モノノ怪 飽和する世界 番外 | ナノ
喧嘩する二人:60000hit
今日で命の灯火が消えてしまうだろう患者が、一名。
患者と云っても、長年見てきた子ではなく、六日前に隣町からわざわざ私の元まで訪ねてきた者だ。
訪ねてきた時、もう私には手の施しようがない状況になっていた。
どうしてこんな状況になるまで放っていたのだとまだ幼い患者の両親に怒鳴りたくなったが、ただただ子供の容体を心配して泣く妻に寄り添っている夫を見て、何も言えなくなった。
彼らが停泊している民宿に足を運んで患者を診察する。
痛みに呻く力もなく、浅い呼吸を繰り返している患者。
短い生を終えようとしているのが、分かる。
衰弱死するまで待つのも残酷だ。
別室にいる親の元へ向かう。
「先生!」
「西明先生、息子は……」
「出来るだけ息子さんの傍から離れないで下さい」
「それは……」
「もう、手遅れです。今夜が山でしょう」
「そんな」
女性が泣き腫らした瞳をさらに涙で濡らす。
男性は妻の肩を抱いて慰めているが、男性こそ泣くのを堪えている。
「西明先生」
「はい」
向き合って座る。
背筋を伸ばして、最後の依頼を受ける。
「息子を苦しまずに、逝かせてやることは出来ないでしょうか」
「衰弱による死になると思います。今ここで手を下さなくとも、きっと寝るように息を引き取るでしょう」
「先生、お願い、します」
「何故ですか」
男性は息子を殺してくれと言っている。
苦しんで亡くなる場合は痛み無く死ねる薬を調合して与え、楽に逝かせてやる仕事も受け持っているのは、事実だ。
しかし、それは患者本人が痛みに耐えられず縋ってきた時にのみ行っている最終手段。
息子が望んでいるかも分からないそのような事を、私がするとでも思っているのだろうか?
「もう俺たちには、金がありません。ここに滞在できるのも、今日までなんです」
「その為に、殺す、と」
「はい」
「それは出来ません」
「何故ですか。もうあいつは助からない。だったら今死んでも、文句無いでしょう」
「そういうものでは無い」
「そういうものです」
「私は手を下しません」
「お願いします」
「無理です」
「お願い、します!」
頭を下げられる。
恥も外聞もない。
しかし、それで首を縦に振るほど、私は人間できちゃいない。
「その要件は飲めません。私は患者をもう一度見てきます。そして、そのまま帰ります」
「そんな!」
「悪いが、私は本人の意思しか聞かない」
少年が眠る部屋に入る。
脈を測っていると、薄い瞼が少しだけ開いた。
「おはよう」
「西明……せん、せい」
「うん?」
「殺して、下さい」
「何を言っている」
「殺して下さい」
「そんな事出来るわけないだろう?」
「お願いです」
「どうしてそんな事を願う」
「おっとうと、おっかあに迷惑を、これ以上、かけたくないんです」
話し声を聞かれたのだろうか。
残酷すぎる。
親に死を望まれる子供が、どんな気持ちなのかは私に分からなくとも、それは考えるだけで胸が詰まった。
「俺、本当は村で死ぬはずだったんです。だけどおっかあやおっとうが、俺を、愛してくれてたから……」
子供の骨ばった頬を一滴の涙が伝う。
薄い、乾いた唇から紡がれる言葉はどれも重たい。
「これ以上、重荷になりたくない。俺、おっかおもおっとうも好きなんだ。迷惑、かけたくないよ」
頭髪が薄くなった頭を撫でようと手を伸ばしそうになって、この子は私ではなく両親に撫でて欲しいのだと気づく。
この子が欲しているのは、私が今抱いた情ではなく、親からの愛情。
「何か、欲しいものはあるかな?」
「俺、雪うさぎ、今年作ってないんだ」
「雪うさぎ、か」
「毎年、姉さんと作ってたんだ。なのに、今年は……」
「ちょっと待ってて、くれるかな」
「うん」
鼻声で返された返事。
私は両親の部屋に向かった。
「西明、先生」
「息子さんの意識が戻っています。ついていてあげて下さい」
「西明先生は」
「私は雪うさぎを作ってきます」
履物を履いていると、民宿の主が奥から姿を現す。
診察に持ってきた荷物が無いのが不思議だったのだろう、荷物はと問われて、まだ診察中だと答えた。
柊の実を、民宿の裏庭からいただいて雪うさぎを作る。
民宿の主は私の奇行が気になったのか、遠くから眺めるだけだった。
雪に触れると指先がジンと痛くなり、感覚が消えてゆく。
手早く作ったために不格好な雪うさぎ。
それを持ってすぐに少年の部屋に向かう。
襖を開けると、そこには両親と、横になっている少年。
会話もないその空間に、異様な感覚を覚えた。
そしてこの異様な感覚を、私は何度も体験している。
少年の枕に膝をつく。
少年は瞼を閉じて、寝ているようだった。
「先生、ありがとう、ございます」
「私はまだ、何もしていません」
「ありがとう、ございます」
私はまだ、何も、していないのに。
なのにどうして、こんな。
掌に乗せた雪うさぎからぽたりと滴が落ちる。
少年は、亡くなっていた。
家に帰ると、薬売りが出迎えてくれた。
赤くなった指先を見て、薬売りは私の手を取ると息を吹きかける。
「診察に行くと言って、出て行ったはず、ですが」
「診察は終えてきた」
「その後、雪遊びでも?」
「何の意味もない、一人遊びだった」
自分の手を離させて、男から離れる。
男の息を吹きかけられた所はジンジンと痛みを発し始めていた。
「西明」
「疲れたから暫く部屋で寝る。台所に魚と野菜があるから、好きにしていてくれ」
「西明」
隣をすり抜けて板の間に上がり、部屋へ向かおうとしたところで手を掴まれた。
男の熱に、凍りついていた指先に感覚が生まれる。
止めれくれ。
手を振り払おうとすれば、その動きを利用されて男の方を向かされ、空いている手で肩を掴まれる。
「何の真似だ」
「何が、あった」
「診察をして来ただけだ。それ以外の何がある。私は疲れているんだ」
「西明」
ぴしゃりと跳ね除けるように言われて、まるで親に怒られる子供のような居心地の悪さ。
何でこんな気持ちにならなくてはならないんだ。
「何が、あったんですか」
「何も、無い」
「西明」
熱を受け取ってジンジンとする手。
嫌だ。
一枚の薄い膜を張って堪えているのに、溢れ出しそうで、嫌になる。
愚痴も弱音も、私は言いたくない!
「何もないと言っているだろう!」
なりふりなんて構わない。
もがく様にして男から離れようとすれば、男も本気でこちらを抑えてくる。
男の力はそこらの加治屋よりも断然強くて、敵わない。
「西明!」
やめろ。
感覚を与えないでくれ。
凍りついている感情を融かさないでくれ。
私は、お前が思っているほど強い人間ではないのだ。
一度弱音を吐いたら堰を切ったように溢れ出してしまう。
そうしたら弱さを晒す心地良さに酔いしれてしまう。
そんなの嫌だ。
私は弱い自分なんて認めない。受け入れない。
誰かにもたれかからなくては立てないような人間には、なりたくない。
「西明」
「しつこい!」
薬売りが傷ついた顔をする。
どうしてお前がそんな表情をするんだ。
そんな表情をされたら、決心が、今まで築き上げてきた感情の防波堤が、崩れてしまう。
やめてくれ。
直視できなくて、思わず顔をそらした。
「済まないが、一人にさせてくれ」
「それでは、西明は、独りで苦しむだけ、では」
「苦しみなんて、無い」
その感情も、今となっては消え失せた。
良いや、違うか。凍結させて、奥にしまった。
凍結させて隠していたのに、薬売りが見つけて触れてくるから、溶けて露出してしまう。
擦り切れそうな理性がそれを阻止する。
「もう一度言う、離せ」
お願いだ、退いてくれ。
これ以上はもう無理だ。
我を張れない。
手が離れた。
それに安堵する自分と、いっそ理性を忘れられるほど崩して欲しかったという願望を抱く自分がいて、嫌になる。
我儘だ。
追われると逃げて、逃げられそうになると手を伸ばす。
独り善がりも、良い所。
部屋に入って、襖を閉める。
途端に襲い来る無気力感。
チカチカと光を注ぐ窓の外に視線を向ける。
太陽光を受けた積雪が光を乱反射していた。
目の奥に感じる痛み。
瞼を閉じて、私は光を遮断した。
〜終〜
喧嘩っぽくなくて済みません。
喧嘩というより拒絶する西明さんと薬売りになってしまいました。
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