃たれて、軽い脳震盪でも起こしたのだろう、砂利の上に転がった。
もう一人は一物付近を前から蹴られ、蹲って倒れたら腹にまた蹴りを入れられて、呻いている。
「芋虫みたいな格好だな。不様でお似合いだ」
「芋虫を助けにくる奇特な人には、言われたくありませんね」
大の男を二人床に伏させた西明は、間抜けめ。と悪態を吐いてきた。
縛られている俺の傍にしゃがんで、帯に刺した短刀を抜く。
「………っ!」
異人が何かを叫ぶ。
同時に、鼓膜を破りそうな破裂音。
西明は自分の心臓付近を見て、そのまま俺に多いかぶさるように倒れた。
「西明?」
西明は動かない。
静寂に支配された世界。
今まで身体を襲っていた痺れが消える。
「西明!」
異人が甲高く笑っている。
間接を外して、縄から抜けようとすると、西明の身体はのそりと動いた。
「まったく、便利な身体だ」
若干しゃがれた声。
起き上がって、西明は血を吐き捨てた。
異人が悲鳴を上げる。
「生きて……」
「首を切っても死なんのだ。たかが金属片を撃ち込まれただけで死ぬものか」
安堵の溜め息を吐く。
西明は皮肉めいた笑みを浮かべた。
「デビルっ!」
口の周りに付着した血を拭う西明に異人は叫ぶ。
まだ意識がある日本人も、腰を抜かして戦慄いている。
「でびる?」
「物の怪の意味だそうですよ」
西明はふむ。と言って、短刀を持ちなおすと縄を切る。
「間接を簡単に外すな、癖になる」
「西明が死んだかと、思いまして」
間接をはめ直すと、痛みが走った。
思わず寄った眉根に、それみた事か。という視線を向けられる。
しかし、本当に、西明が死んだのではないかと慌てたのだ。
西明を目の前で傷つけられて、護れない己に対して湧くのは、嫌悪感でしかない。
「アナタは!デビルの味方をするのデスか!?地獄に堕ちマスよ!」
「何だ、日本語が話せたのか。なら早い」
西明は短刀を鞘に納め、異人を見る。
「魔物には魔物のしきたりがある。貴方が立ち入ってはならない領域だ」
「魔物は人を傷つけマス!」
「それは領域が交わってしまった物達だけだ。その物達だけを排除するんだな」
「そのような状態では、傷付く人が増えマス!傷つける奴が出るまで何もせずに待っていろというのデスか!」
西明は溜め息を吐いて、異人に背を向けた。
俺を起こそうと脇の下に手を差し込み、抱え起こされる。
「立てるか?」
「どうにか」
「痺れ薬を盛られる薬屋とは、聞いて呆れる」
「お恥ずかしい、限りで」
肩を貸してくれる西明。
半分抱えられるような格好で、西明が蹴破った戸口から外へ出る。
異人が何か叫んでいるが、西明は気にも止めていない。
暫く歩いて、廃れた場に辿り着く。
壁を背もたれにして、西明は俺を座らせた。
「西明」
「ちょっと待て」
西明は俺の正面で蹲るように腹を抱えて、片手で口を押さえながら咳き込む。
口を押さえた指の隙間に、血が滲んだ。
そして、ごぼりと血を吐く。
「西明!」
血が、地面に紅い泉を作ってゆく。
背を擦ろうと思って背に触れると、湿った着物。
手を見れば、赤が付着していた。
出血が、多い。
着物が黒くて、気付かなかった。
「西明」
「案ずるな。肺に溜まった血と、銃弾を吐き出しただけだ」
真っ赤に染まった手を見せるように出された。
陽の光で油のようにぬめる紅い液。
その中に、より一層陽を浴びて輝く物が、一つ。
銀の弾丸だ。
「治療しなくては、血が」
「もう傷は塞がっているから、気にするな」
それは、人ならざる所以。
西明の中に居座る鬼が、西明の命を繋げている。
「西明」
「そんな悲しい声を出すな。私は存外、楽しんでいる」
口を拭い、可笑しそうに笑う西明。
何故笑う。
本当は、苦しんでいるくせに。
「血は、不味いな」
「当たり前です」
「以前、私の血を啜っただろう。だから、美味いのかもしれないと思っていた」
西明に噛み付いて、血を舐めたのは俺だ。
しかしそれは、西明だから。
好きな者の血だからこそ、美味く感じる。
簡単に言えば、好きな人ならば血も肉も、最高になるという事だ。
西明は血を吐き捨てて、立ち上がる。
近くに水場はないかと探して、見当たらないから仕方なく水筒で手や口元、口内を濯いだ。
「そういえば、よく俺の居場所が、分かりましたね」
「茶屋の娘に聞いた」
「彼女も、仲間だったんで?」
「吉利支丹なのは確かだ」
「よく、聞き出せましたね」
西明は一寸黙った後、曖昧な返事をした。
手荒な真似をしていなければ、良いけれど。
「そう云えば、俺の荷物は、何処、ですか?」
「置いてきた」
「置いて、きた?」
俺の仕事道具総てを、置いてきたと云うのか。
なんて事を。
「案ずるな、買ったばかりの人形を置いてきた」
「人形?」
「札を付けて力を分け与えているから、本物の人間として目視される。綺麗な貴婦人だよ。少々、値は張ったがな」
つまり、買ったばかりの人形に、荷物番をさせているという事か。
人に頼らず神に頼るあたりが、なんとも西明らしい。
「西明」
「どうした」
「危険な目に、合わせてしまいました」
「くだらん事を気にするな。湿っぽいのはどうにも好かん」
「ですが」
手をかざす仕草。
それは、何も言うなと云う合図。
「荷物番の力も限りある。早々に戻るとしよう」
幸い、着物は黒で血は目立たないからな。と西明は笑った。
漆黒の西明は、色褪せた笠を被り直す。
「西明」
「ん?」
「これを」
帯飾りを出す。
西明は案の定、眉根を寄せた。
「いらんよ」
「貰って、下さい。西明に似合うと、思ったんです」
「色はいらん」
「何故」
「分からないのか」
分からないから聞いているのだ。
昔から黒を身に纏っていて、その理由を尋ねた時、似合わないからだと言っていた。
しかし、今は違う気がする。
もしかしたら、色を持つような身ではないと言いたいのかもしれない。
それが鬼である自分に対する戒めとしてならば、そんな戒め、持つべきではない。
西明に合う色は沢山ある。
それに西明は、色に頓着していないのではない。
むしろ、色を愛でている。
なのに色を身に纏わない理由は、何だ。
西明が無彩で居続ける理由は、何だ。
「自分で考えろ」
西明は帯飾りを奪うように取り、帯に刺した。
60000hitアンケートでいただいた、鬼化ED後の物語。
皆、無いものを持つ人に惹かれるし、そのほうが互いを引き立たせ合うという話。
皆様アンケートご協力、ありがとう御座いました。
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