モノノ怪 飽和する世界 番外 | ナノ
所有の印:
女主
旅の出会いは一期一会だと、今日この日までは思っていた。
「いやぁ、まさか西明さんにまたお会いできるなんて思っていませんでしたよ」
茶屋の席で、相席よろしいですか、と言葉だけの質問を投げ掛けて勝手に対面する席に腰掛けた知らない男がへらへら笑う。
知らない、というのは大変語弊があるのだが、私にとって他人はあくまで他人だ。
記憶違いでなければ越後で顔を会わせて、やたらと私に馴々しく話しかけてきた男。
「まさか旅の方とまた会えるなんて思いもしませんでしたよ」
「同感です」
「俺たちを繋ぐ何かがあるのかも」
何だそれは。
笑いたくなったが、笑顔を浮かべるだけでやり過ごす。
こんなところで深追いするのは、相手に変な意識を向けていることになりかねない。
受け流した私に男は少し残念そうな表情を浮かべて、また口を開いた。
「それにしても涼しいですね。奥の席は涼しいし、西明さんも居る。まさに良いことばかりですよ」
相も変わらず口の減らない男だ。
せっかく涼みに入った茶屋で、こんな喧しい男に絡まれるとは思わなかった。
「そういえば、西明さん、今日は笠を外しているんですね」
「暑いですから」
「前は一切外さないから、もしかしたら上が薄いのかと思ってしまいましたよ」
失礼な、と思うより、煩いな、と思う気持ちが勝る。
越後でこの男に絡まれた時は屋内であれ、出入口の近くで陽が射し込む為に笠は外していなかった。
瞳の色は薄暗い場所でならば誤魔化せるが、光の傍では本来の色が表れる。
紅い瞳が一般人に見られでもすれば、厄介事では済まされない。
だから越後では笠を外していなかったのだが、今は店の奥まった部分に腰掛けているから外していて、男はそれを指摘してくる。
人とはやはり、あまり触れられたくない事柄に触れられれば、不愉快になるもので。
「髪が薄いと心中で笑っていたと」
「いえ、そんな事はないですよ!」
男は慌てて弁解に入るが、上手い言い訳が見当たらないらしく、金魚のように口をぱくぱくとさせていた。
口は災いの元だと学んで、少しは黙るだろう。
「ところで、今日は連れが居ないんですね」
「あぁ、薬売りですか」
「名前は知りませんが、けったいな衣装の男です」
「それは薬売りです」
「変な呼び名ですね」
「私は馴れていますから」
「仕事が薬問屋なんですか?」
「えぇ」
「西明さんはその薬売りって奴と、腐れ縁ってやつですか?」
「そんなものですね」
何なのだ、この男は。先程から質問ばかり。
のんびり茶を飲む事すらままならないではないか。
薬売りとここで待ち合わせにしているから辛抱しようと思っていたが、これ以上ここに居ても疲れるだけだ。
茶代を卓に置いて、笠を持つ。
「え、西明さん」
「待ち合わせがあるので、失礼します」
「待って下さいよ、ここで会ったのも何かの縁です。もう少しお話を」
「待たせるのは苦手なもので」
笠を被ってさっさと店を出れば、店の奥で薄暗い世界に慣れていた眼に陽射しは痛かった。
それでも男から解放された事に安堵する。
暫く外で待てば薬売りも来るだろう、それまでどうやって時間を潰そうか。
そんな事を考えていれば、後ろから名を呼ばれて。
「西明さん」
「……何か」
先程、私に散々話し掛けてきた男が私の後ろに居た。
何で居る。
茶を飲み始めたばかりだったはずだ。
よもや、わざわざ私を追いかけて店を出たのではなかろうな。
「ああ良かった、実はですね」
男は顔を綻ばせる。
対する私は眉間に皺を寄せていることだろう。
男は一度深呼吸をして、何を考えたか私の手首を掴んだ。
「俺と共に行きませんか」
「私は待ち合わせがありますので」
「俺なら、西明さんを一人で待たせたりはしません。常に一緒にいます。あなたを笑顔にします」
共に行く、とは、そういう事か。
突然何だと思えば逃避行を促す。
若い男だ。
それ故に、突っ走りやすい。
「生憎、貴方と行く事は出来ません」
「そんなにあんな男が良いんですか。あんなけったいな衣装で、化粧もして、優男じゃないですか。あれでは西明さんを守れやしません」
人とは身内の悪口を言う事はあっても、他人から言われれば憤慨するものである。
それは結局どれだけ悪態をついても親族はその本人を好きで、だから悪態をつこうとも笑って許せるのだ。
しかし他人はどうだろう。
明らかに敵意、もしくは嫌悪感しか向けてこない。
だからこそ腹が立つ。
それを、この男は知らないのだろうか。
「貴方よりは力もあります」
薬売りに本気で腕を掴まれれば、骨が悲鳴を上げる。
それに比べて、男は力を入れても骨が悲鳴を上げるまでには至らないだろう。
「それに、貴方よりも、薬売りは誠実です」
私の事を何も知らずに何処かへ行こうと言うけったいな男に比べれば、薬売りのほうが断然良いだろう。
手を放してくれと腕を引くが、男は放さない。
「何故」
何故、と言われても。
正直に貴方が欝陶しいのだと言えば去ってくれるだろうか。
いやしかし、そんな事を言えば男は傷つくだろう。
「西明」
どう言ったものかと思案していれば、後ろから声がかかる。
落ち着いた声は耳に心地よくて、僅かに気を張っていた身体から力が抜ける。
振り返れば、そこだけ周りから隔離された空間に思えるほど、色が溢れていた。
視覚に捉えたそれに、安堵の溜め息が出る。
「薬売り」
傍に行こうとすれば、捕まれた腕に邪魔をされる。
まるで首輪だ。
男を見れば、男は顔を歪めていて少しの恐怖感を感じた。
思い通りにならなければ不快感を顕にする。
まるで子供だ。
いや、事実、身体がでかいだけの子供なのかもしれない。
「放しては、くれませんか、ね」
後ろから腕が回ってきて、身体が後ろに傾く。
公衆の面前で抱きつくとは、何事だ。
「よさないか、薬売り」
「彼が西明を放してくれれば、やめますよ」
「だ、そうです。放してくれませんか」
何故こちらが願い請わなければならないのか。
放せと一喝してやりたい。
だが、ただでさえ薬売りに背後から抱き締められて周囲の視線が痛いのだ。
これ以上好奇の目を引く事はしたくない。
男の手が放れない事に先に焦れたのは、薬売りだった。
私を抱いたまま、男の腕を掴む。
男が顔を歪めたと思えば、あっさりと手は放れた。
「行きましょう、西明」
「ああ」
薬売りは解放されたばかりの手首を掴んで私を引っ張る。
何処かに行くつもりなど毛頭無いのに、薬売りは私の手首を放しはしない。
ちらりと後ろを見れば、男はそこに佇んだままだった。
「薬売り、いい加減放さないか」
「そう、ですね」
黙々と歩く薬売りに連れられてきたのは宿の一室。
勿論、私たちが既に借りていた部屋である。
漸く放された手首を擦って睨みつければ、強く握っていなかったでしょう、と言われた。
「強く握らなくても、引っ張られれば痛い」
「では、舐めて」
「遠慮する」
伸びてきた手を避けるように半歩後ろ退けば、薬売りは少し笑った。
何がおかしい。
「先程、男の腕を本気で握っただろう」
「まあ、男相手、ですしね」
「骨に罅が入っているかもな」
「そのつもりで、握りました」
驚けば、だってねぇ、と薬売りは笑う。
何が、だってねぇ、だ。
放せと言って放さなかったら力で捻じ伏せる。
そんな乱暴者だとは、思わなかった。
溜め息しか出てこない。
笠を外して、首元や頭部の解放感に、首を回す。
「西明」
「何だ」
「こっちを、向いて下さい」
意味が分からない。
睨みつけるように薬売りの方を向けば、薬売りは私に抱きついてきて。
何なのだ。
「おい、薬売り」
「西明」
少し腕の力が緩んで、肩口を抱いていた腕が腰に回る。
見上げれば、嬉しそうに笑っていた。
気持ち悪いったらない。
「綺麗ですね」
「目を患ったのか?」
「患って、いませんよ。俺は、その瞳の色の西明のほうが、好きなので」
「変わった趣向の持ち主だな。鬼が好きか」
「いいえ、西明が好きで、鬼になった西明が、もっと好き、です」
意味が分からない。
鬼になった私を慰めるつもりでそのような発言をしているならば、失礼だ。
私はもう鬼になった事を悔いてはいない。
瞳の色さえ誤魔化せばどうにか出来るのだと、開き直っているのだから。
「ですが」
薬売りが少し目を細めた。
僅かに目を細めただけなのに威圧的に感じてしまうのは、隈取りをしているからだろう。
「他の男が、寄ってくるのは、心配です」
「そんな事を言っていたのか」
馬鹿馬鹿しい。
私が鬼になって、人との関係を希薄にしているのは事実だ。
一期一会の出会いであるから、気軽に表面上の話だけをして去るようにしている。
それが、鬼になった私にとって居心地の良い付き合いだった。
下手に深入りしてこない、詮索してこない。
けれど人間との付き合いを完全に拒絶せずにいられる。
人間社会との繋がりを持ったままでいられる。
だからこそ、一期一会の付き合いを私は楽しんでいた。
おかげで今では薬売りだけが知人であり、他はすべて他人となっているのだが。
それを薬売りは良しとしているらしい。
他人、否、他人と云うよりも男である。
男と私が親しくならないから、今の状況を喜んでいる。
なんて心の狭い男だ。
「ただ話していただけだろう」
「腕に触れていました」
「捕まえられたのだから、不可抗力だ」
咎めるような口調につい自分は悪くないと伝えれば、薬売りはそうですね、とあっさり肯定した。
それもそれで、不気味だ。
何かあるのではなかろうな。
「ちゃんと、そういう人がいると云うのを、見せなくては、ならないの、ですね」
本能的に、このままではまずいと感じる。
腕から逃れようとしても、腰をしっかりと掴まれていて逃れられない。
薬売りの胸を押しても、腕は放してはくれなくて。
耳元で薬売りが笑う。
かかる吐息にぞくりと背筋を駆け上がるものがあって、いつから私はこんな淫乱になったのだと羞恥を感じた。
「放せ」
「可愛い、抵抗で」
人の弱点を知っているのだろう、耳にぼそぼそと話しかけてくる。
おかげでどんどん体から力が抜けてゆくのだ。
勘弁してくれ。
それが薬売りは楽しいのだろう、相も変わらず、囁くような声で話しかけてくる。
「西明、他の人が手を出さないためには、どうすれば、良い、ですかね?」
「私にこんな事する趣味の悪い奴はお前だけだ」
「言って、くれます、ね」
頼むから耳元で笑ってくれるな。
くすぐったくて仕方ない。
いつの間にか腰から背に回っていた手に、着物を引っ張られて、前が少し開く。
「他の者に見せるように、痕をつければ、良いとは、思いませんか?」
所有印をつけると、そう言いたいのか。
もうどうでもいい。
後は着物で隠せばいいのだから、さっさとつけてこの状態から解放してくれ。
「早く済ませろ」
「良いんで?」
「さっさと終わらせてくれるなら、かまわん」
「色気のない」
そう楽しそうに呟いて、薬売りの髪が肩を滑った。
温かい物が触れて、瞼を強く閉じる。
鬱血痕を作るのは、簡単だ。
すぐに終わる。
そう、思っていたのに、チクリと刺す感覚に、目を見張る。
「薬売り」
逃れようとすれば、がっちりと抱え込まれていて。
肉を裂く痛みに、少し声が上がった。
それに気を良くしたのか、肩を舐められて、ぞっとする。
痛みと快感に、目眩がした。
「御馳走、様、でした」
口元に血が付いた薬売りは、まるで本物の鬼のようだった。
鬼の私よりも鬼らしいその姿に、壁に背を預けながら溜め息しか出てこない。
肩口に触れれば、ぬるりとした温かい液があって、それから皮膚にいくつか陥没した部分があった。
こんなに強く噛むとは、何事だ。
「薬を、塗りましょうか?」
「その必要はない」
鬼になってから、治癒能力が高くなったのだ。
この傷も、幾日かすれば完全に消えるだろう。
「まったく、噛み痕をつけられるとは思わなかった」
「鬱血痕は、誰だってつけられる、でしょう?」
「私に鬱血痕をつけるのは物の怪か、お前くらいだ」
「でも、その痕を西明につけられるのは、俺だけ、でしょう?」
何と張り合っているのやら。
聞くのも面倒くさくて、聞き流すことにした。
「金輪際、こんな事してくれるなよ」
「それは、約束、出来ません」
「痛いのは嫌いだ」
薬売りはおや、と言う。
何だその意外な物を見るような眼差しは。
〜戯言〜
紗苗様より頂いた美イラストに触発されて書かせていただきました。
これから傷が癒えるたびに噛まれていれば良いと思います。
紗苗様の美イラストは
此方
から。
本当に、素敵なイラストをありがとう御座いました!
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