モノノ怪 飽和する世界 番外 | ナノ
拍手ログ5:膳を共に
目を覚ましてまず耳にしたのは、雨音だった。
ポツポツと、我が家に居る神々が噂話でもしているかのような音。
軒樋に入らず屋根から伝い落ちたのだろう雨水が、地面に出来た水溜まりに落ちた音がした。
雨の日は気温が下がるからだろう、雨音を聞くと寒く感じる。
布団の温さも相まって、動きたくないと思ってしまうのが難点だ。
私一人ならば布団に溶け込む感覚に甘んじて、惰眠を貪るだろう。
しかし、今は一人ではない。
目覚めれば飯を食う男が居るのだ。
惰眠を貪るわけにはいくまい。
渋々起き上がって、傍に置いていた羽織に袖を通す。
羽織は熱を逃がさないようにと着る物だが、畳の上に置いていた為に羽織が冷たくて私の体温を奪ってゆく。
熱を奪われない為に着た物が熱を奪うとは、これ如何に。
部屋から出れば息も白くなった。
雨空で日光が届かない部屋は薄暗く、まるで夜のようだ。
台所である土間に向かう。
この家でずっと燃え続ける炎が、暗い土間の一部を温かく照らしていた。
その光は心を温めるもので、太陽にしろ炎にしろ、自ら輝く物達の偉大さを感じる。
炎から火種を頂戴して七輪に火を灯す。
それを居間において襖を締め切れば、部屋も温かくなるのだ。
土間に戻れば薄く氷が張った水釜。
柄杓で叩いて氷を割る。
跳ねた水が顔にかかって、その冷たさに息を飲んだ。
こんな冷たい水で米をとぎたくない。
しかし、じきに腹を空かせて起きてくる奴がいる。
炊かない訳にはいかない。
米をとぐ。
手が赤みを帯びて、ピリピリと痛い。
けれど、それもじきに感覚を失った。
感覚が消えた今の内に、他の野菜も洗ってしまおう。
朝食を作り終える頃に、家の中から物音がした。
薬売りが起きたのだ。
膳に盛り付けてゆく。
二人分の膳を持って、居間に向かう。
一人分の膳を通路に置いて、襖を開ける。
すると中から、僅かに温かい空気。
中には、七輪の傍で蹲った薬売り。
「……ん」
冷たい空気が床を這って薬売りに辿り着いたのだろう、もぞりと薬売りが畳の上で動いた。
通路に置いた膳も部屋に入れて、襖を閉める。
薄暗い室内で灰色に見える薬売りの髪が、畳の上にたゆたっていて綺麗だ。
足音を立てないように近づくけれど、畳はみしりと音を奏でて、薬売りの長い睫毛がピクリと動いた。
「……」
うっすらと開いた瞼。
その奥には、宝玉のような瞳。
その宝玉は今はトロンとしていて、薬売りがまだ覚醒出来ていないのだと知れる。
けれどその瞳は、私を捕らえた。
細くて綺麗な手が動いて、私の袖を少し摘む。
薬売りの口が僅かに動いた。
それは、私の名を紡ぐ、見慣れた動きをしてみせて。
そして、まるで初春の訪れを見つけた娘のように柔らかく、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
そして、また瞼は閉じられる。
けれど袖を摘んだ指先はそのままで。
嗚呼、どうしてこんな無防備な姿を曝してくれるのか。
これから、お前を起こせなくなるではないか。
これからは、薬売りが起きてから食べ物を膳に盛ろう。
そうでないと、冷めた飯を食べさせる事になってしまう。
- 22 -
[
*前
] | [
次#
]
←
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -