モノノ怪 飽和する世界 番外 | ナノ
雪解け
晴天続きに雪は溶け、氷の固まりになったそれが端に追いやられている今日この頃。
薬売りの脳は暖かい陽射しにやられたらしい。
脳が寒さに凍結してくれれば静かになるし黒猫と喧嘩もしないしで願ったり叶ったりなのだが、雪解けと共に脳は液体化したのか、いつも以上に奇行が目立つ。
黙っていればそれこそ女を騙すのに良い容姿をしていて、『立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の華』と女性を賛美する台詞すら似合うと隣近所の御婦人が騒いでいたのを思い出す。
彼女達の理想を崩さない為にも決して言いはしないが、この男はそんな奴ではない。
行動一つ一つが子供じみている上に、稀に自分本意で我が儘だ。
気紛れで獣の様に噛みついてきたりする。しかも、噛みつく相手は決まって私だ。
これだけ女性から人気を得ているのだから、噛みつく相手も選りすぐりだろうに。
稀に私ではなく、柔らかい女性に噛みつけと言いたくなる。とはいえ、被害を最小限に食い止める事を優先してしまうので、毎回被害者は私一人なのだけれど。
否、しかし、女性は噛みつかれて喜ぶのかもしれない。事実、噛まれた部分を偶然見られた時に羨ましいとすら言われた。
噛まれるのが羨ましいとは、もはや正気の沙汰ではない。
今だって意味もなく人の庭を徘徊する男を囲炉裏の傍に腰かけて眺めているのだが、この姿を御婦人達が見たらなんと言うだろう。
華を愛でている?――生憎、冬の庭には色彩豊かな華など無く薬草だけだ。
景色を眺める?――やや俯き加減の姿勢で何を眺めると。
……駄目だ。
御婦人の想像と云う名の妄想に現実を知っている身としては、ついていけない。
とりあえず、御婦人の細やかな夢を崩さなくて済んだのは良いことだ。
しかし、現状すらも良いと思う人もいるのでは……いや、やめよう。
考えるだけ不毛だ。
私の脳で御婦人の思考を辿るのは無理な話だ。
そう思うと考えるのも馬鹿らしくなってきたので、火鉢にかざしていた手で太股の上にいる黒猫の頭を撫でる。
黒猫はかけてやった羽織から顔だけを出して丸くなっている。
身体はぬくいが顔が冷える為に安眠とはいかないらしく、吹き抜ける冷気に黒猫は瞳を瞬くばかりだ。
地を這う冷気に火鉢の中で木炭は灰を少し舞わせながら赤みを強めるが、水を撒けば日陰はすぐに氷となるこの季節には頼りない。
囲炉裏の鍋底は炎に舐められて鍋から白い湯気を立ち上らせるが、それも風に流されてたちまち姿を消す。
「寒い」
「ならば、戸を閉めれば、良いでしょう」
座敷で一人ごちったつもりなのに、男はどこまで耳が良いのか、庭に居るくせにすぐ反応を返してくる。
聞き流さずに言葉を返してきては、こちらも反応せざるを得ない。男は此方に背を向けたまま歩いているが、返事はしておこう。
「換気中だ」
「そうでした」
「薬売りは寒くないのか」
「寒い、です」
そう言って、こちらに背を向けたまま、また一歩を踏み出す薬売り。
まだ歩き回るつもりなのか。寒いと言うが、さして寒がっていないではないか。
毎年冬に南下するから寒がりだと思っていたのだが、どうやら勘違いだったらしい。
そうでなければ、誰が好き好んで朝のまだ気温が上がっていないこの時間帯に外へ出て歩き回るものか。
薬売りの方が私よりも余程、寒さに強いかもしれない。
「寒いのに歩き回るのか」
「氷の柱を、踏んで、いるんです、よ」
「氷の柱?」
「はい」
ツララではなく氷の柱。
踏むと云うことは、地面にある氷の柱……成る程。
寒いこの時期、地層に染み込んでいた水分が夜の寒さで凍って霜柱を作るのだ。 それは歩くとサクサクしていて、子供は踏むのを好む。
薬売り、お前は子供か。
何をしているのかと思えば、子供の遊びだったとはくだらない。
外を眺めるのをやめて囲炉裏を見ると、炭がはぜて、灰が舞った。
鍋の中では赤と緑と白がチラチラと泳いでいる。
そろそろ換気をやめようか。
羽織で黒猫を包んで膝から下ろす。
屋内の戸や襖、障子を閉めて火鉢のある部屋に戻ると、まだ男は外にいた。
縁側に出て障子を閉め、柱にもたれかかって外の景色を眺める。
太陽の光の下で端に追いやられた白銀が輝いて目に痛い。
思わず目を細める。
目に痛い、が、汚れない白さは輝いて、あまりにも綺麗だからどうしても見てしまう。
佇む男がこちらに振り返った。
白い空間で、光を背から受けている薬売り。
鮮やかな着物を纏った男は、白の中では尚目立つ。
背筋を伸ばし、佇む姿。これを綺麗だと思うのは、多分正常な心だ。
風が唸って男の柔らかい質の髪が踊ると、白銀の世界に灰色の髪は溶け込むようで、髪止めの青が浮いて見える。
揺れる髪を押さえているが、鮮やかな着物が揺れ、まるで風に舞う色とりどりの花弁のようだ。
「立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の華、か」
女性に向ける言葉だが、まさしく、似合いの言葉だ。
男の着物の色彩が女性の晴れ着のようで、華に喩えられるだけの鮮やかさを持っているからだろう。
それに爪も染めているし化粧もしている。なにより白雪の様にくすみの無い綺麗な肌だ。
女性が見ても羨む肌に容姿。これでは周りから華に喩えられても無理はない。
男は顔を振って視界を覆う髪を退かす。
「何か、言って、いましたか」
どうやら先程うっかり口に出してしまった言葉は聞こえていなかったらしい。
これは幸いだ。
「何も」
「笑って、いる」
口の端が上がっているのは自覚している。
男が華とは可笑しな話しだろう。
これをどうしたら笑わずにいられるか。
縁側に上ってきた男は腕組みした私に抱きついてきた。
冷気どころではない、まるで氷に包まれたような感覚。
羽織は猫に与えてしまったから、触れた部分からすぐに温度が伝わってくる。
「寒いのだが」
「冷えました」
「自業自得だ」
「西明は温かい、ですね」
「薬売りに比べればな」
組んでいた腕を解いて男の胸を押し、身を離す。
少し寂しそうな顔をするので、笑みが浮かんでしまった。
本当に、子供だ。
「中に入るぞ。煮物を作っておいた」
ほら、すぐに嬉しそうな顔をする。
済ました笑いではなく、屈託のない笑み。
大人の男相手に可笑しな話だが、女のように艶やかで、子供のように可愛いと思ってしまった。
〜終〜
店主の脳も雪解けのようです。
1/21の日記より
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